JAの活動:持続可能な社会を目指して 希望は農協運動にある
【特集:希望は農協運動にある】農協運動がなければ農協はいらない 種市一正JA全農元会長に聞く (小林光浩 JA十和田おいらせ理事)2020年10月14日
いまコロナ禍そしてコロナ以降の農協のあり方が問われている。それは仲間づくりによる農協運動の組織化をどのように行うのかということでもある。青森県農協青年部からスタートし青森県中央会会長そしてJA全農会長として、つねに農家組合員のために農協運動の先頭に立ち、その後も農協運動の心で三沢市長として地域住民のために働いてきた種市一正氏に、農協運動が地域に果たして来た役割を中心に聞いた。
プロローグ:農家組合員のために働くトップ
令和2年9月23日の朝、青森県三沢市に向かった。新型コロナウイルス感染者数が日本国内で8万515人、死者1532人と新聞に掲載され日である。テレビでは、9月19日からの4連休となったシルバーウィークで、全国各地が観光客であふれかえったことを報道していた。こんな中、私が三沢市へと車を走らせているのは、全農元会長で前三沢市長の種市一正氏に会うため。
ところで今、世間の関心は、コロナ過からの経済再建であり、新しく誕生した菅義偉内閣への期待の高さがある。報道各社の内閣支持率は60~70%台となった。7年8か月という長期政権下で内閣官房長官を務め、安倍前首相が辞意を表明してから1ヶ月も経たないうちに「上手く国民の心を捕まえた」という印象を私は持つ。
それは、秋田県の農家出身であることを訴えながら「ふるさと納税を私がやりました」と宣伝することで地方・農村の心を引き付けたこと。携帯電話の料金の引き下げとデジタル庁を設置すると宣言して若者の心を引き付けたこと。不妊治療を保険対象とすると宣言して女性の心を引き付けたこと等による。
菅新首相は、「国民のために働く内閣を作る」との宣言で国民の心を捕まえた。「私利私欲に走って来たこれまでの政治家とは違うのではないのか」「国民のためになることを確実にやる首相だと思う」と多くの国民が期待している。ただし、安倍内閣で一緒の人に、これまで解決できなかった問題を改革できるのかは疑問が残るところではあるが。
まさに全農元会長種市一正氏は、「農家組合員のための農協運動」を語り、「農家組合員のために働くトップ」であった。そして、全農会長時代に責任を取ったトップの姿が尊敬される。
いつでも先頭に 青森県農協中央会長時代
さて、これから、インタビューで語られた「農協運動の大切さ」について紹介するのであるが、先ずは、私が知る種市青森県農協中央会長の紹介から始めたい。
種市一正氏は、1996年(平成8年)1月からの11年間、2007年6月に三沢市長となるまで県農協中央会会長(県信連・県経済連・県共済連の共通会長)であった。その間には、全農副会長からの全農会長も務められた。
私は、その間に県農協中央会職員として、電算開発課長、広報課長、農協出向参事、営農農政課長、地域振興課長、改革推進部次長、農業振興部長、青森県農協営農支援センター長を務めた。そんな職員としての私の見た当時の種市会長は、職員の話を聞いて仕事の方向性を示し、中央会の事業を進めるために県内の組合長・全国連・行政等の関係者の説得を積極的にする等、常に先頭を走るトップであった。
当時の種市会長が行った最大の中央会事業は、全国でも類がなかった「経営破たん農協救済のための総合対策事業」創設(1997年4月)であろう。
また、JA組合員一戸50万円農業所得増加運動の展開(2000年12月)。新青森県JA合併構想に基づく合併JAの基本指針・JAグループ青森における広域合併JAのあるべき姿の確立(2004年5月)。県と一体となった全国初の「生食用りんご価格安定事業」創設(1998年)や「青森県農協営農支援センター」設置(2006年4月)等。種市会長は、青森県における農協運動の中でも特筆される取り組みを次々と行った。
1万2000人を集めたJAランランフェスタ「元気のでる農業・JAフェスタ」
その他にも様々な取り組みをされたが、特に私にとって思い出深いのは、1万2000人を集めたJAランランフェスタ「元気のでる農業・JAフェスタ」開催(1996年11月)や中国の青島農業大学で行った大学と中央会との交流調印式(2007年2月)等である。
青島農業大学での交流調印式
その取り組みは、今後の農協運動の参考になると思うので、ここで一つだけ紹介する。
経営破たん農協救済のための総合対策事業
種市会長は、会長に就任した年、県内10農協(当時78農協中)で抱える未処理損失金91億円を解決することが最大の課題であった。これは、1996年(平成8年)6月の「金融機関経営健全化関連法」による「自己資本比率0%未満(債務超過)は信用事業の停止命令が発動される」という農協破産が現実となる事態に直面したからである。
種市会長は、自らが先頭に立って農協救済に動いた。青森県知事はもちろんのこと、県会議員を回っての県議会承認を得て、青森県からの143億円の基金造成と県連合会の80憶円とを合わせた223億円の基金による経営不振農協を救済するための「青森県農協経営基盤強化総合対策事業」を創設したのである。さらには、支援対象となる市町村に対して支援総額の13.6%を助成してもらうことを取り付けた。
