【今年を振り返って】半市場経済的な「農」の確立を 有機的に循環する農業圏必須 哲学者 内山節氏2022年12月19日
2022年はロシアのウクライナ侵攻に始まり為替問題や食料安保論が大きな関心を呼ぶなど農業界にとっても激動といえる年となった。そこで哲学者であり群馬県上野村では農に携わり、働くことの意味を発信する内山節氏に「今年を振り返って」をテーマに寄稿してもらった。
農業という概念を組み替える必要性
哲学者 内山節氏
私の農家の友人たちは、農民であることに安心感を抱いていた。身体が動くかぎりいつまででも仕事はできるし、食料をつくっているから、いざとなっても困らないという感覚もある。
ところが、そうではなかったということを教えられたのが、コロナ下の時代であり、ロシアによるウクライナ侵攻後の世界だった。気候変動やアベノミクスと日銀のマイナス金利政策による円安もそれに拍車をかけた。気がついてみると今日の農業は、農地の上だけで自己完結しているのではなく、世界とつながって営まれていた。
化成肥料の原料はほとんどを外国からの輸入に依存している。畜産用飼料の大半も輸入品であり、農薬は国境を越えて輸出入される商品になっている。国産の農業機械でも、そのなかには海外でつくられた数多くの部品が組み込まれている。コロナウイルスのまん延によって海外の半導体工場が生産を停止したとき、日本企業がつくる電気製品も自動車も減産を余儀なくされたように、いまでは純国産といえるものは何もないような時代になった。
私たちは農業という概念を組み替える必要性に迫られているのである。縄文時代からおこなわれてきた農業は、自然と人間の共同作業だった。農地があり、農民がいれば、自己完結するものだったといってもよい。もちろん稲作をするためには水の確保が必要で、水の管理は村々の共同体が司(つかさど)ってきた。
だが、それでもなお、農業は農村社会のなかで自己完結的に営まれるものだったのである。農具にしても、鎌、鍬(くわ)、鋤(すき)といったいくつかのものがあれば十分だった。農村の外との農業的なつながりは、作物の流通にかぎられていたといってもよい。
グローバル体制 農業も巻き込む
ところが今日の農業は、グローバル化した経済体制のなかに組み入れられてしまった。2021年の農水省の統計によると、日本で使われている化成肥料の原料では、尿素の64%がマレーシア製、塩化カリウムの80%がカナダ製、リン酸アンモニウムの76%が中国製である。飼料をみてもトウモロコシの70%が米国産など、国産飼料は5%ほどしかない。
今日の農業は、あたかもグローバル化したサプライチェーンのなかで成立する、農村工業のようになってしまったのである。
生産のために必要な「部品」が世界各地でつくられ、それらを入手することによって農業が展開する。ところがそうなればなるほど、海外の工場での「部品」生産が停止したり、円安が進行したときには影響を受ける。そして現実に、コロナウイルスのまん延や、ウクライナ侵攻後の経済制裁によってロシアやベラルーシの肥料原料の輸出が滞ったとき、世界的な肥料不足や価格高騰を招いてしまった。
私たちはこれまで食糧自給率のことばかりを問題にしてきた。だが今日の農業は、肥料や農薬、農業用機械、さらには作物を輸送するときに使う段ボールや緩衝材、安定的な輸送システムなどのさまざまなものが提供されていることによって成立しているのだということを、私たちは思い知ることになった。
国際情勢のなか 脆弱だった日本の農業
日本の農業は、私たちが感じていた以上に脆弱(ぜいじゃく)だったのである。農産物を工業製品と同じような商品とみなし、グローバル化した市場経済のなかに組み込んでいく。そういう政策がすすめられていくうちに、農家経営の低迷や農民の減少、農地放棄、農村の過疎化などが進んだだけではなく、国際情勢や世界市場の変化、円安などによってたちまち経営が困難になるような農業の世界をつくりだしてしまった。
そもそも農業は、国際的な市場競争にゆだねてはいけない産業である。なぜなら農業基盤が世界共通ではなく、さらに食料の維持を課題にする特殊な産業だからである。世界には雨の多い地域も乾燥地帯もある。広い農地が確保できる地域も、狭い農地をうまく使うしかない地域もある。
