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『不動の心』を友に示し【農業・歌人 時田則雄】2022年1月4日
私が通っていた小学校の校長先生は考古学者でもあった。3年生の頃、私は先生の書斎の厖大(ぼうだい)な本を眺め、自分は大人になったら父の跡を継ぎ、農業の傍ら本に囲まれて、ものを書いたりして暮らしたいと思った。
獣医師のおまへと語る北方論
樹はいつぽんでなければならぬ
短歌を始めたのは帯広農業高校に入り、石川啄木の歌集と出合ったことによる。啄木の歌は簡明なので石頭にもよく響いた。こんな歌だったら自分でも詠めると思って始めたのである。最初の頃は啄木調の歌を詠んでいたが、その後、30歳くらいまでは社会風刺的な歌を得意になって詠んだ。しかし、あるとき師の野原水嶺に「そんな歌はだめだ」といわれ、間もなく十勝の風土に根差した歌を詠むようになった。先生は「世の中を批判する前に己をよく見ろ」といいたかったのだろうと理解したからであった。
50年ほど前の3月、妻の古里千葉市を訪ねたことがある。十勝の大地はまだすっぽりと雪に包まれていたが、千葉は全く雪がなく、家の周囲では沈丁花が花をあふれるように咲かせていた。私はそれを眺めながら、「日本は広いんだな」との思いを深くした。翌日、義弟の運転する車で房総半島をめぐった。アニメの「日本昔話」に出てくるような小さな山の間をめぐり、瓦葺きの家々を眺めたり、鍬を担いで歩く頬被の似合うお百姓さんと出会ったりして、ここで暮らす人々は穏やかな自然と共に生きているように感じられた。更に外房の波静かな海を眺め、私が生まれて育った北緯40度圏の、冬はマイナス30度にもなる十勝が、異国のように思えたことを今でもはっきりと覚えている。
3日後、私は十勝に戻った。1mくらい積もった雪を削りながら烈風が吹いていた。そうした中に立ち、私は思わず「ここは異国だ」と思った。がしかし、車で自宅に向かううちにそうした思いはどんどん薄れ、「ここが俺の生きてゆくところなのだ」という思いに変わった。途中、神社の境内に樹齢数百年のカシワがある。私にとっては見馴れているカシワだが、そのときは同志のように感じられた。凍土に立つそのカシワの幹の直径は1m以上。太いゴツゴツの枝を伸ばし、地吹雪を真っ二つに裂いていた。そのカシワの不動の構えを眺めながら思った。「この極寒の地で生きてゆくためには、このカシワのような姿勢が必要なのだ」と...。
掲出歌はこのカシワをモチーフに詠んだものである。〈北方論〉とは極寒の大地にガッチリと根を張って生きる百姓の生活論、人生論である。それを論じる相手は牛の匂いの染みついた白衣をまとい、牧場から牧場へジープを走らせる〈獣医師〉であった。
論じ合った場所は酒場ではなく、私の農場のビート(砂糖大根)畑。土の上にあぐらをかき、一升瓶を突っ立て、なみなみと注いだコップの焼酎を呷(あお)り、「そうなのだ、樹は2本ではだめなのだ」「である。樹はいっぽんでなければならぬのだ」と、同じようなことを繰り返したものである。
私は一昨年まで帯広畜産大学の外来講師として、「農村文化論」を講じていた。学生の大方は農家の後継ぎであった。私は学者ではないのでこむずかしい講義などできないので、百姓の先輩としての立場から身近な話をした。「就農したら経営内容を把握すること」「農業分野の外に哲学や文学など幅広い分野に興味をもつこと」「都会の同年代と交流し、嫁さんは自分でみつけること」...。このようなことを述べた後、心の中心に己の哲学の通っている、不動の〈いっぽんの樹〉を育てることが必要なのだ、ということを繰り返して強調した。これらの考えを伝える相手は、十勝の若者に限ったことではない。
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