【鼎談】人類の食と農、健康をけん引 東京農業大学「七つの方針」2022年7月11日
農業や農村、農協さらには食品産業などに多くの人材を送り込んできた東京農業大学。昨年、創立130年を迎えて、SDGs(持続可能な開発目標)を踏まえたこれからの農学研究の方向を示す「近未来宣言」を発し、決意を新たにした。未来に向け、新たな一歩を踏み出した初年度に当たり、同大学の江口文陽学長とOBで茨城県水郷つくば農業協同組合(以下ではJA水郷つくば・本店=茨城県土浦市)の池田正組合長、それに東京農大の白石正彦名誉教授の3人に、今日の農業と食をめぐる問題や課題、東京農大の果たすべき役割について語ってもらった。
【出席者】
●東京農業大学学長 江口文陽氏
●茨城県JA水郷つくば組合長 池田正氏
●東京農業大学名誉教授 白石正彦氏
農大サイエンスポート前で語らう江口学長と学生達
実学を礎に総合農学を展開
白石 東京農大は今年で創立131年を迎えました。江口学長は昨年の創立130年を機に「東京農大近未来宣言」を発し、そのなかで「東京農大が目指す七つの方針」を明らかにされました。改めて人と生物、自然の課題に挑戦する東京農大の使命と、それを果たすため進めてこられたキャンパスを始めとする教育・研究環境の整備についてお聞かせください。
東京農業大学学長 江口文陽氏
江口 東京農大は1891(明治24)年、幕臣から北海道開拓使、農商務大臣など明治政府の要職を歴任した榎本武揚公によって設立された私立育英黌農業科に始まります。榎本公は講義と現場を車の両輪とした教育の重要さをとなえ、また1911(明治44)年、横井時敬先生が初代学長に就任し、「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」と、「実学」の精神を教えられました。
こうして本学には農学の源となる「実学」が脈々とつながっており、そこで学ばれた多くのOB・OGの方の支えによって、いまの本学があります。創立130年を迎えた昨年、本学は「東京農大の近未来宣言」を発信しました。「農の縁(えにし)から新たな豊かさを創造する開拓者となる」をスローガンに、宣言では「地球の未来に持続可能な食と農の生産消費システムを実現するため総合農学・生命科学を駆使する」、また「日本の農林漁業者を支え、食料自給率の向上に寄与するとともに世界の食料・環境問題の解決に新たな気持ちで挑む」とうたっています。
その具体的な取り組みが七つの方針です。現在、東京農大には6学部23学科に学部・大学院学生数約1万3000人が在籍しています。本学は「総合農学」の大学です。七つの方針にも掲げていますが、①「地域の農林水産物のブランド価値の創造・ブランド力発信の戦略推進」②「農林水産業が持続するシステムと持続可能な生産消費社会の構築への貢献」③「食品ロス削減に向けた技術開発」④「飢餓人口の削減、生活習慣病予防に貢献」⑤「陸域および海域生態系の保護・回復とクリーンな新エネルギーの開発への貢献」⑥「輩出された人材が世界で活躍する計画」⑦「起業家育成教育(アントレプレナー教育)による学生のためのイノベーション戦略の推進」など、国内に限らず世界の農業をけん引する大学でなければならないと考えています。
「魚つき林」という言葉がありますが、海のことを知るには山に聞かなければ分かりません。そのため、東京農大の学問・研究対象は山の上から海の中にまで及びます。それと同じで、生産と消費は一体で、われわれは朝起きてから寝るときまで「農学」と関わっています。本学は農と食を大切にする大学です。皆さんにもそのことを広く知っていただきたいと思っています。
白石 ありがとうございます。次に池田組合長に伺います。組合長は1979(昭和54)年に本学の農芸化学科を卒業され、現在茨城県のJA水郷つくばの組合長をされています。本学で学んでよかったこと、農協の組合長として取り組んでこられたことなどについてお聞かせください。
池田 私は小学生の時、飼育係をやりました。鶏、ウサギなどを飼いましたが、飼育係は夏休みでも餌の当番があり、人気がありませんでした。また中学生の時はバラの苗木を育て、みんなに配るなど、小さいころから動植物を飼ったり、育てたりすることが好きでした。東京農大で学んだのはそうしたご縁もあったのかなと思います。
東京農大には今もつながりがあり、現在、JAには300人余りの役職員(正職員)がいますが、そのうち15人がOB・OGです。JA水郷つくばでは、土壌診断を徹底して行い、有機質をしっかり施すなど、大学で学んだ農学を実践し、地球にやさしい農業の実現をめざしています。その意味で役職員のみんながプライドを持って仕事をしています。
食品安全研究を始動
農学部の農業実習でサツマイモの植え付け作業中の江口学長と学生達
