【韓国 新大統領就任】経済再生への壁 韓米FTA2017年5月30日
若者の不満爆発政権交代実現
立教大学経済学部郭洋春教授
韓国では5月9日に大統領選挙が行われ文在寅(ムン・ジェイン)氏が当選、翌10日に執務室に入り新大統領に就任した。本来であれば韓国大統領選挙はこの年末に実施され新大統領は来年誕生する予定だった。しかし、朴槿恵(パク・クネ)前大統領が友人に国家機密を漏らすなどの政権の不正に対する史上最大規模の国民抗議デモなどがきっかけとなって国会が大統領を弾劾訴追、任期途中の罷免が決まったことから今回の選挙が実施された。新政権への引き継ぎ期間もなかったことから全閣僚がまだ決まらないなど新体制には不透明な部分も多いが、当選後の支持率は8割近くを占めるなど、社会的平等やクリーンな政治の実現、そして雇用創出など経済再生への国民の期待は高い。韓米FTAによる農業をはじめとする経済への影響も含め、韓国社会の現状と新政権の課題などを立教大学経済学部の郭洋春教授に聞いた。
新大統領の政策 雇用創出を最重視
◆「七放世代」とは?
文在寅氏は革新系最大野党「共に民主党」の前代表。大統領就任によって9年ぶりに保守政権から革新系へと政権が交代した。選挙で争点となったのは核やミサイル開発を続ける北朝鮮への対応とともに、厳しい経済状況である。
韓国統計庁が3月15日に発表した2月の失業率は全体では5%だったが、若者層(15歳~29歳)で12.3%にものぼった。アジア通貨危機(1999年)の時の135万人を超える136万人超となった。18年ぶりの高水準で就職をあきらめた若者を入れると実質失業率は20%を超えているともいわれており、深刻な就職難だという。
選挙で文氏は10大公約を掲げた。その第一は雇用創出、そして最低賃金の引き上げ、財閥改革などと続く。重視したのは内政、とくに経済政策であることが分かる。
「選挙中は北朝鮮寄りではないかなどの批判もあり、保守系も取り込んだ野党第2党『国民の党』の安哲秀氏が追い上げたこともありましたが、最終的には文氏の圧勝でした。今の韓国の人たちは、政治的な問題も大切だが、やはり相当に経済が厳しく、それが彼を大統領に押し上げた要因でしょう」と郭教授は分析する。
韓国では今、「9988」という数字が流行のように語られているという。企業の99%は中小企業であり、労働者の88%はその中小企業で働いているという意味だ。裏返していえば大企業は1%であり、労働者のわずか12%を雇用しているだけ、という韓国の現実を突きつけた数字である。リーマンショックを機にウォールストリートの一角を占拠して「1%対99%」が今の社会だと世界に向けて告発したのと同じ文脈の韓国版である。
若者はさらに深刻で最近では「七放世代」と言われるという。「放」とは投げ出す、あきらめるという意味だ。しばらく前は「五放世代」といわれた。経済的に苦しく、恋愛、結婚、出産、夢、人間関係の5つをあきらめざるを得ない世代とされた。そこにマイホーム、就職も加わったのが最近の七放世代なのだ。
◆所得増で経済成長
郭教授によると韓国では非正規労働者は800万人と3人に1人の割合だという。日本でもかねてから問題になっている働いても楽にならないワーキングプアが増え、また、大学を出ても職につけないという若者も増えている。そのために海外で働こうという若者も多い。
一方では韓国は大学進学が非常に重視される。その大学進学に関して朴槿恵前大統領が国家機密を流していたとされる企業経営者、崔順実(チェ・スンシル)の娘が大学に裏口入学していたことが発覚し国民の抗議運動に油を注いだ。この問題を機にデモには中学生や高校生まで参加したことで史上最大規模に。若者たちの怒りと不満が大統領退陣と新政権を生む力になった。
文大統領は就任後、いち早く雇用政策重視の姿勢を見せ、就任2日めに仁川国際空港を訪れた。同空港は世界で高い評価を受け続けているが、空港業務の半分近くが非正規雇用だという。大統領はそれをすべて正規雇用とすると表明した。また、公共機関の31万人の非正規雇用を正規とすることも明らかにし労働組合も支持を表明した。
このように雇用を安定させ国民の所得を増やそうと、所得主導の成長というスローガンを新大統領は打ち出しているという。
◆米国主導のFTA
一方で文新大統領は韓米FTA(自由貿易協定)の見直し問題にも向き合わなければならない。
米国のペンス副大統領は4月18日、発効から5年経った韓米FTAを見直す方針だと明言した。同協定24条には「両当時国の一方が要求すれば書面で合意し改定交渉を開始できる」とされている。
