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大金義昭:歴史に学ぶ 神野ヒサコの半生から 女性が支えた農協運動(2)2020年1月24日

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農協と一体の婦人部をいのちの花咲かせて
文芸アナリスト大金義昭

米価運動の先頭に立つ神野さん米価運動の先頭に立つ神野さん(出典:『虹よ永遠に~農協婦人部とわたし』家の光協会刊)


◆自主制作で「荷車の歌」

 わけても「農村婦人の解放」は、神野さんの宿願であった。昭和33(1958)年に神野さんは再び全国の会長に就任し、その後42(1967)年まで「身に余る」重責を担って東奔西走する。「ひと月のうち、十日は郷里、十日は東京の本部と各県まわり、そして残りの十日は汽車の中」「雨戸を閉めきった自宅の畳部屋に、きのこが所狭しと生えていた夏もあった」という暮らしが続く。

 神野さんが全国の会長に復帰した翌年の昭和34(1959)年には、320万人の農協婦人部員が三年間の総力を結集して取り組んだ「劇映画自主制作特別運動」が、ひときわ輝く金字塔を打ち立てた。「一人10円」カンパの代わりに、米一握りや卵一個、古紙、わら束などを拠出する部員も数多くいた資金づくりは、組織の連帯感や結集力を確かめ合う機会になった。完成した山代巴原作・山本薩夫監督の映画「荷車の歌」は、全国津々浦々の農村女性の紅涙を絞り、のちのちまで語り継がれることになる。明治・大正・昭和を生きた主人公の女性の生涯が、大きな感動と共感を呼んだ。東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催される5年前のことである。

「組織人とは、中央にいようと地方にいようと、また役にあろうと無かろうと、自分がこれぞと加わった組織のために活動するのは当たり前」と神野さんは語っている。

「高度経済成長」が続く昭和30(1955)年代後半からは、時代に取り残されまいと農協の米価闘争が盛んになり、「季節の風物詩」となった。米作への特化を背景にした農家や農協にとっては、政府支持価格によって形成される米価が生活や事業の根幹をなした。

 農協婦人部も、政治の表舞台に加わった。なかには、陣笠や絣のモンペ姿で登場した代表者たちもいた。「大臣や代議士の自宅に起きがけに陳情するため、朝もやの勝手わからぬ東京の街角を、さまよったことも」ある。

 神野さんは回想する。「なにか中央に集まることだけに頼って、地方でも大切な消費者への理解を求める運動が不活発なような気がしてならない。やはり、中央であれだけ熱心に闘っているときは、並行して県でも郡でも市町村でもあげて、消費者へ強力な働きかけをするべきではないか」と。

 現代にも通じる活動や運動の基本である。農畜産物の総自由化時代に突入し、食料自給率が37%まで落ち込んでいるからである。農協と農協婦人部に身ぐるみであった神野さんに、政権与党の自由民主党から参議院議員選挙への出馬要請があった昭和40(1965)年。「みんなとともに茨の道を歩んできてようやく築きあげた組織をふみ台にして、自分を花でかざろうなんて、あさましい」と固辞し、神野さんが貫き通した思いがある。

 「私も弱い人間です。情にほだされ、適任だ適任だといわれれば、心の中のバランスが狂うこともありました。しかし、もし立候補したとなれば、私が主人なきあと全力を捧げた農協婦人部300万の組織は、対外的には軽視され、対内的には全農婦協そのものの歴史を、根本から崩すことになるのです。いちばんの心配はそのことでした。断わってほんとうによかったと思っています。自民党から共産党まで、そして最近ふえている政治無関心層だろうが、無政府主義者だろうが、全農婦協300万人のなかにはいるのです。そして、その考えが違う人が手をたずさえて進めるのが、協同組合運動ではないでしょうか」

 神野さんの信念を支えた夫の遺言や次男の戦死からは、人びとが何を支えに生かされていたかが分かる。

 「死者は生者の記憶のなかに存在するのではない。生者の身辺にいる。死者と生者は愛し合い、信じ合い、支え合う。いや、具象的な存在性格を有する死者たちこそ、生者を根柢から支え、助けているのだ。死者たちは、その具象的性格ゆえに、生者たちの掟になる」(『死と狂気~死者の発見』ちくま学芸文庫)と説いた精神病理学を専攻する渡辺哲夫さんの言葉が思い出される。愛する者に先立たれた生者の一人として、神野さんの心情が胸に迫る。

