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JAの活動:第43回農協人文化賞

【第43回農協人文化賞】営農事業部門 あいち豊田農協前代表理事組合長 柴田文志氏 産地づくりこそJAの使命2023年1月30日

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多年にわたり献身的に農協運動の発展などに寄与した功績者を表彰する第43回農協人文化賞の表彰式が1月26日に開かれました。今回の受賞者は24人で過去最多となりました。
JAcomでは、各受賞者の体験やこれまでの活動への思い、そして今後の抱負について、推薦者の言葉や選考委員長の谷口信和東京大学名誉教授のコメントとともに順次、掲載します。

あいち豊田農協前代表理事組合長 柴田文志氏あいち豊田農協前代表理事組合長
柴田文志氏

豊田と言えば車の街...でもトヨタ市ではないのです。豊かな水田の中にトヨタの工場があるのです。カローラ、プリウスなどを作る高岡・堤工場があります。私は水田の広がる米作り中心のJAに就職しました。昭和48(1973)年でした。

初めての仕事はカントリー・エレベーターの担当、そして農事組合法人の設立でした。このころトヨタ自動車の工場進出が増え、トヨタの工場勤務へと激しく農業離れが進んでいました。先輩たちはこれを見ぬき、そんな農地をJAが引き受け、オペレーターグループを結成し、その農地を彼らに集積させようとしたのです。

私はこの受け手のオペレーターを「農事組合法人」として独立・成長させる役割を頂きました。その法人は農事組合法人「中甲」と「若竹」です。法人を設立し、トヨタの成長と共に受託水田は瞬く間に各法人ともに100㏊前後の経営規模に急成長しました。全ての農地をJAが借り受け、法人に再委託という手法です。農地貸借の中間にJAが入ることでの安心感は委託農家にとって絶大なものでした。農地の受委託はこの事例を追認し「利用権設定」へと新法が制定されたのです。

この二つの農事組合法人はさらに発展、規模拡大をし、昭和53(1978)年には若竹法人が日本農業賞特別賞、平成9(1997)年には中甲法人が農林水産祭で天皇杯を受賞しました。そして、今でもこの法人は拡大し続け、利用権設定面積は若竹323ha・中甲470haという全国屈指の経営規模へと成長し続けていますし、この地域にはなくてはならない・頼りになる農業法人です。

私のJAの原点は、この二つの「農業法人と共に」愛知米・「産地づくり」に取り組んだことです。紙面の都合で多くは語れませんが...。

活動紹介「うまい米を作ろう」と農家を説得するために、各地の座談会で、参加農家に「魚沼コシヒカリ」を配りました。もちろん「百姓に米を渡すとは何事だ!」と大変なおしかり。されど「おい、うまいなぁ!」の声続出。農業法人も農家組合員もJAの思いを分かってくれた瞬間です。

農業試験場のOBを営農指導員に迎え、農業法人と共に水稲の品種統一をし、作期分散をする。転作面では各地にブロックローテーションをスタートさせました。最大の課題である「おいしい米作り作戦」では、県下ではじめて米の食味計を入れて「お米の通信簿」で食味診断を始めました。時代の先取りとして「お米の減農薬栽培」も県下に先駆けて営農指導に組み入れました。この取り組みは県内の生活協同組合からの評価をいただき、産消提携米として販路拡大ができ、現在も続いています。

小さく弱い農家が集まり、大きく、強い産地にする。農業協同組合の原点です。私はこの「産地づくり」こそがJAの最大の使命だと心に刻んでいます。

JAあいち豊田は平成14(2002)年に合併した広域JAです。愛知県の面積の約2 割強を管内に持つ、山あり、山麓あり、市街地あり、田園地帯ありの地域です。私が組合長を拝命してからも、その地域にあった産地づくりを一番の目標として取り組んできました。

米作りでは各地域に水稲中心の農事組合法人が設立され、法人と共に米の産地化が出来上がってきました。果樹栽培も光センサーによる選果機導入で桃、梨、柿は県下トップクラスの産地に育っています。条件不利地域の中山間には付加価値を付けて「赤とんぼ米」を立ち上げました。苦労をしていますが、消費者を取り込んで着実に進んでいます。

ただ、野菜の産地化がまだできていません。私は「施設園芸」にこだわり、施設園芸の産地づくりをと着手しましたが、道半ばで退任しました。そのバトンはしっかりと受け取ってもらっていると思います。

最後に私ごとですが、JA退任後、地元で農事組合法人を立ち上げました。ブルーベリー、栗、柿の観光農園という田舎での「産地づくり」です。5 人の仲間で毎日苦労の連続です。71 歳の私にとって今から「桃栗3 年柿8 年」という時間との挑戦ですが、新しい産地づくりをめざして、ここは「頑張ろう」と心に誓っています。愛知県の刈谷ハイウエイオアシスのすぐ近くです。皆さん遊びに来て下さい。

柴田文志様【略歴】
しばた・ふみし 昭和26(1951)年2 月生まれ。昭和48(1973)年 名城大学農学部卒業、同年豊田市高岡農協へ入組。平成3(1991)年営農部長。広域合併の平成14(2002)年あいち豊田農協 参事。平成20(2008)年常務理事。平成23(2011)年 代表理事組合長就任~令和2(2020)年6 月退任。
現職 農事組合法人中田の丘ファーム代表理事

【推薦の言葉】
赤とんぼ舞う田園へ
柴田氏は昭和48 年旧高岡農協に入組し、約46 年間、地域農業の振興と組合運動の強化に全力を尽した。特に水田の維持管理や稲作の生産性向上を目的に、いち早く二つの農事組合法人を立ち上げ生産基盤の維持に努めた。またJAの営農部長として、桃、梨、柿の最新鋭選果機を導入。共販体制を強化し、県下有数の果樹産地をつくり上げた。
平成23 年からJAあいち豊田の組合長を3期9年務め、この間、ふれあい推進部を設置して、ふれあいまつりや農業体験イベントなどを企画し、准組合員の加入促進の運動を積極的に進めた。
また福祉事業では、女性組織と協力し、介護予防のためのミニデイサービスや病院ボランティア活動を強化するなど地域貢献活動でも実績を挙げた。農業振興面では、「赤とんぼが舞う田園風景」復活のため、減農薬栽培による環境保全型農業に取り組み、特別栽培米「赤とんぼ米」の栽培を推進した。

【谷口信和選考委員長の講評】
柴田氏は日本の水田農業の構造改革で金字塔をなす中甲・若竹という二つの農事組合法人の設立・発展に多大の貢献をされました。1JAで複数の巨大な農事組合法人の設立は他に類例がありません。農協人文化賞選考委員長の前任者である今村奈良臣先生の研究室にいた私がどれだけこの法人の名前を繰り返し聞いたか分からないほど、農地流動化の事業において二つの法人の果たした役割は巨大です。今村先生がご存命ならば、涙を流して喜んだに違いないと思います。

第43回農協人文化賞

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