ただし、今こそ、韓米FTAの影響分析と、米国の主張を検証する必要がある、というのが郭教授だ。
トランプ政権は韓米FTAが発効しているのに、米国の対韓貿易赤字が2011年の132億ドルから16年には277億ドルまで倍増したことを問題視している。しかし、実際は、韓国の対米輸出額は2014年の702億ドルが15年は698億ドル、16年は664億ドルと減少傾向をたどっている。さらに韓国は経済の低迷で対米輸入額が輸出額よりも減少している。そのためその差は広がり、数字のうえでは韓国の対米収支は黒字が拡大、一方、米国の対韓収支は赤字が拡大している、というのが実情だ。
また、米国の韓国産製品輸入額は2015年で720億ドルで、そのうち乗用車180億ドル、携帯電話73億ドル、半導体33億ドルなど3品目で40%を占める。これらも韓米FTAによって増えたというのが米国の主張だが、乗用車の関税は2015年末までFTA発効前と同じ2.5%であり、半導体・携帯端末は発効前からすでに無関税となっていた。
「対米輸出が増えたのはFTAとは無関係。この間のウォン安が原因です」(郭教授)。
むしろ米国の自動車は韓米FTAで利益を得ているという。韓国では発効後、米国産自動車に課されていた8%の関税を4%に引き下げ16年からは全面撤廃になった。これによって米国産自動車の輸入台数は11年の1万3669台が16年には6万99台へと4.3倍に伸びた。韓国市場でドイツと日本の自動車は低迷していることからすれば「米国は十分な利益を得ている」。
再交渉なら農業大打撃
◆牛・豚の輸入増大
郭教授によると農畜産物の輸入額はFTA発効前平均(07~11年)比で14%増加した。
増加額は畜産物では牛肉58%、豚肉75%、粉ミルク1315%となった。果実ではオレンジ91%、チェリー267%、ブドウ153%、レモン305%などとなっている。先にみたように計算上、対米貿易収支全体は黒字になっているが、農畜産物部門は64億6000万ドルの赤字なのである。
にもかかわらず米国は韓米FTAの見直しを主張している。
「それはすべての貿易取引で米国が有利にならないと不平等な協定だと考えているから。これがアメリカ・ファーストの実態だ」と指摘する。
韓国内で予想されている米側の見直し要求は自動車の関税引き上げ。協定に盛り込まれたスナップバック条項の実行だ。韓国産自動車の米国輸出が大幅に増えた場合、これを不公正貿易と判断し約束した関税水準を撤回できるというものだ。
もうひとつが法律や医療サービスの一層の市場開放。具体的には米国の法律事務所などが韓国に進出する場合の50%以下の出資制限の撤廃だという。国内ルールを変更しさらに市場開放を迫る。
一方、韓国も自動車の排気ガス基準課税や、ジェネリック医薬品の販売促進のための許可制度の見直しなどを求めるとされるが、どこまで実現が見通せるか。韓国内メディアは再交渉の結果、米国が関税を戻せば輸出(66億ドル~170億ドル)と雇用(5万~15万人以上)に甚大な被害が出ると予想している。
◆農業にじわり打撃
農業への打撃は韓米FTAだけをみていたのでは不十分だ。
韓国がチリとのFTAを発効したのは04年。影響が懸念されたブドウは、露地栽培面積が2万4801ha(03年)から1万6348(14年)に減少した。FTAは長い年月をかけて農業現場を縮小させている。施設栽培へ転換して生き残っている農場もあるが、韓米FTAによる米国産チェリー輸入増でブドウ価格も約3~4%低下しているという。韓国伝統のマクワウリ価格の引き下げにもつながっており、ある品目が他の品目に影響を及ぼすことを示す。
こうしたなか農民の実質農業所得は05年の1372万ウォンから14年に945万ウォンへと32%も減少した。対都市家計との所得格差は、1995年の95.7%が14年には61.5%へと拡大した。
文新大統領が立ち向かわなければならない現実は厳しい。
「痛みをともなうこともあるかもしれないが強力なリーダーシップで明確な国家ビジョンを示し、若者世代から共感を得ることが今までと違う国家運営につながっていくのではないか」と郭教授は話している。
(写真上から)
ソウルの光化門広場を埋め尽くした朴槿恵大統領の弾劾を求めるロウソクデモ隊。2016年秋
文在寅大統領(出典:Korean Culture and Information Service)
立教大学経済学部 郭洋春教授
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