白石 卒業生は、それぞれ農業の現場で活躍し、すばらしい人材を育てています。今年4月に本学では食品安全研究センター(法人)ができるなど研究体制の整備も進んでいますね。
江口 東京農大は世田谷、厚木、北海道オホーツクの三つのキャンパスを中心に網走寒冷地農場・臨海研究センター(北海道)、演習林(都内奥多摩町)、伊勢原農場(神奈川県)、富士農場(静岡県)、宮古亜熱帯農場(沖縄県)などがあり、北から南まで全国に関連施設がそろっています。国際的なつながりもあり、現在32カ国の44大学の協定校(長期・短期交換留学先)と提携するなどグローバルに展開しています。
大学の価値の一つは、どのような建物・施設を持ち、運営するかだと思います。老朽化した建物は地震で倒壊の恐れもあります。学生の命や財産を預かっている大学です。学生の安全を守り、安心して学べる環境づくりが、いま大変重要になっています。
長期計画のなかで、十数年前から、歴代学長がキャンパス・建物の整備を進めてきました。来年5月完成予定の「国際センター」のコンセプトは東京農大の叡智を世界に発進する「NODAI FLAGSHIP」となるのです。東京農大の建学の精神「人物を畑に還す」を「人物を世界の畑に還す」に広げて、国内外のグローバルリーダー育成の拠点を目指すものです。
そして研究の拠点づくりです。その中心となるのが一昨年オープンした「農大サイエンスポート」で、世田谷キャンパスの4学部15学科87研究室が集う、東京23区で最大級の教育研究施設です。サイエンス(科学)に加え、人・教育・研究・情報などが「港(ポート)」のように日々盛んに交流すること、学生が巣立つことや卒業生が戻ってくるようにとの思いを込めました。このサイエンスポートが東京農大の誇る「研究発信のハブ」になると期待しています。
東京農大サイエンスポートの1階は古式稲作の古農機具や貴重な昆虫標本を展示しています。わが国の農の歴史を大切にする本学においては、やはり米づくりが基本です。また農業が昆虫などの自然の生物といかに共生してきたかを体感できるようになっています。
いま東京農大では「新学園化構想」の実現に取り組んでいます。本学を中心に併設校、小中高等学校が連携し、それぞれの強みを生かし、質の高い教育と安定した経営基盤を築くことを目的にしています。2019(平成元)年には東京23区内で59年ぶりとなる稲花(とうか)小学校を開校し、着々と構想を実現しています。
また、「食の安全と安心」は、人類にとって最も重要な課題の一つです。東京農大では児童から学部・大学院の学生まで、また大学傘下の法人など各組織を挙げて、食の安全・安心をPRしていく体制の確立をめざします。
その一環として「食品安全研究センター」を創設しました。ここから食品の安全・安心を発信していきます。命を育むのは農業の領域です。このセンターは今年の4月に活動をスタートしたばかりです。このほか、傘下には東京情報大学があります。これら法人傘下の教育機関が一つになって、「食の安全と安心」の発信拠点としての機能を果たしていきます。
日本一産地をJAが先導
産地の特性を生かしたJA水郷つくばの農産加工品
白石 期待しています。次に池田組合長にJA水郷つくばの取り組みをお聞きします。
池田 JA水郷つくばは合併4年目になり、組合員約2万7600人、うち正組合員1万5600人のJAです。特産のレンコン(蓮根)は全国の4分の1を出荷する日本一の産地です。それにJA管内の日本中央競馬会(JRA)のトレーニングセンターから出る馬ふんを堆肥に使ったマッシュルームの栽培が盛んです。
茨城県JA水郷つくば組合長 池田正氏
7市町村のJAが合併したJAですが、管内の阿見町は、東京農大OB・ОGのみなさんの尽力で東京農大と包括連携協定を結んでいます。地域産業の振興や6次産業化、また農商工連携による人材育成ための連携事業などを行っています。
江口 JA管内の龍ケ崎市では8年前、水田できのこの廃菌床を堆肥代わりに使う試験をしたことがあります。また、大学院生のころJRA(日本中央競馬会)の美浦トレーニングセンターで練習用の馬場に木材チップが使えないか試したことがあります。当時、龍ケ崎市の周辺は見渡す限り水田だったことが記憶にあります。また生産者から、馬ふんや稲わらでマッシュルームを栽培したが、粒がそろわず異形が多いがどうしたらいいのかという相談を受けたことがあります。
このほか、水色のトレイを使って、マッシュルームの白さを浮き上がらせるとか、コリコリ感、歯ごたえのある施肥方法などのアドバイスをしました。これからもJAの産品を支援していきたいと思います。
また、私は中学生のころレンコンの収穫を体験したことがあります。舟で移動し、胸までの長靴を履いての作業でしたが、泥田に足をとられて歩くこともできませんでした。農家は本当に大変だなと実感しました。レンコン料理は大好きですが、包装をみると「JA水郷つくば」と書いてある。卒業生が頑張っているJAから食の恩恵をいただいていると思うとうれしくなりますね。
