JAの活動:第27回JA全国大会特集 今、農業協同組合がめざすこと
【農業協同組合をつくった人たち 「おらが農協」の思いを今に】91歳の青木一巳氏に聞く(平成8年) 産業組合時代から教育で組織づくり2015年10月7日
1996年(平成8年)4月28日号より再掲載(抜粋)
歴史に学び協同組合運動のこれからを探る
戦後70年、農業協同組合法施行から68年の今年、「農協改革」が大きな焦点となり農協法の大改正が国会で成立した。農業・農村所得の増大に向けて農協は「農業所得の増大に最大限の配慮をしなければならない」ことが明記されたほか、理事の過半を認定農業者とすること、全中を農協法で位置づけず一般社団法人とすること、さらに准組合員の利用規制のあり方を検討することなどが決まった。地域の協同組合という存在の根幹に関わることも多く実態をふまえた取り組みが将来のために必要となる。その際にふまえておきたいのが、先人たちの足跡である。今の農業協同組合の前身は1900年(明治33年)に制定された産業組合法によって誕生した。本紙ではかつて当時の時代を知る方々から協同組合の意義や役割についてインタビューを行ってきた。今回はそうした先人の当時の声を再掲載する。われわれの歩むべき方向を考えることができれば幸いである。
本紙は戦前の産業組合から前後の農協へとつながる歴史の一端を記しておこうと、昭和の初めに産業組合中央会に入会し、戦後は全国農協中央会の設立や協同組合学校の講師なども務めた青木一巳氏にインタビューをしている。ここでは平成8年(1996年)、青木氏が91歳のときに東京都板橋区の自宅を訪ねて、本紙の「歴史に学び協同組合運動のこれからを探る」と題して語ってもらった記事を再掲載する。2回にわたる話の主要部分を再構成する。
◆気持ちの通じる人間づくり
戦後、日本の協同組合は大きく発展した。農協も農村社会の安定や食糧生産を担ってきた。しかし、今、大型合併の進行や系統の役割の見直しなど新たな課題も多い。
温故知新――。今後の協同組合はどうあるべきか。長年、運動に取り組んできた人々に語ってもらう。
◆産業組合は村の経済機関
「産業組合中央会に入ったのが、昭和5年のこと。栃木の農林主事補になってすぐ中央会の研修を受けることになったのだが、それが、昭和3年。昭和5年、周東英雄さんや千石興太郎さんからのお話もあって、産組中央会に就職することになった。
当時の中央会の職員は50人ぐらいだった。調査部と指導部があって、各府県の産組に対して、調査を基礎にした指導をしようということでした。
戦前の協同組合は、一本の法律、産業組合法だけで決められていたから、今のように農協、漁協、森林組合、消費組合、中小企業協同組合、信用金庫などがばらばらでなく、全部がひとつの法律のもとに規定されていた。 事業は、販売、購買、信用、利用の4つができるものとされ、それぞれを単独で行ってもいいし、組み合わせて兼営としてもよかった。四種事業兼営組合も設立できました。組合員になれる資格は、独立して生計を営む者、という規定だけ。実際はほとんど戸主ということになる。農業者であること、とか商業者であるとか労働者であることとかいった枠はなかった。
だから、一町村を区域とした産業組合ができれば、住民はだれでもどの事業かに関連を持っているということで産業組合は村の経済機関だったわけです。行政は役場。教育は学校。そして、経済は産業組合が担うということ。従って住民は自分の生産と生活がうまくいくように組合を活用してください、ということで非常にいい建前だったと思います」。
◆大事なのは教育活動
戦前の産業組合中央会は『協同組合経済組織』の実現を目指す運動の広がりを目標に設立された。青木氏によれば、初代会頭平田東助ら当時の役員には、自由競争による経済の発展を認めながらも、その弊害是正のためには産業組合が重要であるという信念があった。
「そのころの会頭、副会頭は、全国どこへでも出掛けていって産組の理念を説いて回ったものです。大事なのは、協同組合の組織活動、なかでも教育活動だということですね。
二代目の志村源太郎さんのときに、産組の教育活動、ことに組合員の教育のための雑誌を出そうということになった。『家の光』ですね。しかし、そうすんなりと話が決まったわけではなくて、各府県の役員のなかには強行に反対する人もいた。そんなことでうまくいくなら、電信柱に花が咲く、といった役員もいた。赤字になったらどうする、というわけです。志村さんは、もし赤字になったら私財を投げ出す、と主張して話をまとめたという話を聞いてね、志村さんは偉かったと思いますよ。
