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JAの活動:第43回農協人文化賞

【第43回農協人文化賞】営農事業部門 福岡・筑前あさくら農協前組合長 深町琴一氏 「耕し続ける」信念が力に2023年2月2日

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福岡・筑前あさくら農協前代表理事組合長 深町琴一氏福岡・筑前あさくら農協前代表理事組合長
深町琴一氏

「あんたのとこのJA、大変なことになっとるね!」「テレビに映っとるばい!」次々に県内のJA組合長から電話が鳴る。事の重大さと、実際の情報を整理し結びつけるのに必死だった。

平成29(2017)年7月5日から6日にかけて発生した線状降水帯による九州北部豪雨災害。私の農協人生50余年の中でもこんなにショッキングなことはなかっただろう。山のすそ野に広がる果樹園を山からの大量の土砂や流木が押し流し、それらが平地の田畑やハウスを埋め尽くす。農地だけでなく、多くの組合員の住居や農業倉庫、農機具、すべてを押し流してしまった。尋常ではない被害だった。現実のものと思えなかった。

私は昭和45(1970)年、合併前の旧甘木市農業協同組合に入組し、営農指導員として第一歩を踏み出した。生産者の営農改善に取り組み、農業所得向上のために何ができるか、絶えず試行錯誤の毎日だった。既存の農作物をどう工夫し、どう指導すれば農家所得が上がるか、時には新しい品種を取り入れ、時には開発した農地に農家を誘導し、新たな生産拠点も作った。

一方でJA職員としての資質向上にも努めた。若手職員を対象にした青色申告勉強会を朝の6時から開催し、自らが講師となり営農指導員教育を行った。また積極的に他産地に足を運び、栽培技術の向上や新たな創意工夫のヒントも学んだ。

その後甘木市農協「博多高級青ねぎ部会」を始めとした2部会を、朝倉町農協「博多万能ねぎ部会」を中心として部会合併を実現し、さらなる販売促進と面積の拡大を図りトップブランドとしてのゆるぎない地位確立と部会発展(平成5年には販売高12・5億円)に尽力した。特に販売促進のために自ら生産者を連れて上京し京浜地区の卸売市場などで仲買人に直接PR。さらに量販店の店内で消費者に直接、試食宣伝を行うなどマーケティング活動に励んだ。

平成19(2007)年筑前あさくら農協の経済常務に就任後は朝倉産富有柿のタイ国への輸出開始。平成25(13)年には「販売開発課」を設置。市場外流通にも積極的に取り組み、量販店やインターネット販売などの直接販売、農産物の加工品開発を強化し、直売所での販売や菓子メーカーへの一次加工品提供など販売チャネルの多角化にもつなげた。

JAの存在意義は農業振興にある。JA職員の存在意義は農家の所得向上にある。そのゆるぎない信念が平成29(2017)年九州北部豪雨からの農業復興のために何でもやると私を奮い立たせてくれたのだろう。

被災後すぐに「豪雨災害対策本部」をJA内に立ち上げ、JAの施設を含めた管内組合員の農地・生活被害状況や物資の状況、それらの情報を収集する中で今JAに何ができるのか、連日協議を行った。その結果として避難所への物資提供や建物共済保障の一括査定、被災農地への人的支援、被災集落組合員との緊急懇談会などを早期に行うことができた。

同年10月には災害対応を一元化させるため「災害復興対策室」を新たに設置、さらにその中でJAの取り組みとしては全国初の農地復旧を専門とする「JA農業ボランティアセンター」も開設した。

復旧作業に力を発揮したJA農業ボランティアセンター復旧作業に力を発揮したJA農業ボランティアセンター

特に災害復興対策室には災害からの地域農業復興策を具体的に進めるよう指示を行った。

被害に遭った農地を単に以前の状態に戻す「復旧」で終わらせてはいけない。この一度ゼロと化した農地について、災害を機に品目を変える、規模拡大を図る「振興」を図らなくてはならないと絶えず言い聞かせた。そこでたどり着いたのが「JAファーム事業」という新たなシステムである。

