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戦後沖縄に生きて「なんくるないさ」きっと未来(あした)は拓ける2017年1月26日

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瀬長澄子さん・JAおきなわ経営管理委員会委員、JAおきなわ食彩館菜々色畑内レストラン「笑輪咲」代表

 戦時中、日本で唯一の地上戦の地となり、今も米軍基地などの問題を抱える沖縄県ーー。戦後、沖縄の女性たちは、心のゆだね場所をどこにおき、子どもを育て、未来への希望を託してきたのか。いま、沖縄県のJAおきなわで経営管理委員会の委員として活躍する瀬長澄子さんに沖縄女性の思いを聞いた。

「笑輪咲」開店を仲間とともに祝う 「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」。戦争終結後、どん底からのスタートとなった沖縄で、どこからともなく全土に広まった合言葉だ。命があっただけでもよかった、生きていれば希望はある......沖縄の人たちは、そう胸にきざみながら、今日まで懸命に命をつないできた。
 日本で唯一地上戦の場となり凄惨を極めた戦時中、長く占領下に置かれた戦後、そして基地問題に揺れる今日に至るまで、常にアメリカと日本の挾間で複雑な立ち位置を強いられてきた沖縄。しかし、その時々で変化する権力構造にも決して翻弄されず、着実に命を育み、地域を守ってきたのが沖縄の女性たちだ。
 「命どぅ宝」......。政府主導の農協改革が叫ばれ、生命産業である農業の根幹が揺るがされようとしている今、沖縄でたくましく生きる女性たちから、自らの力で立ち上がる、気高きパワーをもらおう。

◆自分から動かなければ何も始まらない
 
瀬長 澄子さん JAおきなわ農産物直売所「食彩館菜々色畑」内に店を構える「笑輪咲(わらわさー)」。JAの女性部員4人が出資者となり自主運営するレストランだ。働くメンバーはすべて女性。地元産の野菜を中心としたメニューにこだわり、弁当やオードブルの事前注文にも応える。今年8周年を迎えるが、1日平均7万円を売り上げる人気店だ。笑輪咲の発起人であり、代表として店をとりまとめるのは瀬長澄子さん。JAおきなわの経営管理委員などを務める地域のリーダーだ。
 瀬長さんは、戦争の爪痕がまだ生々しい昭和22年に、沖縄県那覇市に生まれた。戦禍そのものには遭遇しなかったものの、沖縄のみならず日本全土を覆った貧しさは筆舌に尽しがたく、幼い瀬長さんも貧困を肌で感じとっていた。靴のひとつも買えずに、学校へは手製のわらじを履いて通ったという。
 5人姉弟の長女だった瀬長さんは、高校への進学を諦め、仕事をして家計を助けた。農家の長男だったご主人のもとに嫁いだ後も、嫁として母として、そして農業の重要な働き手として、家事と農作業に追われる多忙な日々を送っていた。
 しかし、太陽が照りつける畑の真ん中で、瀬長さんは農作業の手を止めてふと考えたという。「このまま家と畑とを往復するだけの毎日を送っていては、何も生まれないのでは?」。
 ちょうどそんな折に、JA女性部の役員の話が舞い込む。昭和62年のことだ。末の子どもが4歳になり、少しずつ手が離れるようになっていたことも手伝って、一も二もなく役員を引き受けた。
 「新しいことが始まったという、わくわくする実感がありました。これが今の私の原点です」。

◆学びに裏打ちされた「自信」が新たな行動を生む

 2年後の平成元年には、JA豊見城(当時)合併後の初代女性部長になった。部長を引き受けたからにはもっとJAについて理解を深めたい。そこで瀬長さんは『家の光』を教材に猛勉強。役に立つと思った記事はノートに書き写して何度も読み返す徹底ぶりだった。
 学びに裏打ちされた確固たる自信が、次の新たな行動に結び付く。「笑輪咲」はそんな正のスパイラルから生まれた。自分たちの手でレストランをやりたい......その思いを形にするため、加工技術はもちろん、経理、雇用など、店舗運営に必要と思われることはなんでも勉強した。JAにおもねるのではなく、自ら出資し経営者になるという選択も、学習から得た自信に支えられ、実現したものだ。
 もちろん順風満帆だったわけではない。売り上げの伸び悩みや、メニューのマンネリ化、メンバー同士の意見の食い違いなど、継続を脅かしかねない致命的な問題が発生したこともあった。しかし、「その都度ミーティングを重ね、いい意見も悪い意見もどんどん出し合いました。仲間割れするのでは、と周囲ははらはらしたようですが(笑)」。
 自分たちの力で一つずつ問題をクリアしてきた瀬長さんたちが身に付けた、経営者としての矜持(きょうじ)は並大抵のものではない。レストランで提供されるメニューや店頭で販売する弁当・総菜など、笑輪咲が菜々色畑に支払う手数料は15%で、通常の加工品手数料に比べ5%も低い。瀬長さんらがJAに掛け合い、15%という数値を勝ち取ったのだ。「自分たちの店は自分たちで守りぬく。その覚悟が持てるのは、自らが出資しているから。責任も重いが、その分、面白さは無限大です」。
 