産組学校は、一年間の全寮制。中央会の幹部を中心とした、講師陣容で、校長は会頭が兼任。私もそこで二代目の学校主事として仕事をすることになったのだが、大事なことは、知識を教えることじゃない。協同組合の運動者として本当に気持ちの通じる人間をつくることだと思ってました。それを毎年、各地に増やしていってね、連携を強めることが協同組合の発展になると。昭和八年には産業組合青年連盟を組織した。各府県の農村の若手中堅青年の組織です。単位産業組合の立場から、全体の産組組織を動かしていこうということだった。
中央会の職員の組織としては、二十日会という従業員組合をつくった。いずれも上からの命令ではなく、自分たちで仕事を決めて運動を推進していこうということで活気がありました。
◆農業会の性格、色濃く
産組運動を担う中央会活動に職員は誇りを持ち、業務の推進に全職員の意向を反映させようということで、職場デモクラシーの確立運動といった運動も二十日会を通じて展開した覚えがあります。
しかし、産業組合中央会は、昭和18年の農業団体統合で解散する。産組中央会をはじめ、帝国農会、帝国畜産会などが統合され中央農業会が設立された。農業団体統合は、当初、農業恐慌対策として考えられたものだが、戦争拡大にともなって農業統制のための統合になっていった。
◇ ◇
戦後、協同組合を整備することになったとき、私は産業組合に戻せばいいじゃないか、といったんです。ところが農林省からは、青木さん、まだそんなこといってるの、と笑われました。
農林省の考えは、農協を農業生産協同組合として考えて、それで食糧増産に役立てようということだった。食糧難だったからやむを得ない面もあったと思いますが、組合員は農民ということになった。法律の規定は別にして、農業者は当然加入するということにもなりました。そのうえで米の生産割り当てや耕地整理事業を行うということで、戦中の農業会の性格が色濃かった。ところで、GHQでは、農地解放して独立の農業者をつくったんだから、この農業者を維持発展させるため(の)、農協という考えがもたれるようになりました」。
GHQが要求したのは、地主勢力の排除、行政官庁からの独立、自由な組合制度、出資配当制限、民主的な代表制度など、いずれも今日の農協で実現されている骨子だ。しかし、農民の自由意思で農協をつくらせようとするGHQと当初の日本政府の考え方に開きがあり、具体的には農協法が成立するまでには第九次案まで修正が重ねられた。
「食糧難だったから仕方がなかったともいえるが、協同組合という観点からすると、戦後は、職能別に分割されて、所管官庁も農林省、通産省、大蔵省、厚生省などと分かれたし、組合員も農協なら、農民に限定されるということになったわけですね。
昔のことばかりいうようですが、戦前は産業組合中央金庫が一つで、都市の産業組合も農村の産業組合も加入していたし、また信用組合ばかりでなく購買組合も、販売組合も利用組合も加入していたし、協同組合を通じて都市、農村の資金交流もできたし、農産物と都市消費組合と直結できましたし、生活改善も都市、農村を通じてその進展がはかられたわけです」
◆再建整備対策で基礎が
農協法の成立によって、昭和20年代は単位農協が続々と組織化され、同時に農協の指導、連携を図るために、連合会組織の整備も課題になっていく。青木氏は、連合会設立の産婆役となった全国農協組織連絡協議会の事務局長として働いた。
「ところで、成立した農協法は、戦時統制経済から自由経済への移行に際して大きなアオリをくらった。
物資の不足の時代だから、物資の買いあさりもしたし、不良品を押しつけられもしたが、何よりも大きな被害は、どんどんと優良品が製造されてくれるに従って、抱えている物資が売れてゆかなくなった。従って不良品在庫を抱えることになってしまった。デッドストックである。
それから厳しいインフレ収束政策によって、貸出金の回収は難しくなったし、農産物販売代金の回収も容易ではない。でんぷん製造を行っていた組合では、それもうまくゆかない。所々巨額な不良債権の発生が起こった。何よりも大きな打撃は農協が、出資金一口百円と指導されて、その出資総額は農業会からの事務所、倉庫、その他施設、その敷地といった固定資産をまかなうのに足りない。従って、貯金や借入金でこの膨大な固定財産をまかなうことになっていたから、所々に赤字体質をもって成立していた。従って、具体的には、貯金の支払い不能の農協や、貯金支払いを制限せざるを得ない農協も多々発生した。
このため農協再建整備法の成立を機に、この法律にもとづく、農協の再建整備を行うこととなった。
購連、販連といった連合会は、その痛手が大きかったためにさらに、連合会整備促進法をつくってこれを補強したのであるが、この再建整備、整備促進対策によって農協組織全体の基礎固めができたといってよいだろう」。
