【みどりの食料システム戦略―夢満載 そのロマンに賭けるべきか、現実を直視すべきか(1)】対談(上)蔦谷栄一農的社会デザイン研究所代表+谷口信和東大名誉教授2021年5月28日
農林水産省は5月12日、昨年秋から検討していた「みどりの食料システム戦略」を決めた。
この戦略は食料の生産力の向上と30年後の温室効果ガス排出ゼロなど地球環境に配慮した持続可能な農業の両立を先端技術を積極的に活用して実現しようというもので、2050年に有機農業100万ha目標などを掲げた。農業者の人口減少などのなかでスマート農業は農業に関わる人を広げ、農村に住む人を増やすなど農村活性化も図る狙いもある。本紙ではこの「みどり戦略」についてどう捉えるべきか、課題は何かなどを随時考えていきたい。
谷口信和東大名誉教授は、同戦略について「夢満載。そのロマンに賭けるべきか、現実を直視すべきか、それが問題だ」と指摘。今回は有機農業の推進に関わってきた蔦谷栄一農的社会デザイン研究所代表との対談で考える。
左から谷口信和東大名誉教授、蔦谷栄一農的デザイン研究所代表
検討は突然に始まったのか
谷口 「みどり戦略」は2020年9月から検討が始まったようですが、農水省内の検討チーム立ち上げは11月18日、大臣を本部長とする戦略本部の設置は12月21日です。そして2021年3月29日に中間取りまとめ、3月30日~4月12日にパブコメ、5月12日に決定というスピードで進みました。
省議決定という重要な意思決定手続きを踏んだことからも明らかなように、基本計画に準ずる高い位置づけをもった政策だろうと判断されますが、2050年に有機農業100万haなど掲げた目標に「青天の霹靂だ」という声も上がっています。蔦谷さんはいつ頃、この政策検討のことをお知りになりましたか。
蔦谷 「持続可能な農業を作る会」で農水省と環境省、ときには国交省を交えて随時勉強会を開いていますが、ちょうど昨年10月の勉強会で農水省から「みどり戦略」を検討していると聞いたのが初めてです。私も、えっと思いましたが、基本計画の策定が終わってすぐにこのみどり戦略の検討を始めたのではないかというのが私の受け止めです。
基本計画では多発する自然災害や、家畜疾病対策、SDGsへの対応といったことがスローガン的には出ていますが、十分には盛り込むことができなかった。そこですぐに検討作業に入ったということだと思うし、逆に言うと、国際情勢や環境をめぐる情勢からすると、今のような農政だけでは海外に十分に対抗できないということだと思います。それだけ環境が急速に変化してきたということでもあると思います。
谷口 農水省の背中を押したのは2020年5月にEUが環境重視に舵を切る「Farm to Fork戦略」を決めたことが決定的だったのではないかと思います。環境省は昨年の環境白書で気候変動ではなく気候危機という表現にして認識を変えています。
蔦谷 菅総理も就任時にカーボンニュートラルを宣言せざるを得なかったわけで、そのぐらい環境が変わってきており、首相の意向も含めてのみどり戦略だと思います。
取り戻したい 失われた30年
蔦谷 遡れば、この話はもともと1986年からのガットウルグアイラウンドで米国とEUが対立し、その後、手を結ぶときに価格支持政策をやめて直接支払いに移行するということから始まっています。その直接支払いを行うにあたっては環境を重視していくということをはっきり打ち出したわけです。
結局、それをきっかけに日本の農業も変えなくてはいけないということになり、1992年にいわゆる新政策、「新しい食料・農業・農村政策の方向」を打ち出すことになるわけですが、そのときに環境保全型農業という概念が打ち出されました。この時点で環境に優しい農業が日本農業のあり方であるということは、農水省内でも方向づけができていたと思います。
谷口 そのときに環境保全型農業対策室が農水省内に設置されました。
蔦谷 そうですね。それをもとにして99年に食料・農業・農村基本法ができて全体の体系ができたということだと思います。要するに農業政策だけではだめで環境問題にも取り組んでいくということでした。
ところが自民党政権では生産性の向上、大規模化、企業化という方向を追求し、地域政策や環境政策にはほとんど精力を割かずにきてしまい、その間にどんどん情勢が変わってしまった。一言で言うと、本来は新政策の方向ができたときに本格的な動きを開始してもおかしくはなかったということだと思います。
私の理解では、環境問題への転換を促すことになったのは1992年のリオデジャネイロでの地球環境サミットだと思います。環境問題が地球規模で大変なことになって取り組みを急がなければならないということでしたが、日本はちょうどバブルがはじけたときで、混乱を来たしているうちに、世界はどんどん進んでしまった。ガットウルグアイラウンド合意も含め、その後の基本法で一応、体系を作ってはみたものの、中身は全然。仏作って魂入れずで来た。
ですから、失われた20年、30年で多大の機会損失を発生してきた。それがここに来てやっと出てきたというのが私の理解です。
谷口 今の振り返りは非常に重要です。1980年代末から沢山の留学生が韓国や中国などアジアから来ました。多くの留学生は日本農業に学び、その成果を韓国や中国に持って帰ると非常に役に立つという観点から来日していました。しかし、食料・農業・農村基本法ができたあたりから何が起きたかといえば、日本で学んだことはすでに母国では実施に移されている、日本に学ぶことはなくなってきた、という言い方をされたことです。その典型が韓国の環境保全型農業で日本より先を行っています。
蔦谷 日本は結局、市場原理にずっと引っ張られてきた。ヨーロッパは両立なんです。市場原理も追求するけれども、環境問題もぎりぎりと追求していく。しかし、日本は打ち出しはしたものの、市場原理だけでやってきた。その差は本当に大きい。
韓国はモンスーン地帯での取組みは難しいとされながら90年代から取組を積み重ね今や実質ヨーロッパ水準に近づいています。
ただ今回、みどり戦略を基本計画策定1年後に打ち出すことにしたのはまだよかったと思います。これが5年先では遅い。その意味でこれから議論するための基本的な考え方を農水省が出してきたと理解すればいいと思います。
農政のどこに位置づく?
谷口 この「みどり戦略」はいったい農政のどこに位置づく政策なのでしょうか。下手をすると技術だけの話しになってしまって、社会経済的に誰がこれを受け止める主体なのか、どういう地域でどのように進めるのかといった視点が抜ける恐れがあります。スマート農業もそうですが技術だけの話になりかねない。農薬や化学肥料をこれだけ減らせばいいという話になり、特別栽培というような言葉だけが踊るようなことになってしまっては意味がありません。
そこで「基本計画」や政府全体の「農林水産業・地域の活力創造プラン」などもふまえて、どこに位置づくものかを考えておく必要があると思います。
蔦谷 私は「基本計画」と「みどり戦略」は一体になっているという理解の仕方がいいという感じがします。やはり担い手の問題も含めた基本的な農業構造の問題は基本計画を前提にしているわけですが、基本計画には盛り込めなかったものがみどり戦略となった。
ただ、政府の「活力創造プラン」では、みどり戦略は最後の12番目の位置づけです。1番は輸出ですね。これが象徴的で農水省として新しい政策を出したけれども、政府の政策のなかの位置づけでは最下位ということです。それでもやっと芽出しができたと理解して、これから実体を作りながら議論の次元を上げていく流れを作っていかなければならないと思います。
【みどりの食料システム戦略―夢満載 そのロマンに賭けるべきか、現実を直視すべきか】(下)では持続可能な農業とは何かを議論
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