【RCEPの農業への影響と地政学】(下)RCEPとTPPの地政学 問われる経済的安全保障 田代洋一・横浜国大学名誉教授2022年2月4日
世界の人口とGDPの3割を占める巨大な自由貿易協定のRCEP(地域的な包括的経済連携協定)。今後の日本経済を左右すると言っても過言ではない。この協定の課題や日本の進むべき道を横浜国立大学名誉教授の田代洋一氏にまとめてもらった。
RCEPとTPPの地政学
RCEPにおける先進国と途上国
RCEPは、工業vs.農業、先進国vs途上国、TPPvs.RCEP、中国vs.米国という四つの視角で捉える必要がある。
RCEPは農産物の輸入関税の撤廃に比して工業製品の撤廃率が高い。また貿易ルール面で、参加国Aが参加国B・C...の原材料を使用した場合、A国の原材料とみなすルール(累積)を採っている。これはRCEP内にサプライチェーンを張めぐらせている日本企業が、域内から部品輸入しての製品輸出について関税撤廃の恩恵を受けられる点で極めて有利である。つまりRCEPは工業製品の自由化を主流とした先進工業国優位のFTAである。
しかるにRCEP内には、一人当たりGDPが6万ドル以上の先進国から5000ドルに満たない後発途上国まで巨大な格差がある。RCEPはその格差を拡大する方向に作用する。
それに歯止めをかけないと、5年ごとの見直しに際して、勝ち組・日本には農産物輸入圧力がかかる可能性が大きい。それは中韓からもありうる。日本はタイやフィリピンとのFTAに際して、「みどりのアジア連携戦略」で、アジアの貧困解消に寄与することと引き換えに米輸入を回避した経験があるが、そのような経験を今日に生かす必要がある。
RCEPは元々は中韓のイニシアティブで具体化がめざされ、その中国主導に危機感をもった日本が、豪・ニュージー・印を加えた対案を出した。この2案が2011年にRCEPに統合され、2013年から交渉が始まった。その2013年、日本はTPP交渉に参加し、中国はTPPに対抗する一帯一路構想を打ち上げた。TPPとRCEPは相互にもつれあいつつ、アジア太平洋地域における主導権争いの場になっている。その地政学が問われる。
陰る米国のプレゼンス
米国は、バイデン政権に変わってもTPP復帰モードにはない。その理由を、トランプ政権は「中国がいずれ入ってくるから」、バイデン政権は「TPPはもう古い」などとしているが、TPPに参加したら国内製造業がもたないというのが真相だ。そこまで格差と亀裂が深まっている。その米国にとって通商戦略の突破口は、金融、IT、そして農業になる。
米国にとって、中国が主導権を握りかねないRCEPがアジア太平洋地域に成立したことの衝撃は計り知れない。バイデンはクアッド(日米豪印による経済安全保障や気候変動対策)や日米の新たな経済協議を打ち出しているが、いずれも「協議」の場に過ぎず、経済圏の形成ではない。TPPからの離脱とRCEPの成立は、米国のアジアにおけるプレゼンス喪失の一里塚だ。
中国の覇権戦略
それに対し中国にRCEPのGDPの55%、貿易の46%に占める圧倒的存在として、RCEPのど真ん中に一帯一路を貫徹し、欧州に至ろうとしている。
その中国に台湾はRCEP参加を拒まれた。今や台湾は中国とTPP参加の先陣争いをしている。中国は、台湾よりも先にTPPに参加して、台湾の参加を阻み、さらに米国の参加も阻止するか、少なくとも米国がTPP参加に際して持ち出す条件を拒否しようとしている。
中国のTPP参加はハードルが高いといわれるが、RCEPで「安全保障のための例外規定」を勝ち取った。同じ伝でTPPのハードルもクリアする、できなければRCEPの拠点を固めることで、米国に成り代わって「自由貿易の旗手」になる。これが中国の腹だ。
新段階の日本の課題
日本は、米国のTPP復帰、インドのRCEP参加で中国に対抗しょうとしたが、いずれも頓挫した。そして今、日本が主導権を握るTPPに英、中、台、韓が名乗りを上げ、タイ、エクアドル、コロンビアも関心を示す。日本に求められているのは、他国頼みではない自前の通商外交戦略である。その点でRECPはいくつかのことを示唆する。
第一に、RCEPの成立をもって世界のメガFTA追求の時代は終わった。アジアの目標はFTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)の形成であり、TPP、RCEPへの参加問題が残されてはいるが、市場と貿易の拡大、メガ自由競争を通じてひたすら経済成長を追求する時代は終わった。今や格差縮小や気候変動対策がメインテーマだ。
第二に、RCEPは、電子商取引の自由化(ソースコードやアルゴリズムの開示要求の禁止)、ISDS(投資家国家紛争解決)を取り入れていない点で遅れていると批判されるが、そういうグローバル企業の要求に従わないことこそが、格差拡大の阻止には必要だ。
第三に、米中対立は、バイデンが民主主義や人権問題というイデオロギー問題を正面に掲げたことで、たんなる経済取引(ディール)から、妥協なき新冷戦時代に突入した。しかしそれが旧冷戦時代と異なるのは、日中のような経済メカニズムを異にする国の間でメガFTAが成立したことだ。それがRCEP成立の歴史的意義である。
それを、従来の経済成長一辺倒、格差拡大の道としてではなく、気候・国家(平和)・経済・食料の各安全保障のための経済的土台としてどう仕組むべきか。これが、RCEPとTPPの両方にまたがり、かつ米国とつながる、その意味でキーパーソンとしての日本の課題である。
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