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JAの活動:食料・農業・農村 どうするのか? この国のかたち

【食料・農業・農村/どうするのか? この国のかたち】京大准教授 藤原辰史氏 世界の難問に立ち向かう主役は農業2024年7月10日

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飢餓と貧困、そして気候危機に日本の農業がどれだけ貢献できるのか。自国の食料確保はもちろん重要だが、地球規模の課題に応える日本農業のこれからの挑戦も「この国のかたち」に関わる。農協の役割も含め藤原辰史氏が提起する。

藤原辰史氏藤原辰史氏

世界視野で農を考える

日本農業が目指すべきことは、日本だけが幸せになることではない。いまの自分だけが幸せになることでもない。日本を含む世界の貧困者、飢餓者のくらしを改善し、豊かにする日本農業を目指すべきであり、自分の死後の農村が住みやすくなるような地域も耕す農業を目指すべきである。

日本国憲法前文にはこう書いてある。「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」。「専制と隷従」を促進するのではなく、解消するのが農業の役割である。では、日本の農業は、どこまで世界の貧困者や飢餓に対して闘ってきただろうか。

なぜ飢えはなくせない

世界中の食料が世界中の人間を養えるほど生産できているのに餓死者を4秒に1人のペースで生み出しているのは、多くのジャーナリストが述べているように、グローバル・フードシステムにほかならない。世界中の農民に高価な欧米産技術を押し付け、借金を増やし、世界中の消費者にたっぷりの広告代と有名人の広告出演料とプラスチック代を支払わせるシステムのことである。それが、世界中の低所得者と貧しい農民に、巨大企業への隷従を強いている。世界中の農作物を巨大な倉庫に集めて管理し、投機で儲ける穀物メジャーのやり方を否定すること。食べものは投機の道具であってはならない。世界の技術と、欧米産の農機具、化学肥料、農薬、種子の四点セットを普及し、「飢餓を救うためです」と言って経済途上国から大量のお金を吸い上げるやり方を否定すること。こうやって、インドやソマリアの農民たちは借金を強いられ、財産を失ってきた。

グローバル・フードシステムに日本が加担したところで、世界の貧困地帯の農家はもちろん、日本だって幸せにならない。農業は本来、アウトソーシングではなく、インソーシングを徹底させる産業であったはずだ。テクノロジーありきの農業は世界の農民の格差を広めるばかりで、正直、いまの若者の関心から外れていく。

若者の理念に耳を

そんな日本の、理念のない農業には若者は期待をせず、就農もしない。高校や大学を出た学生で、農業をやって世界を少しだけでも変えたいという人は年々少しずつ増えている、と、私のところに相談に来るたくさんの若者たちをみていると思う。農業をやりたいという若者の声に耳を傾けてほしい。妨害をしないでほしい。彼らにはお金も権威もないが、理念だけは豊富にある。もちろん、現実が厳しいことは百も承知である。だが、地球環境破壊という世界的課題に立ち向かいたい。無縁社会という社会の課題に立ち向かいたい。エコロジカルな力が眠る農村からこそ大胆な試みが可能なのだし、そこから都市を、そして世界のフードシステムを変えられると思っている。

もしかしたら、ベテランの農民のみなさんは言うかもしれない。現実は厳しいのだ、理想論はいいけれどまだはやい、と。だから若者は近寄らない。大人が待ったなしの地球環境問題から逃走し、関係貧困に陥った若者の自殺の問題から目を背けているかぎり、若者はあなたに「助けて」といえない。「助けて」から逃げてはならない。世界的難問に立ち向かう主役は、自然と人間を往還する農業や漁業や林業だ。若者が使命感を抱いても当然だろう。日本政府はそのような若者たちの姿をきちんと評価し、グローバル・フードシステムを崩す世界貢献産業としての農業を価値づけていくべきだろう。

日本の農協もやるべきことも多い。農協がやることは、原料が他国の肥料を買うことではない。原料が化石燃料の肥料を買うことでもない。石油由来の肥料を買っても、石油産出量は限りなくゼロに近い日本を富ますことはできない。そうではなく、国内産の自然肥料、地域で流通する種子の交換を普及することである。農家のふところに日本銀行券を増やすばかりではなく、関係資本を増やすことである。地域通貨、人間関係、農業をする尊厳、それらに労力を費やすべきだろう。

不耕起農法の関心も若者は高い。研究機関もまた、世界で広まりつつある不耕起農法の実験を支えなければならない。生産量をほどほどに保ちつつ、休耕地を利用して、環境負荷のかからない農業を目指していくために。世界の農業先進国と比べて比較的小さな圃場の日本こそ、その実験にふさわしい。

農協がやるべきこと

農協がやるべきことは、世界中の貧困者の生命であがなわれた、グローバル・フードシステムを支えることではない。それを分解し、自然の力に根ざした小さなフードコミュニティを作ることだ。だって、協同組合ではないですか。資本主義の横暴を批判して生まれた協同組合が、資本主義的思考になってどうするのですか。

農協が雇うべき人材は、事務方だけであってはならない。高卒と大卒の若手実験農民を大量に雇って、農協直営の有機農場で働いてもらい、きちんと給与を支払い、収穫物は地元の給食調理場に購入してもらって、日本の有機農法・自然農法の割合、そして若手の生産者の割合を農協の力で上げるくらいの改革を構想できないだろうか。そうしなければ、ここ五年の日本農業崩落の危機には間に合わない。

農業はマルチタスク

アメリカのジャーナリスト、ラジ・パテルは『貧困と飢餓』のなかで、このフードシステムを砂時計にたとえている。膨大な生産者と膨大な消費者をつなぐのは、砂時計のくびれにある、多国籍企業である。くびれには資本と情報と高価な農業技術が集まり、安価な穀物をここから輸出し、膨大な利益を得ることができる。

ブラジルの大豆畑をみれば、「勝てない」と農業経済学者は言う。本当だろうか。どんなルールで勝負しようと思っているのだろうか。それよりも、砂時計に穴を開けねばならない。穴をあければ、直接消費者に届く。くびれを通さないつながりを生み出さねばならない。

経済合理性という狭いところで勝負するなら、負けは確定している。農業には、人間関係を増幅する機能、自然と人間の物質循環力を高める機能、机上教育に厚みを持たせる機能、リタイアした世代の健康を保持する機能(介護施設や病院施設にはもっと農園を導入すべきだ)、コミュニティを醸成する機能、生産者に誇りを持たせる機能(日本には人から誇りを奪う仕事が多すぎる)、地域の景観を保持する機能がある。

農業はマルチタスクだ。日本中にブラジルの大豆畑のような景色が広がるとしたら、それは単純に美しくない。景観とは、刹那的に形成されるものではない。長い時間をかけなければならない。自分の人生の終わりの後を見据えている格好いい人びとの多い農村の景観は美しく、現在の経済性を追求するばかりの都市の景観は単調で、面白くない。価値観が大きく変わりつつある若者は、自分が老人になったあとを見据えた美しい農村に住みたいと今後思うだろう。農業の抜本的な変化を恐れてはならない。

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