こうして、平成9年4月に中央会内に専門部署「総合対策室」(総勢12人体制)を設置し、中央会事業としての「青森県農協経営基盤強化総合対策事業」がスタートした。
この事業支援を受ける農協側の条件は厳しいものであった。その条件とは、(1)農協合併(実質的な吸収合併)すること、(2)該当農協の役員は未処理損失金の10%を負担すること(負担しない時は該当役員に対する損害賠償の訴訟を行うこと)、(3)該当農協の出資金を70%減資すること、(4)該当農協の地元市町村からの13.6%助成してもらうこと等であった。その未処理損失金を少なくして支援額を抑えるための不良債権の回収は想像を絶するものであった。さらには、役員の責任追及、組合員の説得、債務超過農協を吸収合併する受け入れ農協の説得等、失敗が許されない事業となったのである。
その事業規模は、債務超過10農協に対して支援額77億円を超えるものであった。私も、当時広報課長であったが、債務超過農協の出向参事として厳しい現実を体験した。
しかし、この事業に対する評価はされているとは思えない。何故ならば、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」のたとえ通り、今後も経営破たんが危惧されるからである。
農協運動の心で地域と共に生きる 三沢市長時代
ここからは、9月23日、青森県三沢市で行ったインタビュー取材の内容である。
全農元会長種市一正氏は、青森県農協中央会会長(県信連・県経済連・県共済連の共通会長)や全農会長を辞任して、2007年(平成19年)6月から2019年(令和元年)6月までの12年間、三沢市長を務められた。
その市長時代にも、考え方の基本には「農協運動の心」があったと語る。具体的には、農協運動での「組合員のための農協・農協事業」を、市長として「地域住民のための行政であること」を常に訴え、真摯に取り組んだと語る。
当初、市長に就任したばかりの時、一人ひとりの部長を市長室に呼んで、「これまでのように各部署が勝手にやるのであれば認めてもいいけれども、その場合には部長の責任でやること」を確認し、市長の責任で「市民のための行政」を訴え、市役所が一体となってやることを徹底したのである。
また、市長に就任した年は、700人を超える市役所の職員全員に対して、誕生日に市長直筆のお祝いの書を渡した。そんな時の言葉は「独掌鳴らず」である。意味は、一つの手のひらでは打ち合わせて音を鳴らすことができない。「右手は自分(市長)だとすれば左手は職員だ」あるいは「右手が職員だとすれば左手は市民だ」と訴え続けたと語る。
その三沢市では、米軍三沢基地との「共存共栄の街づくり」を進めた。その一つが「アメリカ村」の商店街づくりである。また、三沢市の財政改革を進めるとともに、基地交付金を活用したスポーツセンター等の施設整備や消防車両整備・医療充実、防衛庁予算活用による農業施設の充実や農業振興であった。
まとめ トップに求められる農協運動の心
全農元会長種市一正氏は、「農協運動がなければ農協はいらない」「いくら建物が立派でも事業量が大きくても農協運動がなければ農家組合員は農協を必要としない」と語る。
さらに、農協に農協運動が無いことを職員のせいにするのは良くない。職員はトップの顔色や後姿を見て真似をするものだ。だからトップは、常に職員に対して「農協運動」を訴え、農協運動による事業展開を求め続けなければならない。職員のせいにすることは、本来ならばトップが負うべき責任を、職員の責任に転嫁していることになると語る。
全農元会長種市一正氏は「箸よく盥水(かんすい)を回す」を自らの信念としている。その意味は、盥(たらい)に張った水を1本の箸で回しても最初は箸しか回らない。でも、根気よく箸を回し続けると、周囲の水が少しずつ回るようになる。更にあきらめずに回し続けると最後には、盥の中の水全部が大きな渦になって回るようになる。このことは、トップとしてのあるべき姿だと語る。
また、1979年(昭和54年)2月、青森農業協同組合青年部協議会の委員長に就任した後、30歳台で地元の三沢市農協の理事、専務、そして46歳で組合長となったのは、地域の農業を豊かな暮らしが出来るものに変えたいからで、「一人ではできないから、地域づくりを仲間達とやろう」と思ったからであると語る。
当時の三沢市は、太平洋からの冷たい風「やませ」が吹き付けて良い農作物生産が難しい地域であったが、風の影響を受けにくい地中の作物であるナガイモ・ゴボウ・ニンニク・人参等の産地づくりを仲間と共に進めて、今では全国に誇れる野菜産地となった。
今、コロナ禍での農協のあり方が問われている中、全農元会長種市一正氏が語る「農協運動がなければ農協はいらない」「トップは常に農協運動を語らなければならない」「農協運動のないことを職員のせいにしないで、トップの責任で行う」ことの重要性と、「箸よく盥水を回す」に見るトップの姿勢と、仲間づくりによる農協運動の組織化が求められていることを再認識しなければならない。
中国で行われた青森フェアの視察
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