JAの活動:JA新時代を我らの手で JA全国青年大会
須藤JA東京中央会会長・農地守る役割理解へ強まるJAの取組み2020年2月14日
【インタビュー】JA東京中央会代表理事会長・須藤正敏氏“市民権”を得た都市農業
都市農業は日本農業の最先端を行く農業であり、それだけにいち早く、日本農業の主要な矛盾を抱えてきた。JA東京中央会代表理事会長(JA全中副会長)の須藤正敏氏は、自らの経営でそれを実感し、体験してきた。同会長は「都市農業を守ることは、地球の環境を守り、持続可能な社会づくりにつながる」と指摘し、そこにJAやJA青年組織の役割があると強調した。(聞き手は文芸アナリストの大金義昭氏)
須藤正敏JA東京中央会会長
◆戦争と食糧難が原点
―東京の農業にとって、戦後75年は試練の連続であったと思います。昭和30年代からの都市開発で虫食い状態に農地が宅地化し、農業がどんどん縮退しました。土地価格が高騰し、昭和43(1968)年には「新都市計画法」で農地が線引きされ、市街化区域内農地は宅地並み課税となり、農家は高い相続税や固定資産税に苦しめられました。
その後「生産緑地法」が成立し、平成27(2015)年には「都市農業振興基本法」がスタートして、都市農業に対する価値観ががらりと変わりました。この基本法は都市農業の多様な価値や機能を高く評価していますが、これは都市の農家の皆さんの粘り強い運動の成果でもありますよね。
大学で法律を学び、植木農家の後を継いで、変貌する都市農業のただ中に立ち続けてきた須藤会長は、この間、農業にどのような思いや価値観を抱いてこられましたか。
須藤 私は戦後まもなくの昭和23(1948)年生まれです。父の弟2人が戦死しています。一人は結婚しており、もう一人は未婚でした。父は農作業事故で兵役免除になり、家の農業を支えていました。
戦後は、農家といえどもやはり食糧難でした。サツマイモの種芋を一晩でそっくり盗まれたこともあります。みんな生きるのが精いっぱいだから仕方がないとあきらめ、親戚から種芋を分けてもらいましたが、祖父母からは「米粒を残すと目がつぶれる」と言い聞かされて育ちました。そんな時代だったので、自然に農家の後継ぎになりました。農地が7~8㌶あったので、父の縁者や知人などに手伝ってもらっていました。農耕は2頭の牛が頼りでした。
昭和30年代に入ると、経済成長で工業に労働力がとられ、農業の人手が足らなくなり、埼玉県からも手伝いに来てもらっていました。朝早くから収穫して、午後、築地までオート三輪で運ぶのですが、たまに便乗すると、都会のネオンサインや交通信号が珍しかったですね。そんな時代でした。
―戦後まもなく生まれの必然で「戦争の陰」を帯び、食糧難の体験が、会長の考え方の「物差し」や原点になっているのですね。農業に寄せる思いは、どのように形成されましたか。
◆農地守る運動に全力
須藤 戦後の農地改革で小作地は手放しましたが、1家2所帯で4haくらいになりました。せっかく残った農地なのだから、後を継がないと申し訳ないという思いが強く、大学を卒業してすぐ農業に従事しました。ただ、農業だけで生活するのは難しいと考え、木造のアパートをつくりました。土地は切り売りすべきではないと教えられていたので、ある程度、農外の収入を得て農業を続けるためにはやむをえないと考えての決断でした。
その間、都市化が進み、宅地並み課税がどんどん拡大し、農協でも反対する動きが出てきました。本来、私たちが頼りにするのは、農地を管轄する農業委員会ですが、役所の一部でもあり、一人で交渉しても相手にはしてくれず、反対運動は、われわれの組織である農協を中心にやるべきだということになりました。
―マーケティングの「商品拡販戦略」のひとつに「ノウ・ミー ラブ・ミー リスペクト・ミー」(知って愛して尊敬していただく)というキーワードがありますが、都市の住宅地に隣接した農地で農業を続けることは大変です。消費者や地域住民の皆さんに愛してもらうだけではだめで、尊敬してもらえるようにならないと初志を貫くことが困難です。会長はその基本姿勢を貫いてこられた。都市の農家の皆さんのそんな不断の積み重ねが、5年前の「都市農業振興基本法」という果実に結びつきました。
都市農業は食料供給・環境保全・防災・農業体験・景観維持・農業理解の醸成など、多様な機能を持っています。今は、都市に農業や農地を残してほしいという消費者や地域住民の皆さんのニーズが高まっています。会長は、合併前のJA三鷹市の青年組織時代から、都市農業の大切さをアピールしてこられた。
◆都市農業をアピール
