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【歴史が証言する農協の戦い】日本社会に貢献してきた農業協同組合70年の歴史2019年10月24日

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総合農協潰しに抗し新たな共同体つくれ
田代洋一横浜国立大学・大妻女子大学名誉教授

はじめに
 農協には「圧力団体」「団体旅行」など、仲間内だけで固まる負のイメージがつきまとう。攻撃する側は、この「古い」イメージをたっぷり使って、農協と社会の分断を図る。それを跳ね返すには「日本社会にとって欠かせない存在」たることを事実をもって示す必要がある。戦後復興期、高度成長期、グローバル化期の3期に分けて見ていく。

◆戦後復興の礎石として

田代 洋一横浜国立大学・大妻女子大学名誉教授 1947年に農協法が制定されてからほぼ1年で、約1万4000の農協が設立された。その9割以上が総合農協だった。自主的民主的な農協の設立にはたっぷり時間をかけるべきだが、敗戦後の切迫した食糧難はそれを許さなかった。農協は、戦時統制団体としての農業会を引き継ぎ、主要食糧の国家統制を担う統制団体(経済役場)として急ごしらえされた。
 ではあるが戦前からの産業組合の歴史があるからできたことで、食糧生産を担う農民層を丸ごと協同組合に結集したことは、日本が食糧難を切り抜けつつ経済再建を果たすうえで、礎石の役割を果たした。
 同時に農協は、営農指導事業の取り込み、有畜農業化、戦後開拓、農村工業化、農家女性の組織化、集落組織の育成、食糧増産運動等さまざまな課題に取り組み、農業の幅を広げようとし、日本社会を民主化するうえで一定の役割を果たした。
 しかし明治合併村規模の弱小農協の林立は、直ちに経営破たんを引き起こした。その再建に国の助力をあおいだことから、強い国家介入を受けることになった。また法改正により、農協中央会が、メンバー外にまで指導権限をもつ、その点で協同組合というより公共的団体として設立された。これらは農協に、行政依存的、疑似行政的な性格を付与し、その払拭が課題になる。
 1950年代後半になると農家経済もやや好転し、農協の貯蓄運動の下で、定期貯金等が増えはじめた。貯金の半分は余裕金として信連・農林中金に預けられ、地域間の資金過不足を補うとともに、経済復興や高度成長の準備に伴う資金として高利で運用され、それが地元に還元された。こうして早くも信用事業・還元金依存のビジネスモデルが形成される。

(写真)田代 洋一横浜国立大学・大妻女子大学名誉教授

◆高度成長とともに―1960年代~80年代半ば

 1950年代半ば、高度経済成長が始まるとともに農工間格差が強まり、「貧しさからの解放」が農村の課題になり、農業基本法が制定された。
 基本法の立案者たちは、農協は「圧力団体」として「農民支配の組織」に化しているとし、県・市町村行政を通じて「農政浸透」をはかろうとして、農業構造改善事業を推進した。それに対して農協は「自主的な農家経済防衛運動」としての営農団地構想を打ち出し、畜産・園芸団地の形成、作目専任の営農指導員体制、機械施設の共同利用等を追求し、構改事業も利用しつつ野菜・果樹・畜産等の選択的拡大作目の産地形成を果たした。
 米作りでは、米価引上運動を果敢に展開するとともに、集団栽培や生産組織化を追求した。
 70年前後、コメ過剰が発生し、農政は生産調整と賃貸借による規模拡大を追求する。生産調整は、コメ過剰で米価引き上げが困難になった下で米価を維持するために必要とされ、兼業深化・高齢化による農地荒廃を防ぐには賃貸借に向ける必要があった。それには農家間の話し合いが不可欠で、地域ぐるみ組織としての農協が調整力を発揮した。
 1960~75年にかけて、町村合併を追うかたちで農協合併が追求された。生活圏と住民自治のエリア拡大に合わせ、同時に産地拡大を狙うものだった。農業生産は80年代半ばまで右肩上がりで、農協の各事業も急拡大した。70年前後には、宮崎県などを先頭に西日本などでは郡単位農協設立による農協づくりが進められた。
 70年、農協は「生活基本構想」をたてた。農村混住化を受けて、農業者も「生産者であると同時に消費者」であり、「准組合員を積極的に迎え入れ」るとして、地域協同組合化をめざし、産地形成と地域生活を両にらみする姿勢を打ち出した。
 70年代半ば以降は貯金源泉も貸付先も農外が7割以上になり、農協は地域金融機関として位置づけられるようになった。80年代半ばには貯貸率も30%程度に下がり、先の総合農協の信用依存型ビジネスモデルが強まった。
 70年代半ばに米価運動が大衆動員から密室協議に移行したのに伴い、農協トップは政権党と「米価と票の取引」を行う「圧力団体」の性格を強めた。コメ議員や総合農政派などの農林族議員が農協と官僚の間に入り、族議員・農協・官僚のトライアングルが農政を動かした。しかしそれも80年代半ばまでだった。

