【記念講演】藤原辰史京大准教授 給食を通じた社会づくりと農業活性化2024年1月22日
農業・食品産業の専門紙で構成する農林記者会は1月19日に創立75周年記念講演会を開き、「給食から考える食と農の自治」と題して藤原辰史京都大学人文科学研究所准教授が講演した。その概要を紹介する。
餓えとナチスの農業政策
食と農の研究を始めたのは卒業論文でナチスの食料農業政策を取り上げたことに始まり、その後、飢えの問題に出会った。
1933年1月にヒトラーは首相になるが、なぜあれだけユダヤ人虐殺をした政権を一般庶民が支持したのか。未だに答えが出ていないが、私は食料と農業だと考えている。1929年に世界恐慌が起き、ドイツの多くの農家が借金に苦しみ、農機などを銀行に担保として取られていく。そのなかでナチスは収穫感謝祭を開き、農民たちこそ、この国の中心であると主張する。
ドイツは第一次世界大戦で76万人の餓死者を出した。その餓えを繰り返さないために農業生産力を上げ農村から離脱をさせないようにした。農業こそが人間の根源的な行為だと言った。ここでの人間はドイツ人に限るのだが、このように農業と人種主義をかき混ぜるような議論を展開した。
「飢餓と絶望に対抗せよ。ヒトラーを選べ」というポスターを張り、農民たちの心に届くような選挙戦を展開、とくに餓えで子どもを失くした女性たちから支持された。一方、英仏は海上を封鎖し餓えさせてドイツの工業を弱らせるという戦略に出た。
そのなかでナチスは餓えていい人と餓えてはいけない人という2つの人種的な枠組みを作った。ドイツ人であればどんなに貧しくても餓えてはいけない、しかし、ユダヤ人などに対しては食料の配給を落とし差別化していった。今後、日本でも食料危機になったとき、日本人だけにという差別的な政策などは許されないが、言いたいのは本当に食料供給が疎かになった国はどうなるか分からないということ。
食料危機 政体の転覆に
1918年に終わる第一次世界大戦で各国が食料不足になり、どれだけ政治が変わったか。ドイツは代々の王家のホーエンツォレルン家、ロシアはロシア革命でロマノフ王朝、オーストリア、ハンガリーはハプスブルグ家が潰れた。食料をきちんと供給しない政体を許さないという庶民の感情が、革命運動とつながって政体を変えたということになる。
つまり、もし人々を餓えさせるような政策をするのであれば、政治を変えるぞということを言い続ける。これが言葉を使っている人間の気概ではないかと思っている。
今のパレスチナ問題にも食が深く関わっている。イスラエルはガザ地区に以前から食料封鎖をしている。かつてガザの人々は全粒粉のパンや新鮮な魚を食べていた。しかし、電気が頻繁に止められるので下水処理ができなくなり海が汚れ、魚が食べられなくなった。漁に出ようとしてもイスラエルの哨戒艇に拿捕される。
そのなかで国連からの援助物資による食生活に変えられていった。そして今の空爆だ。20世紀から今に至るまで、食べ物を通じて暴力が振るわれているということを私たちは学ぶことができる。ヒトラーが登場した裏には餓えという問題がある。食料の問題は政治全体の問題だ。
人の心を救う給食
日本の問題の一つに「将来に希望がない」と答える若者が40%弱もいるということがある。そのなかで、あなたはここに居ていいという場所が求められている。今、子どもの7人に1人が貧困状態にある。9月になるとガリガリに痩せて登校してくる子どもたちが多いと地方の先生から聞く。学校給食が子どもの命を支えていたという事実に気づいた。
受験など競争社会のなかで子どもの心が壊れ、数百万人が不登校、先生も厳しい状況に置かれている。そういうなかで食べるために学校に行く、学校に給食を食べに行ってなにが悪いのか、というぐらいの構えがなければならないと思う。
給食の歴史を研究して、これは単に食料の問題ではなく心の問題と関わっているということが分かってきた。
日本の学校での給食の歴史は鶴岡市で1889年に始まる。その後の歴史を辿ると給食は子どもたちの飢餓と貧困を救う方策であり、災害時に被災した人々を救う方策だった。たとえば、コロナ禍で小学校が閉校したとき、貧困家庭のためにも学校給食だけ行う学校があったのはその例だ。
そして戦後のGHQの意図もある。小麦と脱脂粉乳による学校給食が始まるが、その意図には2つあり、ひとつは食料がなくて民衆が暴動を起こすことを防ぐため子どもたちに食料を与えて親を安心させるということ、もう1つは日本人は米を食べすぎだと味覚を変えることだった。