須藤 農業への理解の醸成は、なかなか大変です。三鷹の青年部時代、夏には土曜日にキュウリやトマト、ナスなどを、盟友の畑から集め、4~5組に分かれて団地で販売しました。また「都市農業を育てる市民の集い」を毎年7月に開催し、消費者団体(親子)や市役所、農業委員会などの代表に呼びかけ、バスで管内のほ場を巡り、収穫体験をするという催しを行ってきました。トウモロコシの収穫をしたり、花き農家を回ったり、ブルーベリーを味わったりして、最後にはJAホールで女性部がカレーやサラダを振る舞います。
環境保全の取り組みとして、学校給食の残さを引き取り、植木のチップと混ぜた培地をつくり畑にまいたり、青年部が市内の学校農園で野菜づくりを指導したりしています。都内では畑を身近に見たこともない子どもも多く、好評です。新宿にある「JA東京アグリパーク」も東京の農業を中心に、日本の農業の大切さをアピールしています。
◆消費者との接点求め
―練馬区で白石農園を経営する白石好孝さんがJA全青協会長を務めたときには、JA青年組織にも新しい時代の風が吹いて来たなと感じた記憶があります。それは消費者や地域住民の皆さんとの「接点づくり」が重要になったという時代認識の象徴だったのではないかと思います。今また須藤会長がJA全中副会長を務めておられることも、同様の意味合いがあるように思われるのですが。
須藤 確かに白石さんは東京の農業を、すなわち都市農業の存在を全国に知らしめました。「新都市計画法」と「都市農業振興基本法」のちょうど中間に当たる時期で、都市農業が見直される曲がり角のタイミングでしたね。その数年前、人口増による住宅難のもとで、NHKの報道スペシャル『土地は誰のものか』が報道され、その後は地価が落ち着いたころです。その後バブルが崩壊。そのころは実勢価格が下がったのに課税評価額が高く、相続の発生した農家は大変でした。それを補うために物納が始まり、平成5~7年ころには多くの農家が、やむなく物納を選びました。
◆行政の支援が支えに
―都市農業にとって、行政の支援は欠かせませんよね。その点で、会長の地元の三鷹市は革新的で、市の農業政策をJAに委ねていますね。
須藤 昭和30年代からの市の方針です。農業はその道のプロである農協に任せようということでした。農業関連予算は、農協の理事、農業委員会や議会などの代表からなる「農業振興対策委員会」で審議し、農協が予算書をつくって市議会に提案します。また市役所が職員4人分の予算を農協につけてくれました。それに農業祭の経費までも。約60年続いており、全国でも聞いたことがないですね。
こうした背景から、三鷹市は周辺の市に比べて、「生産緑地法」による緑地を選択する農家の比率が高かった。行政が農業をちゃんと支援する体制があると、こんな違いが出てきます。
―行政の姿勢も、都市農業を守る運動の成果の1つですね。
須藤 行政の後ろ盾があって、三鷹ではブロッコリー、カリフラワーなどは今も共選で、新鮮なことから市場の評価も高い。昭和の時代から平成始めにかけては、ブロッコリー、野菜の目合わせをちゃんとやって、2~3トンの小型トラック10台くらいで、野菜生産組合の青年部が市場へ出荷していました。市場に近い東京の農業の「強み」です。
―農業の在り方については、例えば東京の農家の庭先に立ち、農業者から直に農業への志やその貫き方を学んでほしいですね。その際にJA青年組織が具体的にどんな取り組みを重ねてきたかを学び、継承してほしいものです。
須藤 東京の農業の「強み」は、新鮮で誰が作っているかが良く分かることで、消費者はそれを求めています。そして市場が近いので運賃がかからず、包装用の段ボールも必要ありません。すぐ近くにマーケットがあるのだから。
GAP(農業生産工程管理)をハードルと考えずに取り入れていただきたい。GAPは農機具などの整理まで細かく規定しており、農作業事故を防ぐことにもつながります。東京では共選が難しくなっていますが、自宅の庭先や直売所で新鮮・安全な野菜を消費者の顔を見ながら販売することができます。時代の流れであり、頭を切り替えて、特に若い人にはGAPに挑戦してほしいですね。
―昨年11月には、都下の練馬区で「世界都市農業サミット」が開かれました。どんな反響がありましたか、またその評価は。
須藤 志村豊志郎・前区長のときに、都市の農業を残そうということで、都内38の自治体が「都市農地保全推進自治体協議会」をつくり、農水省や国土庁、財務省などに働きかけてくれました。市民の理解を得る上で、これが決定的でしたね。われわれの運動は、ともすれば農家のエゴと見られがちですが、選挙で選ばれた首長や自治体の皆さんが望んでいるのだということで影響力が違います。かつて農地のスプロール化が問題になりましたが、都市の中に点在する農地は防災対策にもなります。こういうことが理解され、東京都のアンケートでも8割以上が農地を残すべきだと回答しています。
都市の農地は市民の財産