◆時は立ち止まってくれない だから笑顔で「なんくるないさ」と前を向く

左は普天間JAおきなわ専務 瀬長さんはその後、南部地区の役員や沖縄県女性協の会長なども歴任。平成21年には、かつて諦めた進学に再チャレンジし、近畿大学九州短期大学の通信講座へ入学を果たす。週3回の座学には、農作業や役員の仕事の合間をぬって休まず通い、4年間のカリキュラムを無事修了した。次点となったが、豊見城市議会議員選挙にも挑戦した。
 何が瀬長さんをこんなにも駆り立てるのか? 根底にあるのは、瀬長さんがいつも口にしている沖縄の方言......「なんくるないさ」。「"なんとかなるよ"という意味ですが、努力をしたのならそれでいいじゃないか、結果は気にせず笑い飛ばそう、という前向きな意志が込められています。そう思わなければ、沖縄の人たちは厳しい戦後から立ち上がることができなかったんでしょう」。瀬長さん自身も、数年前に当時小学生だった孫を亡くすというつらい経験をした。でも、自分が泣いていても孫は帰ってこない、前を向こうと心に決めた。苦労を苦労と思わずに、心に留め置かないことが、瀬長さんの生きる秘訣だ。
 「黙っていても、時間は刻一刻と過ぎていく。だったら立ち止まってなんかいられない。なんくるないさ。きっといいことがあるから(笑)」。

◆女性が持つ「生み育てる目線」は農業と決して切り離せない
今こそ女性が自分の言葉でJAの大切さを語るとき 

 瀬長さんは、平成22年にJAおきなわの経営管理委員に就任し現在2期目。女性部員らと協力し、JAの全国大会で決議された「女性総代10%」という数値目標を受けて、700人の1割に当たる、70人の女性総代を誕生させるという実績を挙げた。
 現在、沖縄県女性農業委員協議会の会長、豊見城市の農業委員会委員も務める瀬長さんは、自らの経験から、農村女性が声を挙げ、意志決定の場所に赴くことの大切さを訴え、農業委員等への女性の積極的な登用を県や市に働き掛けている。こうした、男女共同参画へ向けた一連の活動が評価され、平成23年度「農林水産大臣政務官賞」も受賞した。
 「1人で声を挙げるのは難しい。そこで生かされるのが組織力です。私たちのまわりには、JA、女性組織、農業委員会など、女性がその気になりさえすれば、活躍できる場所がたくさんある」。それが農業の優位性だと瀬長さんは言う。JAの自己改革が迫られるなか、「女性が持つ"生み育てる目線"は農業とは決して切り離せない。今こそ、女性が自分の言葉で、命を育む農業の大切さを語る時ではないでしょうか。女性の力がJAを支える原動力になるはずです」。

◇    ◇

 瀬長さんの言葉には、大地にしっかりと足をつけ、一歩また一歩と着実に歩みを進めてきた沖縄の女性のたくましさと力強さが息づく。命どぅ宝。なんくるないさ。......この言葉を、私たちすべての日本人が胸に刻もう。沖縄の、日本の、そしてJAの明るい未来が見えるようだ。
(取材・文章 JC総研主席研究員 小川理恵)
※JAおきなわの普天間朝重代表理事専務がインタビューしたものを記事にまとめました。
(写真)「笑輪咲」開店を仲間とともに祝う、左は普天間JAおきなわ専務、"ひめゆりの塔"で、取材時居合わせた高校生が沖縄戦の学習で平和を祈念していた。平和の大切さが受け継がれている

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