◆「全農改革」が試金石に―1980年代後半~

 1980年代に入ると、日米経済摩擦の激化、新自由主義の日本上陸により、食管・コメに対する内外からの攻撃が強まり、中曽根内閣の閣僚による農協批判を口切りにマスコミの農協攻撃が熾烈化し、ガット・ウルグアイラウンドが始まった。85年以降、日本農業の縮小再生産が始まり、農協の経済事業は減少に向かい、信用共済事業の伸びも鈍化した。
 コメ自由化圧力のなかで、食料安全保障、自給率の向上が国民的課題として浮上し、農協は運動の先頭に立ち、政治に訴える農協から国民理解を求める農協への転換が兆した。
 90年代にかけて、農協はファーマーズマーケットという新業態に取り組み、集落営農という新たな協同の試みをサポートした。災害列島ニッポン化のなかで生活インフラとしての役割を強めた。さらには今日では農福連携や子ども食堂など地域の生活を守る取り組みが始まる。
 他方で、米国は農産物自由化とともに金融自由化を強く求め、金利自由化によって信用事業収益ひいては全体の収益の伸びが鈍化した。それに対して農協は80年代後半から広域合併と組織二段を追求するようになり、郡市農協化あるいはそれを超える広域合併、さらには1県1JA化が進められた。
 90年代半ば、農協はバブル崩壊に伴う住専破綻により損失を被り、JAバンク化を迫られた。21世紀の小泉構造改革下で「改革か解体か」を迫られ、信用共済事業からの補てんなしで経済事業を成立させるべきとされ、全農改革が「農協改革の試金石」とされた。
 これらは戦後を一貫する農協攻撃パターンだが、それは、小選挙区制下での農林族の衰退と官邸権力の突出を踏まえた第二次安倍政権の下でピークに達した。この時、官邸はTPPに反対する農協運動の先頭に立つ全中潰しを狙い、農林官僚は年来の信共分離を追求した。彼らがそのテコにでっちあげた准組合員利用規制問題は決着が迫っている。
 以上の攻撃は、次の3点で「総合農協潰し」である。すなわち、(1)全中潰しは、「運動と事業」「組織と経営」を追求する協同組合の、その運動・組織面潰しである。(2)信共分離論は、信共利益で経済・営農指導を支えてきた日本の総合農協潰しである。(3)准組合員利用規制は70年代から追求してきた地域協同組合化・「食と農を基軸として地域に根ざした協同組合」、国民とともに食料安全保障・自給率向上を追求する農協潰しである。

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ファーマーズマーケットは地域の重要なインフラに。
JA間提携も進んできた(JA高知県の「とさのさと」)

◆国民理解の得られる運動スタイルを

田代先生年表 このような総合農協潰しに対抗して、地域密着組織・業態としての総合農協をどう発展させるか。課題は4つである。
 (1)農林中金の還元利率引き下げによる収益の大幅減少が見込まれるなかで、組合員サービスを維持向上できるか。収益低下を端的にコスト削減でカバーするのか。そのために支店統廃合に手をつけるのか。さらなる広域合併を追求するのか。連合会とも連携しながら産地形成を図るのか。これらの処方箋のいくつかを相互に矛盾なく組み合わせられるか。
 (2)地域社会にとって無くてはならない存在たることが地域に見える活動・事業にどう取り組むのか。地域に対して支店統合を説得できるか、合併メリットを具体的に訴えられるか。事業面でも、「信用共済から経済へ」ではなく、地域の資金需要に応えられる地域金融機関態勢になっているのか、見通し厳しい新規就農・中小経営への融資、小口貸付、困っている人に対する債務立て替えなどリスクを覚悟で取り組むのか。
 (3)新基本法は食料安全保障と多面的機能の発揮を理念に掲げたが、官邸農政はメガFTAの追求など全く逆行している。それに正面から対抗しないと、農協の運動体の面が衰弱し、自給率向上をめぐっても、農政とともに水田活用などに問題を矮小化させることになる。国民理解の得られる運動スタイルをどう編み出すのか。
 (4)地域社会が崩壊しかねない状況下で、農協組織の土台である農家(生産)組合をどう再活性化させるか。土台の農家組合さえしっかりしていれば、上部構造組織の選択肢は広がる。同時に世帯主の集まりから家族の集まりに、そして准組合員や地域住民にウイングを伸ばす「開かれた共同体」になる必要がある。

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