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JAの活動:食料・農業・農村 どうするのか? この国のかたち

「山河」を失う日本人 人口減の先にくる光景 内田樹氏【食料・農業・農村/どうするのか? この国のかたち】2024年8月19日

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安倍政権下では少子高齢化を国難だとして解散総選挙を強行したことがあった。しかし、内田氏は「いずれ起きると分かっていながら手を拱いていた政府」の無策であり、人口減少を自然災害のごとく位置づける意識を批判する。それどころか過疎地が無住地となることにビジネスチャンスを見出す財界を政府は傍観していると指摘、このままでは「還るべき山河」を日本人は失うと警告する。

内田樹氏

内田樹氏

人口減問題について語って欲しいと講演に呼ばれることが多い。そのつど今日本が直面しているのは人口減問題ではないと言う話から始める。少し前まで「人口問題」というのは「人口爆発問題」のことだったからだ。

1972年にローマ・クラブが発表したレポート「成長の限界」はこのまま人口が増え続けると地球環境は人口負荷に耐えられなくなると警鐘を鳴らしていた。だから、その頃はどうやって人口を減らすのかが人類的な急務だった。ところが、90年代になって大学の教師になったら今度は「18歳人口が激減するので、大学の維持が困難になる」と言われた。どうやって人口を増やすかが問題だという話になった。

ちょっと待って欲しい。いったい日本の人口は多過ぎるのか少な過ぎるのか、どちらなのか。日本列島にとって「ちょうどよい人口」というのはあるのか。あれば教えて欲しい。その「適正人口」より多ければ減らすことをめざし、少なければ増やすことをめざすというのならわかる。でも、「日本の適正人口」を誰も教えてくれなかった。適正数が知られないままに人口が「多過ぎる」とか「少な過ぎる」ということは論じることは可能なのか?

現時点での人口が既存の社会システムとうまく整合しないということはあるだろう。だが、人口動態というのは最も予測が安定した統計である。四半世紀くらい後までの人口はほぼ正確に予測できる。ならば、その予測値に対応できるようにシステムをフレキシブルなものに設計しておけば、先行き不整合は起きないはずである。でも、起きた。なぜか。「その予測値に対応できるようなシステム」を準備する努力を怠ったからである。少なくとも大学ではそうであった。18歳人口がいずれ減ることがわかっていながら、大学はどこもひたすら定員を増やし、教職員を増やし、キャンパスを拡大して、「18歳人口が減り出したらたいへん困ったことになる」ようなシステムを孜々として構築していた。なるほど、私たちが直面しているのは「人口問題」そのものではなく、「人口問題に取り組む側の知性と想像力の問題」なのであった。

今地方が直面している急激な少子高齢化問題も同じである。そういうことがいずれ起きると分かっていながら手を拱いて何もしてこなかった政府と自治体の知性と想像力の問題である。

だから、少子高齢化をあたかも台風や地震のような自然現象と同列に論じるのは止めて欲しい。こうなることはだいぶ前から分かっていたのだけれど、適切な手立てを講じてこなかったというだけの話である。

現に、日本政府部内には省庁を横断して人口問題を扱うセンターが存在しない。少子化担当大臣がいて、こども家庭庁という役所は存在するが、国難的事態に総力を挙げて取り組まねばならないという気迫は少しも感じられない。

地方自治体はともかく、政府はこの問題にまじめに取り組む気はない。それは人口減問題については、政官財の間では政策が決定済みだからである。それは「首都圏に人口を集中させ、地方は過疎化・無住地化する」という政策である。別に議論を重ねた上に得られた結論ではない。政策的な介入をしないで、市場に「丸投げ」していれば必ずそうなるから、それに任せるというだけの話である。

現在過疎地に暮らしている人たちは「住民サービスの低下」を受け容れるように言われている。公共交通機関は次々と廃止され、病院や学校は統廃合されている。いずれ警察も消防も撤退するだろう。道路の整備も間遠になり、やがて橋が落ちても、トンネルが崩落しても、「わずかばかりの住民の利便のために税金は使えない」言う人たちが予算の配分に反対するようになるだろう。過疎地に住んでいるのは住民の自己決定であり、それゆえ不便に耐え忍ぶのが自己責任の取り方だと新自由主義者たちは意気揚々と語り、多数の市民がそれにぼんやり賛同するだろう。そうして地方は文明的な生活が不可能な土地になり、やがて無住地化する。国交省は2050年には国土の62%が無住地になると予測している。

地方の無住地化を政府が傍観しているのは、それが巨大なビジネスチャンスだからである。無住地なら、太陽光パネルを敷き詰め、風力発電の風車を建て、原発を稼働させ、産業廃棄物を棄てることができる。地域住民というものがいないのであるからもう生態系に配慮する必要がない。少数の地域住民が残るとコストがかかる。だから、過疎地より無住地の方が望ましいのである。財界がそれを望んでいるなら政府に止める理由はない。それを公言しないのは、公言すれば地方の選挙区すべてで議席を失うからである。だから、黙って人口減による無住地の拡大を願っている。

それがこれから日本列島で起きることである。「国破れて山河あり」と言うが、いずれ日本人は還るべき山河そのものを失うだろう。

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