JAの活動:第44回農協人文化賞
【第44回農協人文化賞】初一念は最後の一念 特別賞 鹿児島県・JA鹿児島県中央会元専務 松本秀一氏2023年12月25日
多年にわたり献身的に農協運動の発展などに寄与した功績者を表彰する第44回農協人文化賞の表彰式が11月30日に開かれました。
JAcomでは、各受賞者の体験やこれまでの活動への思い、そして今後の抱負について、推薦者の言葉とともに順次、掲載します。
JA鹿児島県中央会元専務
松本秀一氏
平成元(1989)年に「12JA構想」が大会で決議された。当時90あるJAを郡(市を含む)域に再編することとなった。私はその時経営指導課長だった。合併を進めるためには、合併条件の整備と合併後の指針を作る必要があった。
合併の阻害要因は不良債権と役職員の処遇にあった。不良債権処理は経営問題と責任問題からなかなか進まなかった。そこで農家の不良債権については中央会が認定し、経営再建可能な農家には5年間償還棚上げ(その間の利息は補てん)を、再建困難な農家には回収不能額の二分の一を県連が支援して償却する債権償却制度を創設した。「皆で渡れば怖くない」と県下一斉に進めた。その結果、平成4(1992)年度の県下JAの決算は49億円の赤字となった。債権棚上制度は140件43億円。
債権償却制度はその後も延長し、716件260億円を認定した。この制度によって不良債権の処理が一気に動き出した。次に給与体系と退職金制度並びに労働条件の整備を進めた。特に給与体系を標準化するとともに退職金の支給基準を統一できたことは大きな成果だった。さらに今まで経験したことのない大型合併だったので、合併後の指針となるよう「合併JAの組織・事業・運営のあり方」を作成した。執行体制、組合員参画、支所出張所の統廃合、内部統制や各事業のあり方などを整理し合併JAのテキストとした。
平成4(1992)年度に3JA、5(93)年度は一部の不参加はあったが7JAが誕生した。しかし薩摩地区は手付かずであった。JAさつま川内市が多額の不良債権を抱え、県から業務改善命令を発出せざるを得ない状況だったのだ。当時はまだ鹿児島市農協問題を抱え、県も中央会も支援はまばらか表沙汰にできないとのことであった。私はその時経営監査部長であったが、JAの再建と合併実現をすべくJAさつま川内市に参事として派遣された。組合長、参事2人、金融部長など幹部7人に辞めてもらい、着任した日に理事会を開催。不良債権の処理方法、不採算事業の廃止、不稼働資産の処分、役員報酬の返上、職員の削減など再建策を決定してもらった。JAが抱えている問題を明らかにし、役職員一人ひとりが課題解決のために一致団結して取り組むこととした。組合員も動揺していたので集落座談会や生産部会を繰り返し実施して理解と協力を求めた。隠し事をしないで問題点を明らかにし、組合員の意見を聞きながら誠実に対応した。そのかいもあって3年で再建の目途がつき4JAの合併が実現した。私は合併JAで引き続き参事に就任し、1年後に中央会に復帰。
大島地区JA合併予備契約調印式
中央会で参事兼合併対策本部長として合併JAの育成と2次合併・3次合併を進めた。そして常務に就任すると、JA高山町問題の処理に取り組んだ。JA高山町は肝付地区の合併に参加せずワンマン組合長のもと独自路線を歩んでいたが、畜産農家の不良債権を多く抱え債務超過状態に陥っていた。平成17(2005)年のペイオフ完全実施を前に、このままでは貯金保険事故が免れず大変な事態に陥ることが想定された。私は貯金者と組合員を守るため処理スキームを作った。県連による多額の支援が想定されたので、中央会に特別委員会を設置し、県下挙げて取り組むことにした。組合長を解任し役員責任を追求したが隣接のJA鹿児島きもつきが合併を拒否したので事業を譲渡して解散するしかなかった。
事業譲渡に向けてJA高山町の全ての資産・負債を悉皆(しっかい)調査し、全事業を洗い出し、農家の経営実態を詳らかにするとともに経営改善計画の策定をすすめた。
私は臨時総会に向けて全ての座談会に出席し、組合員の理解を求めた。総会では380人の組合員が出席し365人の圧倒的多数の賛成で議決された。①出資金は全額減資。ただし隣接JAに加入する組合員には50%相当額を支援②職員は全員解雇。退職金は全額支払い再雇用を斡旋③隣接JAが引き継がない債権・債務・事業及び固定資産は信連・経済連が買い取る。この結果、県連は36億円を支援することとなった。この作業のため中央会・各連から200人を超す職員が動員された。なお役員責任については、理事・監事13人に5300万円の負担をお願いし、組合長には損害賠償請求訴訟を起こし、4億2800万円の賠償が確定した。
JA高山町の経営破綻に伴い多額の支援をすることになったが、今後このようなことを繰り返さないため、私は経営破綻を未然に防止する県域ルールを作った。早期是正措置やJAバンク自主ルールを大幅に上回る厳しい措置である。全てのJAの経営課題や財務状況を明らかにし、皆で問題点を共有し、JAをランクづけし、それに応じた義務を負わせることとした。特に未合併JAには合併を促し、合併する場合は応分の支援、合併せず経営破綻した場合は全ての責任を役員が負うことをJAの理事会、総会で決議させた。
このこともあって、翌年には大島地区一円(5島7JA)の合併、熊毛地区(2島3JA)の合併を実現することができた。
私は昭和44(1969)年に中央会に入会、昭和で20年、平成で20年「持続可能なJAをつくる」という一念で仕事をしてきた。まさか私が農協人文化賞を受賞するとは夢にも思わなかった。ただ目の前の課題解決に取り組んできただけだったから。
【略歴】
まつもと・しゅういち
1945年11月生まれ。69年3月鹿児島大学農学部卒業。同年4月鹿児島県農業協同組合中央会入会。88年4月経営指導課長、その後経営監査部長を経て、92年12月JAさつま川内市参事。96年4月農協連監事室長など歴任。4年6月中央会常務理事就任。その後、専務理事を経て08年6月退任。一貫して経営指導部門を歩む。
【推薦の言葉】
「胆識」の持ち主
松本氏は、1969年4月に鹿児島県農協中央会に入会。1987 年、42歳で経営指導課長に就任し、91年に経営監査部長となった。当時、取り組んだ案件には、県内の農協の横領事件・使い込み・不正融資・融資の焦げ付き・不良債権処理・農協の役員抗争などがある。合併推進では、92年に3地区、翌93年に6地区で広域JAが誕生した。そうした中、薩摩地区はJAさつま川内市に多額の不良債権があり、鹿児島県と協議した結果、経営監査部長である松本氏自らがJAの参事として出向して解決にあたり、大手術して再生させた。また、養豚経営法人などへの多額の貸し付けが不良債権化したJAを解散・事業譲渡を実現した。
松本氏の手腕と業績を高く評価した鹿児島県は、中央会の専務退任前に農政担当参与に委嘱した。松本氏の元上司、八幡正則氏は「世に見識ある人は多い。だが事に当たり、見識を生かすべく決断し実行する人は少ない。『胆識』がそなわらないからである」「松本氏は初一念を最後まで貫き通す胆識の持ち主である」と評す
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