―JAグループ全体としても都市農業の先験に学び、農業を守り発展させるための知恵を協同組合運動に組み込む時代ですね。その意味でも、須藤さんのJA全中副会長の立場は象徴的ではないでしょうか。
◆「農業守る」旗を高く
須藤 日本の、今の低い食料自給率が心配です。太平洋戦争の原因の一つは、エネルギーや食糧を海外に求めて進出したことにあります。同じように資源が不足する時代が、これから来る可能性もあります。工業化が進むと1次産業に従事する人が減り、食料が不足します。日本は年間2000㍉以上の雨が降り、世界的にも雨量の多い国です。「国土強靭化」も大事ですが、政府には、もっとソフト面で農業ができる環境をつくっていただきたい。人の手が入らない農地や山林は単なる荒れ地で、これでは国土は守れないことを知るべきです。
それには、農業従事者が生活の不安を感じない制度を構築することが大事です。JAグループもこれまでTPPや日欧EPAへの対策など、直面する問題の対処に追われました。これからはもっと大きく構え、日本は農業が支える国なのだという旗を高く掲げて国民にアピールすべきです。「食料・農業・農村基本計画」が審議されていますが、食料の安全保障について、もっと明確に示し、農業を支える担い手が安心して農業ができるように保証していただきたい。
―この国の農業の「兼業形態」は、世界でも「最強の経営形態」ではないか。「規模拡大一辺倒」にリアリティーはなく,リスクも大きいことを、もっと多くの人びとに理解してほしい。農家の兼業はリスク分散の経営形態であり、先祖から預かった土地を有効に活用する極めて知恵のある方法だといえます。
須藤 まさに日本ならではの農業だと思います。アメリカでは農業を引退すると、自分の子どもに譲るのでなく、売却するのが一般的です。北海道でも、そうした考えがあるようですが、価格などの折り合いがうまくいかないと聞いています。農業を子どもから孫へと、代々引き継いでいける政策を望みます。
―そうした農業の継承法は、江戸時代からの知恵でもありますよね。農地は個人のものでありながら、コミュニティーのものでもあって、地域ぐるみで農地を守っていた。今日にも、どこかで通じるところがあります。
須藤 気象変動で自然災害が頻発するなど、地球が悲鳴をあげています。もう少し地球を守る気持ちを持たないと。トランプ大統領のような「アメリカ・ファースト」や「強欲資本主義」ではなく、譲るところは譲らないと地球がもたない。それは一人ではできません。協同組合の果たす役割は大きいと思います。
◆座して死待つなかれ
―その役割を次代に担っていくJA青年組織の盟友にひと言。
須藤 「もたれあう」のではなく「支え合う」ことです。初めに「自主・自立」ありきです。一人ひとりが立ち上がり、それを結集して前に進む。自分だけでなく、仲間も幸せになる。何ごともそういう考えで臨まないと、持続可能な社会は実現できないと思います。農業は人の命を支える生命産業です。その意味でも、JA青年部の役割は大きいものがあります。
―農業・農村は、都市の生命維持装置ですよね。そうした価値観を広げていくためにも、若い人が協同組合に結集したい。
須藤 逆境の中で「座して死を待つ」のではなく、大事なことは、目標の達成に向け、断じて「あきらめない」ことです。農業に携わるわれわれがあきらめたら、地球は滅亡します。農業だけでなく、林業・漁業も地球を守る重要な産業です。農地は「資産」ではなく「資源」であり、一部の企業だけがもうかる仕組みはおかしい。国民のみんなが豊かになる政治を望んでいます。
―会長の座右の銘でもある「一視同仁」ですか。「今だけ・自分だけ・金だけ」の潮流とは真逆の取り組みですね。JAの役職員の皆さんに対しては、いかがですか。
須藤 JAの自己改革のポイントは、組合員一人ひとりの声を聞くことです。具体的には、困った組合員の相談を受けて「うち(JA)ではやっていない」と言ってしまったらおしまいです。相談を受けたら、そこから万事が始まる。JAで解決できなければ、弁護士や行政の担当部署を紹介します。大事なことは、それで済ませずに、弁護士などのところまで一緒に同行することです。JAには、それが欠けていたのではないかと思います。
―「組合員目線」で「親身に徹する」ということですか。貴重なお時間を、ありがとうございました。
【インタビューを終えて】
オープン・マインドの爽やかさは、「消費者にいちばん近く」「地域に必要とされる持続可能な農業」に挑んできた歩みの賜物ではないか。都市農業の可能性にこそ、日本農業の可能性のカギが豊富に潜んでいることを実感した1時間余の会談であった。(大金)
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