池田 JAの昨年度の農畜産物販売高95億円のうちレンコンは36億円、マッシュルームは11億円を占めます。レンコンの作業は大変ですが、加工の幅が広く、6次産業化によってれんこん乾麺(うどん、そば)、れんこんカレーなど、JAブランドのさまざまな加工品をつくっています。
江口 レンコンは脱水して成分を保存できるので、加工食品として販売するのに適しています。工夫次第でコスト削減もできるので、東京農大がブランディング戦略にも参画できればうれしいです。
食農文化密着の新世代農業
網走能取湖氷上で水産資源の調査を行う西野教授と学生達
白石 これからはガストロノミー(食事・料理と地域の食農文化や農林水産業との関係)を重視して取り組まなければなりません。東京農大の出番ではないですか。
江口 その通りですね。食文化とは美食のことではなく、生まれたときから感じる母親の味、郷土の味のようなものです。レンコンもそうです。粘りがあっておいしく、口に含むと、懐かしさがあります。これが郷土の食文化であり、ガストロノミーです。大切にしたいですね。しかし、残念ながら、いまそれを感じる機会が少なくなっています。つまり食について、母親の味や地域での思い出のない人が増えているのです。東京の食文化は何かと聞かれても答えられないかもしれません。食料自給率が都道府県の中でも最も低い東京都では、江戸東京野菜などにも注目し、都産都消を推進していかないと、これからの食の文化を育むことが難しいかもしれません。
東京農大は、ガストロノミーという考え方に基づき、食べものを大切にすることで、それを農業の発展につなげようと思っています。そこで食料自給率向上の大切さを教えたい。そしてそれをけん引し、伝える人材の育成が求められています。
東京農業大学名誉教授 白石正彦氏
白石 それは同時にJAに課せられた役割でもあります。JAの広域合併が進んでいます。組合員のため、JA水郷つくばは地域のためにどのような取り組みをしていますか。特に後継者の確保、荒廃地の拡大を防ぐにはどのような対策が必要でしょうか。
池田 生産者が高齢化したから農地が荒廃するのではないと思います。後継者は規模を拡大しています。家族経営のレンコン栽培は2haが適切な規模です。それで1000万円ほどの売り上げがあります。それとレンコンは永年作物なので出荷の自由がきくという特徴があります。一般にはハウスものは6月から出荷が始まり、そのほかは秋口からです。永年作物なので、出荷の調整ができる強みがあります。
この条件を生かした規模拡大は可能です。なお340人の蓮根(れんこん)部会員がいます。部会のなかには蓮根女性部など、さまざまなグループがあります。今はコロナ禍で試食販売ができなくなっていますが、SNSを活用し栽培・収穫風景やおいしいレンコンレシピを多数掲載し、動画でも消費宣伝し頑張っています。
荒廃農地を防ぐ一つの方法として体験農場があります。子どもも大人も土に触れて、喜ばれています。そうした動きを地域のJAがどう事業に結びつけるかです。茨城県にはキャンプ施設が多くあります。それをどうやって農業と組み合わせるかがJAの一つの課題だと考えています。
白石 農水省は、みどりの食料システム戦略を打ち出していますが、EUでは「農場から食卓までの戦略」に取り組んでいますね。
池田 食べたものでしか人の体はできないと言われます。食べ物を供給する農協が前面に立って、農と食と健康の好循環の方策を深めるときだと思います。
江口 攻めの農業を実現するには、まさに東京農大の実学の出番です。例えばマッシュルームを売るときも、消費の現場に行って消費者が何を知りたいのかを知ることです。そのための聞く耳を持つと同時に、商品のことを正しく語り、伝える力をつけることが重要です。生産者の思いをバイヤーがうまく伝えられないこともあります。
そうならないためには生産者と流通業者、それに消費者の3者が常に情報のキャッチボールをする必要があります。そのつなぎ役が大学で、それがうまく機能して農水畜産物や特用林産物の需要拡大、農林漁業の活性化があるのではないでしょうか。
白石 創立131年を迎えた東京農大は、グローバルな視野を持ち、「実学」のスピリットの発揮のために、ガストロノミーに着目した人類の食と農、健康の好循環システムづくりの着実な研究開発と起業精神旺盛な人材を社会に送り出す使命があります。このようなビジョンを鮮明に、鼎談にご出席頂いたJA水郷つくばをはじめJAグループ・自治体・食品産業等が本学と実装試験や人材育成面で連携関係を深化・促進することを期待しています。
本日はありがとうございました。
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