復興の旗印となった「JAファーム事業」復興の旗印となった「JAファーム事業」

今回の災害で被害が大きく、早期の復旧・復興が困難なのは果樹農家(特に柿農家)であった。そこで被災地区を中心に耕作放棄地や遊休地を見つけ(立地的に安全である場所が前提)、JA自らが借り受け、さらに園芸施設(ハウス)を建設。そこに被災者の中から希望者を募り、「ファームディレクター」として入植してもらった。ハウスではアスパラガスを定植し、災害復興対策室には土づくりから細かい管理作業に至るまで付きっきりで指導させた。果樹農家にとっては慣れない野菜作りであったが、しっかり頑張ってくれた。ファームディレクターは2年間の作業委託契約期間に栽培のノウハウを学び、そのハウスもろ共、受け継いで独立してもらう。このシステムで令和元年から3年までの3年間で9人40棟(約100a)の新たな実績を形として残すことができた。

私はその独立した女性生産者のひとり、井上麻美さんのひと言が忘れられない。「被災し、義父と主人が管理していた柿園が崩壊し、この先の農業経営をどうしようかと迷っていた時、JAの後押しがあってよかった。今では土から顔を出したアスパラガスが愛おしくてしょうがない」JA運動の神髄、喜びはそこにあると思う。

私は昨年6月でJA運動の第一線から退いたが、組合員の農業所得向上のために「耕し続ける」という信念は営農指導員の後輩たちに受け継いでほしいと思っている。上記ファーム事業も第2弾として果樹での新たな展開を見せるそうである。混沌とした国際情勢、厳しい国内農業情勢もあり、これからのJA運営は困難を極めるであろうが、その時代に応じた知恵を絞り、農家所得向上のため、地域農業振興のためブレない信念のもとJA運動に邁進してもらいたい。

深町琴一様【略歴】ふかまち・きんいち 昭和25(1950)年1月生まれ。昭和45(70)年4月甘木市農業協同組合入組、平成6(94)年4月筑前あさくら農業協同組合合併、営農企画部長、平成19(2007)年6月経済担当常務、平成25(13)年6月代表理事組合長、平成30(18)年から令和3(21)年全農ふくれん副会長、令和4(22)年6月退任

【推薦の言葉】
大水害で指導力発揮
深町氏は平成19年、JA筑前あさくらの経済担当常務理事に就任すると、販売開発課を新設して販路の開拓に取り組み、特に市場外流通に積極的に乗り出した。それは現在のインターネット販売、ふるさと納税返礼品拡大のきっかけとなった。また平成21年には、当時まだ珍しかった冷蔵柿のタイ国への輸出に取り組み、日本の農産物輸出の先駆けとなった。
平成29年7月、JA管内も「九州北部豪雨」に見舞われ、組合員の家屋と田畑、果樹園が甚大な被害を被った。生産者の喪失感は大きく、地域農業の衰退が危惧されたが、同氏のリーダシップで、いち早くJA内に災害復興対策室と農業ボランティアセンターを開設した。全国のJA関係者などの支援を受けた生産者は、意欲を回復し、地域農業衰退の危機を脱することができた。平素から同氏の「地域と共に」という強い信念による行動と職員の協力がその原動力となった。

【谷口信和選考委員長の講評】
深町氏が類まれな指導力を発揮したのは2017年の九州北部豪雨災害からの復興で実施した「JAファーム事業」です。被災した耕作放棄地をJAが借り入れて園芸施設を建設し、被災者から「ファームディレクター」と名付けた入植者を募って、JAの徹底した指導の下に2年間のアスパラガスの作業委託を実施し、ハウスを継承して独立してもらう方式で、3年間に9人、40棟(1ha)の実績を上げたことです。組合員のためのJAという姿が実現されました。

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