◆有名・無名の「神野さん」

 貧富の格差が広がり、社会の分断が深まっている。富裕層に軸足を置き、「お友だち」を大切にする時の政府は「聞く耳」を持たず、国や税金を私物化して省みるところがない。生者と生者とを結ぶ死者を欠いた人びとが「掟」を見失い、「今だけ、金だけ、自分だけ」の利己的な放縦に走っている。そこにあるのは、「忘己利他」や「だれ一人取り残さない」SDGs(持続可能な開発目標)とは無縁の拝金主義や刹那主義である。農協に賭け、「農村婦人の解放」に挑んだ神野さんが、「それで良いのか」と問いかけているように思える。

 これはしかし、ひとり神野さんに限らない。戦後に生き残った人びとには、死者たちから贈られた「掟」があった。人びとはその「掟」に支え助けられ、生かされてきた。敗戦後の混乱の中で農協運動を牽引した人びとも、その例外ではない。有名・無名を問わず、大勢の「神野さん」が全国各地にいたのである。

 栃木県の中山間地で、貧しい村の農協婦人部長を務めた明治35(1902)年生まれの祖母なども、そんな端くれの一人であった。「かまど貯金」や「竹筒貯金」、台所改善、簡易水道の敷設、生活雑貨の共同購入、雑誌『家の光』の購読、集団検診などにまつわる炉端談議が、祖母の闊達な声や笑顔と共によみがえる。土間の柱に据え付けられた有線放送からは、NHKのラジオ番組「ひるのいこい」のメロディーが流れていた。戦争の痛手がようやくにして薄らぎ、辺境の寒村にも、のどかな光や風が満ち溢れるようになっていた。

 農政が小農保護政策から農業基本法による近代化政策に切り替わると、空気がにわかに慌ただしくなった。選択的規模拡大や所得格差の是正、構造改善、農産物の自由化などが声高に語られる。農家の兼業化が進み、出稼ぎや離農の話題が急浮上した。農協合併が唱えられ、旧市町村域を越えた組織・事業・経営の統合が進む中で、米価闘争が女性を巻き込み熱気を帯びた。多彩な生活文化活動を繰り広げていた農協婦人部が、地域の農業祭や農協祭で底力を発揮した。

料理講習に参加する筆者の祖母◆いのちの花咲かせて

写真:料理講習に参加する筆者の祖母(中央)

 人や組織や地域は、一歩前へ踏み出す「新しい行動や活動」によってのみ、持てる潜在能力を引き出すことが出来る。踏み出す勇気が求められるが、「義を見てせざるは勇無きなり」である。『論語』にそんな言葉があった。農協婦人部を拠り所に、いのちの花を咲かせてきた無数の女性には勇気があった。

 この特集号(後日掲載)の座談会でご一緒した猪野正子さんや熊澤淳子さんも、先人たちのそんなDNAを継承している。

 神野さんの言葉がある。「農協は、とくに人づくりが大切です。協同組合精神をたたきこまれた、農民と一体になってくれる人材を渇望してやみません。私は最後まで、死ぬまで、一部員として、農協婦人部の組織活動と農業協同組合の運動に誇りを持って加わる覚悟でおります」

 組織の後継者づくりについては、こうも唱えた。「部長は在任中に、後継者づくりをするということを絶えず考えておかなければいけません。リーダーがいつまでもリーダーでなくてよい。次から次へと意欲のある新人と交替して、つまり人材の新陳代謝を図ることです」と。

「歴史に学ぶ」というテーマを編集部から与えられ、二番煎じを避けるにはどうしたら良いかと考えだ。手元に数ある書籍や資料を繙(ひもと)くうちに、昭和51(1976)年に家の光協会が刊行した神野さんの手記『虹よ永遠に~農協婦人部とわたし』が心に懸かった。そうだ、神野さんの半生を辿ることで応えようと決めたら、筆が一気に走り出した。小文は、だから神野さんの手記に負うところが大きい。これもまた、死者からの贈り物にほかならない。

 筆を進めるうちに、香川県出身で「戦後農協運動の巨星」と仰がれたJA全中の元会長宮脇朝男さんの生涯が頭をよぎった。愛媛県出身の神野ヒサコさんも、農協婦人部の戦後史を飾る不世出の会長であった。二人の英傑に接点はあったのか、なかったのか。

 農協運動を女性が支えてきたという観点からは、神野さんのその後に続く歴史に特筆すべき活動や事業がある。「農産物自給運動」や「地産地消」を看板とする「ファーマーズマーケット」「6次産業化」「食農教育」「介護・福祉事業」などは、ことごとく女性の発想や行動から生まれている。

 そんな経緯を振り返るなら、JAの「男女共同参画」が今日いかに立ち遅れているかを、男性諸兄はしかと肝に銘じるべきである。女性なら、さらに一歩前へ踏み出し、神野さんのように「引くな!」と言いたい。


歴史に学ぶ 神野ヒサコの半生から 女性が支えた農協運動(1)

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