一方、給食は世界史的な動きであり、19世紀末から20世紀初頭にかけて全世界で同時に始まっていく。経済不況で子どもたちの貧困対策として始まった。
日本の鶴岡市で給食が始まったのも学制が導入されたといっても、農家の子どもたちは手伝いで学校などに行けず、しかも行くとなれば弁当を持たせなければいけない。そこで「給食があるから学校においで」というかたちを考えた。効果てきめんで子どもたちが食べ物に釣られて学校に来るようになった。これが日本の学校給食の始まりだ。そして東京でも学校給食が増えていったが、それが関東大震災時の炊き出しの拠点になった。災害列島日本では学校に給食室があることで人々が救われている。
その後、昭和の始めの東北の大冷害では子どもの身売りなどが社会問題となったが、1932年に栄養学者の佐伯矩が国の税金で給食を実施するよう意見書を出した。そのとき貧富に関係なく全員に給食を食べさせることが重要だと強調した。子どもに貧困のスティグマを与えないということを鉄則とし、これが今に至るまで続いている。
戦後は食料難になるが、1946年の食料メーデーでは「学校給食即時復活」というプラカードが掲げられた。
それに押されるようにGHQは学校給食を始める。マッカーサーの右腕だった軍医サムスが中心となって学校給食プログラムを始める。そのとき農林省、厚生省、文部省の事務次官を呼んでサムスが提案した給食はごはんと味噌汁だった。それを農林省は断る。
当時、凶作で米を準備することは難しいということだった。そこで厚生省が米大統領公認の寄付団体が米国から小麦と脱脂粉乳を調達している(ララ物資)ことを知り、これを使った学校給食が始まり、コッペパンと脱脂粉乳の給食になった。さらにタンパク質が足りないからと、クジラ肉が提供されるようになった。ここでサムスも脱脂粉乳や肉類を使って子どもたちに味を覚えさせようという方針に変える。
藤原辰史京大准教授
給食存続の危機も
その後、1952年に日本は独立を回復する。そのときに給食を国の予算で実施しなければならなくなったが、当時の吉田茂首相と閣僚はもう給食をやめようという話になった。唯一反対したのは哲学者で文部大臣だった天野貞祐だった。
しかし、給食は存続した。それは2つの奇跡が起きたからだ。
1つは文部省の依頼でPTAが給食存続を求めるデモや署名活動などを起こし、大手新聞社の社説も給食擁護に回った。そしてもう一つが1952年の西日本の水害と東日本の冷害。災害によって学校給食の施設が炊き出しの拠点になり、やはり給食が必要だということになった。このように学校給食は災害など、その時代の危機的な状況から人々を救っていく機能があった。
人をつなぎ、農を元気に
日本一おいしい学校給食と言われる京都府伊根町の本庄小学校では、1人の栄養士が地域の農家や漁協に依頼し、100%地域の農産物を子どもたちに食べさせている。全校児童が少ないからできることではあるが、給食の時間ぎりぎりまで調理して温かい食事を提供している。調理師も一緒に食べ子どもたちの健康状態を把握している。給食が農業や漁業を活性化させた事例だと思う。
有名な千葉県いすみ市の有機農業給食は、高くなった有機米などの食材費を市が負担している。子どもを育て、地域の活性化につながる事業だと考えられているからだ。学校給食が農業を育てることに注目したい。
私たちが直面している地球温暖化による高温や山火事など崩壊ともいえる状況に対しては、農業もできるだけ化石燃料に頼らない農業を進めていかなくてはならない。
韓国ではファソン市で無償化有機給食に取り組まれいるが、これによって有機農業者が増えている。給食が農業者を増やすことにつながる。韓国では高校も自校調理が基本で地場野菜を使う。農家もこれによって自負心を得ることができし、市の一角には「共有キッチン」もあり栄養不足の人に弁当を届けている。福祉と農業が連動している。
食を通じて人と人をつなげる試みは給食だけでない。大阪ではおばんざい屋さんが料理教室を開いたり、給食がない夏休みに店の手伝いをすれば無料でごはんが食べられるという取り組みも行っている。音楽アーティストが入場料を野菜にしたというギブミーベジタブルは、プロの料理人が即興料理を作り食べるというかたちに発展し交流の場にもなっている。
このように食は分断化し無縁化した社会が進むなかで非常に大きな可能性を持ったものであり、それを供給する農業とは単に食料に関係する業界を盛り上げるだけではなく、福祉や教育、環境にも大きなインパクトを与えることができると考えている。
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