基本法見直し中間まとめ 中嶋検証部会長に聞く(1)キーワードは「食料安保」「環境」 多様な「担い手」議論噴出2023年6月13日
食料・農業・農村政策審議会基本法検証部会長として基本法見直しの「中間取りまとめ」を仕切った中嶋康博東京大学教授が独自インタビューに応じた。議論のキーワードに「食料安全保障」と持続可能性を踏まえた「環境」を強調。特に難題だった項目として「多様な農業人材」明示を含めた担い手の位置付けを挙げた。(聞き手は農政ジャーナリスト・伊本克宜)
インタビューに応じる中嶋康博東大教授(大学院農学生命科学研究科長室で)
「なんとか合格点」の内容
――5月末の「中間取りまとめ」を振り返り、キャッチフレーズやタイトルをどう考えますか。
特段キャッチフレーズ、タイトルは考えていないが、国際情勢が揺れ動く中でキーワードはやはり平時も含めた国民一人一人の「食料安全保障」と農業生産、食料供給をはじめ持続可能性を包み込んだ「環境」だ。「食料安保」については多方面から議論し、テーマとして深掘り、深化を目指した。
――今回の議論を聞いて感じたのは、テーマが幅広く総花的になりすぎたのではないかという点です。20年後の食料・農業・農村を展望するとしてスタートしましたが、将来的な展望は示せたと思いますか。採点するとしたら何点でしょうか。
基本法の性格上、全般的に点検し議論していくのはやむを得ない。1964年の旧基本法と1999年制定の現行基本法の比較、あるいは現行基本法の想定外の今日的な課題を整理し、限られた時間の中で今後の方向をある程度網羅できたと考えている。その意味では、なんとか「合格点」をクリアしたのではないか。
食料安保を共通の切り口にして、今後の本格的な人口減少社会の中での対応で議論を深めた。特に農村、地域での新たなデジタル技術の進展、スマート農業の加速が予測される中での生産から加工、流通、消費までのフードバリューチューンを目指した新ビジネスモデル構築など、20年先を展望した灯り、将来方向をある位程度は出せたのではないか。食料・農業・農村分野で、各主体が連携して新たな価値を創出する基盤となるイノベーション・エコシステム形成も明記した。
7月からの地方公聴会 世論喚起の高まり期待
――検証部会で農水官僚は膨大な資料を提供するとともにたんたんと議論を進めた半面、改革の熱意はあまり感じませんでした。総花的な議論と合わせ世論の盛り上がりに欠けた要因でもあります。今後開催の地方公聴会にどう臨みますか。
国内外の大きな情勢変化の中で、食料安保、食料自給の在り方は国民全体の課題でもある。7月から始まると思うが、主要都市での地方公聴会で基本法見直しの内容、ポイントを説明し理解を深め、地域のさまざまな人たちとの意見交換を目指す。盛り上がりに欠けたとの指摘もあるが、世論喚起もそうした地方公聴会を通じても高まっていけばよい。現場の生産者、実際に農政実務を扱う地方自治体関係者はもちろん、食品・農業関連業者、そして消費者も数多く公聴会に参加してもらいたい。
――検証部会の見直し論議は、当初の予定を前倒ししました。予算など政治の大局観を踏まえ食料安保再構築を目指す自民農林重鎮の2トップ、森山裕元農相と野村哲郎農相の存在が大きいですね。
今回、膨大なテーマにもかかわらず、スピード感を持ち論議を進めたことで、かえって課題に集中できたと感じている。森山元農相が自民党内で食料安保の議論を深め、野村農相は検証部会にもほとんど出席し熱心に耳を傾けている姿が印象的だった。基本法見直しを通じた食料安保にかける思いの強さを肌で感じた。
大転換か微調整か
――「中間取りまとめ」を巡り、国際問題を踏まえ大転換を目指したという見方の一方で、零細生産構造を温存し単なる農政運営上の微調整にとどまったとの指摘もあります。
振り返れば、2015年に食料・農業・農村政策審議会企画部会長として基本計画をまとめた。当時から国内外のさまざまな課題が表面化していたが、現行基本法の枠内で何とか対応できると判断した。しかし、問題点が一段と深刻化して、現在はさらに大きな地球規模の課題として迫っている。これらを勘案した基本法検証、見直しだ。それには農政の微調整では済まない。大転換期の中での新たな農政方向の議論を進めたつもりだ。