◆協同組合は消費を基礎に生産体制を
戦後の混乱期、農協は農民の協同組合として各地に次々と設立された。だが、その組織整備は決して平たんな道のりではなかった。今回は、昭和三〇年代の再建整備、整備促進にまつわる歴史の一端と今後の農協の歩むべき道について語ってもらった。
◆教訓を残した再建整備と整備促進
農協組織全体の基礎固めとなった昭和二〇年代後半の再建整備、整備促進対策。だが、すんなりと成果を上げたわけではない。
再建整備の内容は、赤字体質からの転換を図るため増資して組織に体力をつけることに主眼があった。そのために政府は増資奨励金を交付することとなった。
この対策によって単協は増資に弾みはついたが、問題は連合会、(すなわち)都道府県連、全国連であった。単協には財源がないために容易に連合会の増資には応じられない。そこで、信連、農林中金から借り入れをして、増資の財源とすることにした。
しかし、その後、借り入れ金に対して信連、農林中金から、少なくとも利子の支払要求が当然出る。といっても連合会はまだ赤字のため単協への支払い財源はない。そこで、連合会としては、増資奨励金から利子相当額を出資農協へ配当することにした。
この増資奨励金の扱いについて、青木氏は「ある日、検察庁に引っぱられた」のである。
「『青木さん、赤字の会社や団体は配当ができますか』、こう検事が聞くんだ。そりゃ配当はできないから、できまんせんねと答える。すると『しかし赤字連合会は配当と称して金利相当額を単協に払っていますね。もし、これが借り入れ金に対する利子の支払いなら赤字団体でもできますねぇ』ときた。まさにその通りだ。『ということは、連合会の増資金は出資ではなく単協からの借り入れ金ということになりませんか。そうなると、借り入れ金を出資金と称して政府から増資奨励金をだまし取ったことになるね』 つまり、詐欺になるというわけだ」
昭和32年頃、全購連事件をきっかけに補助金詐欺容疑でも再建連合会は検察庁の捜査を受けた。赤字救済のための苦肉の策が、当局に目をつけられたのである。
「だが、詐欺になるなんてことは一度も考えたことがなかったから、指摘されて、えっーと驚くばかり。素直に、はいそうです、と認めるわけにはいかないが、かといって文理解釈上はその通りなので抗弁のしようもないんだ」
十日間ほど小菅の拘置所に拘留されたが、結局、他の検挙者も含め不起訴になった。
「私が強調したのは、当時の食糧不足を考えると、農協組織が赤字で食糧集荷がまともにできないようでは、社会不安になる。だから、速やかに再建整備すべきだという思いしかなかったということ。ただ、まあ、小菅の生活は規則正しくていいね、あそこにいれば病気も治ると思ったよ(笑)」
再建整備と整備促進は、補助金をテコにした再建策であったことから自主的再建よりも補助金に依存し、このような事態をまねいたという指摘もある。後の組織整備にさまざまな教訓を残した。が、事件の関係者はいずれも自己の利益のために行ったわけではないことは「衆目の一致するところである」と当時、本紙は報じている。
◆生産と消費を直接むすびつけた生産を
協同組合とは何か、青木氏が考え続けてきたことを改めて聞いた。
「商品には、マルクスがいうように交換価値と使用価値がある。結論からいえば、協同組合は使用価値追求の組織だと思う。
交換価値追求の典型的な企業形態は株式会社。資本を基礎にして、何でもよく売れるように、つまり、交換価値のみを追求した生産が行われるわけである。生産のための生産だ。
しかし、生産の最終的な目的は、消費にあるのだから、消費を基礎とした生産体制を考えるべきだと思う。それが、協同組合ではないか、ということです」
ロバート・オーエンは、生産と消費を直接むすびつけて消費のための生産を考えた。青木氏はそこに協同組合の原点があるという。
「協同組合はよく経済的弱者の集まりといわれるがそれは手段であって、本当は、消費を基礎にした生産体制をつくろうということなんだ。企業的生産がどんどん拡大して、生産と消費が分離してしまっているのが今の時代。それを何とか使用価値を基礎にし、生活のために生産するということに組織的に取り組もうということだと思う」。
(あおき・かずみ)明治38年5月生まれ。昭和2年4月栃木県庁。農林主事補。昭和5年産業組合中央会入会。全購連設立事務局長、全販連設立事務局長、全国指導連設立事務局長。昭和23年全国指導連参事兼組織部長。昭和29年農林中央金庫。昭和35年全国農村映画協会専務理事。昭和40年農産信用金庫常務理事。協同組合懇話会理事。平成13年逝去。
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