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JAの活動:第45回農協人文化賞

【第45回農協人文化賞】「出会い」から「創造」へ 一般文化部門・茨城県・JAやさと組合長 神生賢一氏2024年8月8日

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多年にわたり献身的に農協運動の発展などに寄与した功績者を表彰する第45回農協人文化賞の表彰式が8月6日に開かれた。
JAcomでは、各受賞者の体験やこれまでの活動への思い、そして今後の抱負について、推薦者の言葉とともに順次、掲載する。

茨城県・やさと農業協同組合代表理事組合長 神生賢一氏

茨城県・やさと農業協同組合代表理事組合長 神生賢一氏

「縁」とは人生を左右するほど貴重である。多くの出会いから学び、助けられ豊かな生き方につながったと実感する人は多いと思う。私自身も人生の折々に仲間を作り、組織の力を生かして生活し仕事をして来た。そして相互扶助の精神が社会生活を送る上で重要なことを知った。来年は国際協同組合年、協同の大切さを再確認する年にしたいものである。

私は筑波山の東、八郷盆地に農家の長男として生まれた。石岡一高農業科を卒業し、千葉大園芸学部農業別科に進んだ。高度成長期で花き園芸が注目されていたので専攻もそれを選んだ。大学の先輩が愛知県西尾市でバラの切り花経営をしているから研修に行ってみないかと先生から勧められ2年間、全国から集まった同世代の仲間とバラの栽培を研修した。1974年、茨城県に戻り350坪のビニールハウスを父母や親戚そして友人の力を借り、自ら建設してバラの切り花経営を開始した。農業後継者グループである山根4Hクラブの12人は月一回の定例会を各家の回り番で行い、情報交換をして交流を深めた。酪農、肥育牛、施設キュウリ、露地野菜、水稲など作目は違っても農業という共通点がありお互いに励まし合い、助け合って生涯の友となった。農協の職員との話し合いや結びつきもできて、共に地域の農業の将来について考え、夢を語った事も印象に残っている。

「第52回日本農業賞」集団組織の部でJAやさと有機栽培部会が最高位の大賞を受賞「第52回日本農業賞」集団組織の部でJAやさと有機栽培部会が最高位の大賞を受賞

私のバラ栽培と言えば愛知県とは気候も違って栽培には苦労した。当時、県内には10人ほど生産者がいたが県の指導もあって茨城県バラ切り花研究会を設立して頻繫に集まりをもって技術研鑽をした。80年代は景気上昇もあり、多くが規模拡大して専作経営となった。生産者も増えて県内で20人を超え、研究会は順調に活動を展開した。地域での仲間づくりでは4Hクラブや青年団の活動も活発だった。石岡地区4Hクラブ連合会会長をさせて頂き、県内の各種団体と交流が拡大した。

県主催の海外派遣事業の事後活動の組織である「茨城県つばさの会」に関われたのは大きな経験である。40歳の時に「茨城県農業経営士」の委嘱を受け、茨城のバラの産地化を図るために多くの研修生を受け入れた。本県でバラの全国大会が開かれた1993年には茨城県バラ切り花研究会の会員数は50人となった。共同出荷体制整備も図り、2000年には大田市場向けに近隣の生産者も加えて、やさと農協で7人の出荷組織ができた。その後、日本ばら切花協会の会長を務めさせて頂いたが、バブル経済崩壊後の単価安と海外からの輸入の増加で会員の経営は厳しくなった。その苦境の時、静岡県や愛知県、福岡県など農協の組織が強い産地は有利販売ができた。また山形県や栃木県、群馬県、長野県なども銘柄産地として存続した。品質の良さと規格の統一が基本であるがロットの多さと安定出荷が市場の信頼につながり高単価を維持できるのだと思った。それからも東日本大震災、コロナ禍などで打撃を受け、国内生産は減少している。花き園芸業界は世の中の景気や流行に大きく左右される。食料は生きていくのに欠かせないものであるが花や緑も心のやすらぎと豊かさのために必要なものであると思う。消費宣伝に努め、欲しくなるものづくりを心がける事が大切である。

台湾の台中市にある石岡と言う同名の農会(日本の農協)と昨年、友好同盟を締結

台湾の台中市にある石岡と言う同名の農会(日本の農協)と昨年、友好同盟を締結

やさと農協管内は自然豊かな地域で農業をはじめ、林業なども盛んだ。商工業、建設業など様々な職業を生業としている。これらが連携しての未来を描いていく事が魅力ある地域作りにつながる。若い頃「田園ネットはちまき」という異業種交流の町おこしグループで活動した。同じ地域で同じ時代を生きる住民が様々な意見や考え方をぶつけ合い、切磋琢磨(せっさたくま)して輝く「やさと」を創っていきたいと考えたのである。現在は「八州フォーラム」と名称を変えて交流を続けている。

農協の理事を務めさせて頂き、10年が過ぎた。この地域の農業の移り変わりと共に農協の経営も変わってきた。しかし米はいつも基幹作物であり続けて組合員をつなぎ、地区をまとめている。平均すると1haにも満たない耕作面積であるが価格や担い手の確保など住民の関心は高い。機を逸せずに土地改良区や行政と連携して水田の維持管理の方策を探りたいと思っている。

やさと農協は少量多品目の産地である。それを組織の力で付加価値を付けて有利販売しようと先輩たちが努力して来た。総合産直の取り組みに始まり、有機栽培部会の設立や夢ファームの新規就農者育成の仕組みづくりに発展した。JR東日本や東都生協を始めとする生活協同組合とのつながりは貴重な財産である。販売先を確保して信頼関係に基づいて生産が行われる産地づくりを目標としている。大きな時代の変化を受けて農協もまた姿を変えて行かなければならない。その設計図をこれからも人脈や出会いから創って行こうと思う。

【略歴】
かのう・けんいち
1953年3月生まれ。千葉大学園芸学部農業別科修了。1974年バラ切り花経営開始、2014年4月やさと農協理事、2017年4月専務理事、2020年4月代表理事組合長。

【推薦の言葉】筑波山ろくでトップ営業

神生賢一氏は、千葉大学園芸学部卒業後、バラの切り花経営を開始。日本ばら切花協会会長として国産品種育成、販路確保に尽力してきた。

JAでは筑波山ろくの豊かな自然を生かした農協運営に貢献。2017年に専務理事就任後、説明会を繰り返して理解を広め支所・出張所の統廃合を完遂、「梨産地」を残すため梨選果場の統合も実施した。

加工事業では業務用カット野菜工場を稼働させ、トップセールスで売り上げを3.3億円まで伸ばし、「ミールキット」の製造・販売も始めた。

有機栽培にも注力し、昨年度の販売高は2億円にのぼった。31人の部会員全員が有機JAS認証を取得し、30~40品目を栽培。部会で生産を調整、注文管理や発送、代金回収などはJAが行っている。学校給食で子どもたちに食べてもらおうと有機米研究会が発足し、6.3㌶作付け、1俵2万円以上で取引された。

コロナの影響で来客が減った「やさと温泉ゆりの郷」(指定管理を受託)もトップ営業で客数が戻りつつある。

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