――旧基本法から現行基本法は、価格政策からの転換という大きな変化がありました。今回は、さらに一歩踏み込んで直接支払いの大幅拡充などを期待する声もありました。
適正な価格形成の構築に加え、経営安定対策の充実を掲げた。だが、本格的な直接支払いへの転換となれば財源問題が起きる。そこは、施策の組み替えをはじめさまざまな方面からの検討が必要だ。
労働、土地生産性の併進がカギ
――今年はイノベーション、創造的破壊を唱えた20世紀を代表する経済学者・シュンペーターの生誕140年。旧基本法論議を主導した農政学者・東畑精一はその高弟でもあります。基本法見直しや「みどりの食料システム戦略」でこの二人の経済学者を思い浮かべます。
確かにシュンペーターの技術革新を通じたイノベーション理論は経済成長に大きく貢献した。一方で旧基本法の時代は高度経済成長の陰で兼業化が進み東畑先生が想定したとおりに稲作の構造改革、大規模化は進まなかった。その反省の中で国際化進展を踏まえ現基本法がある。しかし、現行基本法も対応できない課題が出ている。イノベーションは今日的な意味合いがさらに重要だ。農業現場にも応用可能な使いやすいDX(デジタルトランスフォーメーション)などの先端技術を駆使することが、今後の持続可能な日本農業の振興には欠かせない。将来を見据え、環境調和・資源循環を念頭に各主体が連携し価値を創造するイノベーション・エコシステムの形成も重要だ。
その際に検証部会でも議論を深めたが、人口減少社会の中での持続可能な農業生産をどうするかだ。都市部に比べ農村人口減は加速し、担い手の確保も相当厳しくなる。そうなると、個別経営体、農業法人、集落ぐるみなど形態はさまざまだろうが限られた数の担い手が農業生産を頑張ってもらうことが問われる。食料自給力の重要な要素である優良農地の維持・確保を大前提に、高度な技術力を駆使し、安定的で品質の良い農畜産物を効率的に生産していく経営構造を早急に作り上げないといけない。その場合のポイントは、限られた農地で安定的な収量を確保する土地生産性アップと同時に、限られた人材での効率生産、労働生産性を同時に上げることだ。
現行基本法から四半世紀 想定外の課題浮上
――旧基本法の価格政策から転換し、市場価格にゆだねながら一定の経営安定政策を進めて担い手育成を図る現行基本法をどう見ますか。今回の見直しは、基本法が今日的な課題に対応できないということですね。
旧基本法は農業のみを対象に、米価に典型的な価格政策を中心に政策を展開した。現行基本法は一層の貿易自由化を迫った1993年のウルグアイ・ラウンド(UR)農業交渉決着を経て95年の世界貿易機関(WTO)発足なども踏まえた農政転換の中での対応だ。農業ばかりでなく、食料、農村を視野に総合的な対応を示した。食料・農業・農村を対象にした農政論議は前段の「新政策」で、すでに出ていた。
今回改めて現行基本法を点検してみて、多面的機能の明示をはじめかなり良く出来ている、法的にしっかりした建付けだと感じた。現行基本法の枠内で相当対応できる、あるいは読み解けるということだ。
ただ現行基本法制定から四半世紀近くたち、当初からの課題がさらに大きくなり、想定外の問題、状況変化が起きているのも事実だ。食料安保はウクライナ問題を引き金に国際問題になり、肥料、飼料の生産資材の高騰と安定確保が大きな課題に浮上した。過度の輸入依存の見直しも急務だ。
世界人口は、制定当時の60億人に比べ20億人増え、アジア諸国をはじめ新興国、途上国の経済成長は著しい。特に中国の存在感が際立つ。一方で日本は経済力が落ち、想定以上に少子化が加速し出生率過去最低の「1・26ショック」も襲っている。日本経済はこの間のデフレ経済の影響で農産物価格は抑え込まれ農村衰退、過疎化が進んだ。環境問題はリオデジャネイロの環境サミット当時から課題となっていたが、気候変動対応、環境調和型経済への転換はまさに「待ったなし」の地球的課題だ。国連の食料システムサミットは農業生産、食料供給の環境重視を迫っている。一方で地政学リスクも高まり、過度の輸入依存から脱却し国産推進も進めていかなければならない。
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