食料としての農産物も、足りなければ海外から買ってくればよいとでもいうような政策をつづけた結果、日本の食文化に欠かせない小麦、大豆、食用油はもとより、蕎麦(そば)までが輸入依存度の高い作物になってしまった。
農業は、世界で何が起ころうとも、またいかなる気候変動が発生しようとも、持続的に営むことが可能な産業でなければならないのである。ロシアの侵略によってウクライナ、ロシアからの小麦輸出に制約がかかると、アフリカや中東の非産油国などで飢餓が発生するというような脆弱な構造をもっていてはいけない。とすると現在の私たちの課題は、何が起きても農業生産が維持できるような、強靱な農業構造をつくりだすことである。
だが、前記したように、今日の農業は農地の上だけで自己完結してはいない。肥料、必要な農薬、農業用機械、農業施設をつくる材料、流通に必要な資材や輸送体制、さらには必要とされる燃料などが安定的に供給される体制を構築しなければ、今日の農業は維持できなくなっている。そのためには、可能なかぎりそれらのものを国産化する努力が欠かせない。さらに、畜産では飼料の確保という課題もあるし、種子の安定的確保といった課題もある。このような課題をどう解決していくのかを抜きにして、農業の維持は語れなくなっている。
そしてそれを推進しようとすれば、すべてを市場で決算しようとする現在の市場経済のあり方を再検討する必要性が生まれるだろう。
市場経済だけに任せられない農業の性格
元々の市場経済には、純粋な市場経済と半市場経済とがあった。純粋な市場経済とはすべてを市場に委ねていく経済のことなのだが、歴史的には、市場を用いて生産や流通をさせるけれど、その過程に市場の論理とは異なる要因を介在させ、市場の動きに制約を加えることが、多くの分野でおこなわれてきた。私はこのような市場経済を半市場経済と呼んでいる。
たとえば学校や病院の運営をすべて市場に任せるという方法もある。しかしそれをすすめれば授業料や治療費の高騰を招き、学校や病院にいけない人々を生みだす。だからこのような部門の運営には、国や自治体が関与することによって市場経済だけに任せない体制を整備することが必要になる。
人々の生命の再生産と結ばれている農業もまた、それらと類似する性格をもっている。世界には農業基盤のさまざまな違いがあるにもかかわらず100%市場にゆだねてしまえば、世界レベルの農業、農村の崩壊が起こる。そしてそれは世界的な食料危機を発生させてしまう。市場を使って生産や流通はおこなうけれど、100%そこに委ねない。そういう半市場経済的な考え方を導入しないと、持続的な農業を展開させることは不可能になるだろう。
すべてを市場に委ねればよいという経済学の祖として、新自由主義者に持ち上げられたアダム・スミスでも、彼の経済学の前提には経済は人間たちの倫理的な精神によって制御されるという、やはり半市場経済的な発想が奧にはあったのである。
これから強靱な農業の世界をつくりだすためには、有機的に循環する農業圏を重層的につくりだす必要があるのだろう。農家を個別の経営体としてのみ捉えるのではなく、農家をどのように結んでいったら循環的な農業圏がつくりだせるのか。稲作は稲作、畜産は畜産、果樹栽培は果樹栽培ではなく、それらをどう結んでいくと有機的な農業圏が生まれるのか、である。
有機農業とは、農薬、化学肥料を使用しないということだけではない。地域の農業が有機的な関係をつくり、自然や農村のあり方とも有機的に結ばれていく。それもまた大事な有機農業である。ひとつの地域としての有機的農業圏、さらにより広い、広域的な有機的農業圏、そしてひとつの国のなかに有機的農業圏を成立させていくこと。そういう農業、農村世界を構想しながら、半市場経済的な農業のあり方を確立する。このような方向に歩み出さないと、世界経済や国際情勢、気候変動などに翻弄(ほんろう)される脆弱な農業が展開してしまう。今年の世界の動向は、そのことを私たちに教えた。私にはそう思えてならない。
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