【クローズアップ:「あの日」から10年】大震災取材ノートより(中)「絶対に負けるわけにはいかない」農政ジャーナリスト・伊本克宜2021年3月3日
東日本大震災から間もなく10年の節目を迎える。被災地で取材を訪ね100人以上とインタビューしてきた。「大震災ノート」は、生々しい農業現場の悲劇と奮闘の日々も書き写す。(敬称略)
復興組合による瓦礫除去作業。大震災後、大量の瓦礫処理は営農再開の大きな障害になった
「言葉は発芽する」
当時、あまりの被害の大きさに言葉を失いがちになった。
その時に支えになったのも、やはり言葉の力だった。
詩人・谷川俊太郎が渾身をこめ2011年5月に詠んだ「言葉」。
〈何もかも失って 言葉まで失ったが 言葉は壊れなかった 流されなかった 一人一人の心の底で〉
〈言葉は発芽する 瓦礫の下の大地から 昔ながらの訛り 走り書きの文字 途切れがちな意味〉
〈言い古された言葉が 苦しみゆえに甦る 哀しいゆえに深まる 新たな意味へと 沈黙に裏打ちされて〉
多くの犠牲の上に立つ瓦礫の大地から、言葉は〈発芽〉するのか。そんな確信を持った詩だ。やはり書き続け、伝え続けるしかない。そう誓った。
〈手弱女〉ぶりの強さ
そんな時に書いた2011年5月11日付の新聞コラム後半。
〈▼悲劇からきょうで2カ月。被災地に佇んだ宗教学者の山折哲雄さんは、悲しみに耐え気丈に振る舞う現地の人々を「手弱女ぶりの強さ」と評した。優しい女性のようなしなやかさとの例え。復興に向け東北人の「底力」に期待したい〉。
〈手弱女〉は〈たおやめ〉と読む古語だ。〈益荒男〉(ますらお)と対置する。哲学者でもある山折は母の故郷・岩手の花巻に疎開した経験を持ち、東北大文学部を出た。常に身近な存在だった東北の悲劇は大きな衝撃だった。そして復興へ向き合う強さは、しなやかさにこそあると読み解いた。花巻時代に感化された一人に、「雨ニモマケズ」と詠んだ地元出身の詩人・宮沢賢治。賢治の生死は東北の大地震と重なり合う。生まれた1896(明治29)年は明治三陸地震の2カ月後。亡くなる半年前の1933(昭和8)年には昭和三陸地震が起きた。山折は賢治の震災の記憶にも精通していた。
絶叫「原発さえなければ」
大地震、巨大津波、さらには原発事故に伴う放射能汚染、引き続く風評被害と負の連鎖が被災地を苦しめ続けた。
・自死した酪農家と復興牧場
「原発さえなければ。残った酪農家は原発にまけないで頑張って下さい」。10年前の原発事故から3カ月後、前途を悲観し自殺したとみられる50代の福島・相馬酪農家は壁のベニヤ板にチョークでこう書き残し逝った。当時の取材ノートを開くと、黄色の蛍光ペンで〈原発さえなければ〉の箇所に線が引いてある。被災者を追い続ける監督によってドキュメンタリー「遺言 原発さえなければ」で映画にもなった。
〈原発に負けないで〉の遺言は、その後、形になる。福島県酪農協などが全面支援し、被災者5人が福島市内に復興牧場「フェリスラテ」を立ち上げた。名前はスペイン語の幸福を意味する〈フェリス〉とイタリア語の牛乳の〈ラテ〉を掛けた。いわば震災に立ち向かう復興で〈幸せの牛乳〉を消費者に届ける心意気を示す。
今、同復興牧場は乳牛飼養頭数800頭と東北有数のメガファームに成長した。2019年には分場して、震災後に酪農が途絶えていた福島・飯舘村で育成牛の飼育も始めた。積極的に新規従業員も採用し、20代の若手も増えた。今後は和牛肥育も拡大していく。田中一正代表は「福島の酪農を何とか再建したい。その一心でここまでやってきた」と前を向く。〈幸せの牛乳〉を届ける復興牧場の挑戦はまだまだ続く。
10年、100人インタビュー
被災地には宮城県などの協力も得て毎春訪ねた。大震災10年で取材、インタビューは100人を超す。被災者の営農変化が分かるように同じ生産組合の定点観測も続けた。
「あと水位10センチで農機全滅」
仙台市に隣接する宮城県南の名取市にある「耕谷アグリサービス」は、被災直後から営農不能になった周辺の農地を引き受け地域農業牽引の担い手として奮闘した。
同農業法人も大きな被害を受けたが主力の大型農機が生き残った。津波が押し寄せ、農機倉庫がやや高台にあったのが幸いした。当時の取材ノートを開くと、「あと10センチ水位が上がったら駄目だった」と述懐する関係者の証言が載る。まさに危機一髪だったのだ。復興交付金などを有効活用し転作大豆などの受託を進め、地域農業の砦となった。
地域先導アグリードなるせ
宮城・東松島市野蒜地区で農業生産法人「アグリードなるせ」を運営する安部俊郎。震災時の秋には除塩しながら土地利用型の農業を再開した。周辺の農地約100ヘクタールを集積し米麦、大豆などを生産。米粉、小麦粉などの農産加工施設も備え、バウムクーヘンなどを商品化、販売する。
毎年、年賀状で近況報告、出来秋の11月末の「福幸祭」の案内状なども送ってくれる。なぜ〈復興祭〉ではなく〈福幸祭〉なのか。単なる復興から一歩踏み出し、地域全体が農業再興を通じ幸福になるようにとの意を込めた。法人名の〈アグリード〉は地域農業を牽引する姿勢を表わす。スマート農業も実践し、超省力化稲作の実践で輸出も狙う。
震災で家族失い、9年後には台風直撃
大震災に負けず地域の若者らが地域再興に動き出した。同じ東松島市で若手農業のグループがそうだ。
・リベンジに燃える
若手農業者でつくる「イグナルファーム」を率いる阿部聡。近隣の大郷町にも農場を拡大した。阿部は大震災で妻と子3人を失った。最初の揺れで妻子を車で迎えに行き避難場所に預け、自分のハウスの被害状況を確認に戻った。その避難所が想定外の巨大な津波にのみ込まれたのだ。
震災後に会った時、阿部の目はあまりの不条理に直面し怒りに燃えていた。悲しみを忘れるためにも、被災した周囲の若手に呼びかけ担い手会社を立ち上げたのだ。何回か会う内に白い歯を出して笑う柔和の顔に変わっていく。今は新しい家庭を持ち、営農拡大の次のステップに進む。
・令和元年度東日本台風が直撃
しかしまた悲劇が襲う。2019年10月の台風19号が拡大した大郷町のハウスを直撃し大きな被害を出す。関東、東北に大きな被害を及ぼした台風19号は「令和元年度東日本台風」と命名された。その半年後の2020年2月に取材で再会した。さすがの阿部も困っていたが、「大震災を乗り越えたノウハウがある。また必ず復興しますよ」と前を向いていた。
「イグナルファーム」の意味は、〈よくなる〉の方言で〈いぐなる〉をもじった。自分たち若手の力で、地域が少しでも良くなればとの思いが伝わる。 (次回は「今後の課題」)
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