孫崎享氏「TPP参加に歯止めを」 農協研究会2013年6月10日
・本当のことが言えない風潮
・国より企業の利益を優先
・事実を直視、正しい判断を
・経済だけではない農業の価値
・農業者の行動を国民運動へ
7月のTPP(環太平洋連携協定)交渉に向け、日本の参加が近づいているが、このままTPP参加に向けて手をこまねいていていいのだろうか。「TPPへの参加は、日本の主権にかかわる重大な問題だ」。外務省で国際情報局長、駐イラン大使などを経て2009年まで防衛大学校教授だった孫崎享(まごさき・うける)氏は、既定路線のように流れる風潮に警鐘を鳴らす。6月1日開いた農業協同組合研究会で「TPPと日本の国益を考える」について講演した。講演の要旨を紹介する。
「TPP参加は国の主権を侵害する」
危険なISD条項、参加の流れに歯止めを
◆本当のことが言えない風潮
日本がTPPに入る理由はまったくない。国会議員などからなる「TPPを考える国民会議」が5月に開いたシンポジウムで、代表世話人の一人である榊原英資氏が経済摩擦に伴う1992年、93年の日米交渉の経験から、「取るものと取られるものがあるのが交渉。何もない交渉はありえない。TPPはとるものが何もない」と述べていた。その通りだが、いまこれを言うと変人扱いされる。
私はテレビで、「安倍首相はTPPでは交渉力を発揮して日本の言い分を通すというが、これはありえない。日本の国益を侵害する問題だ」と述べた。すると衆議院総務委員会のNHKの予算審議で、東京選出のある議員が、「孫崎はテレビでとんでもないことを話している。NHKは出すべきではない」と発言した。それで参議院の予算委員会が私を呼んだ。そのときTPPと尖閣問題、そして集団的自衛権について私の意見を述べた。こうした状況を踏まえて述べたい。
(写真)農業者の奮起を促した孫崎さん
◆国より企業の利益を優先
いま日本は大きな岐路に立っている。外交、内政にさまざまな問題があるが、特にTPPのISD条項が問題だ。投資家や企業が損害賠償を求めて相手国を提訴できる。これは国家の主権を脅かす重大な問題だ。ISDが基本とする経済理念は、受入国で期待される経済的利益を得られないときのものだが、TPPはそれで収まらず、健康、土地、政府調達、知的所有権など、広範な分野における企業の利益を対象にする。
例えば企業が建設した廃棄物処理施設で発生した有害物質でがん患者が発生し、自治体が施設の利用を不許可にした場合はどうか。有害物質のあるガソリンの輸入や、新薬の特許で臨床試験が十分でないときはどうするか。メキシコやカナダでは公害でがん患者を発生された企業の営業や施設利用、あるいは新薬の使用許可を取り消したことで、企業に訴えられ、数千万ドルの損害賠償を求められたことが数多くある。政府や自治体は企業が有害物質を出した場合、それを止めるのが当然だが、それが企業の利益確保を妨害したとして訴えられるのだ。
◆事実を直視、正しい判断を
カナダでは、臨床試験が不十分だとして製薬会社の新薬に特許を与えなかったことで、企業から政府が訴えられたが、裁判所は却下した。そこで企業はISDに提訴し、政府は1億ドルの損害賠償を求められた例がある。臨床が不十分といったら、安全まで臨床試験するのが当たり前。それが不十分ということで最高裁の判断をISDで覆す。国の最高機関である国会の決定をISDが裁くという事態が生じているのだ。
国民会議主催の国際シンポジウムで、ニュージランドのオークランド大学のケルシー教授が、安倍首相は、「交渉で日本が指導的な立場をとるというが、これはありえない」と述べていた。これまで参加国は17回の会合を重ね、残りは7月の2回の会合を残すのみで、10月に最終のサインになる予定。メキシコ、カナダの参加が、これまでの交渉結果をそのまま受け入れるようにという条件をつけられたように、交渉力発揮はありえない。18回が7月15日から25日だが、日本が交渉に参加しても最後の2日だけ。それでなにができるか。
伊丹十三の父親で映画監督だった伊丹万作が、昭和21年にこう発言している。第2次大戦が終わり「国民のみんながだまされたといった。しかし反対という人が出てきたら、みんなで排斥したではないか。思考を停止して大勢についていった」と。いま日本は思考停止の状態にある。考えると大勢から外れるから考えないようにする。それがまさにいまのTPPである。政府の言うことを検証し、きちんと事実を積み上げれば日本の主張が通らないことは分かる。
◆経済だけではない農業の価値
いま、多くの人は日本の米作りは経済的に合理性がないという。しかし、それで収入を得て生活を支えている人がいる。農業を経済だけ考えていてよいのだろうか。1999年、国際条約局長のときの思い出がある。ヨルダンのアブドゥッラー国王が王子の時、来日し食事を共にしたが、対日の目的は、当時死の床にあった国王が大好きだった青森りんごと松坂牛を買いにきたのだという。それだけ日本の農産物にはブランド力がある。これから中国や東アジアの富裕層がこうした安全でおいしい日本の農産物を求めるようになる。日本の農業は頑張れば展望が開ける。なぜTPPに入らないと頑張れないか。これはTPPと何の関係もない。
先の国際シンポジウムで、アメリカのパブリックシチズン貿易担当のワラックさんの資料によると、アメリカがカナダやメキシコと結んだFTA(自由貿易協定)にもISD条項が入っているが、そのときだれもこの危険性を論議しなかった。もともとISD条項は、法律が整備されていない後進国向けで、日本のような先進国を対象にしたものではない。ところが企業は、これをもって国内法にチャレンジできることを知った。訴訟の数も賠償金額も年々増え、もう、一つのビジネスだ。
ケルシーさんとワラックさんは「どこへ行って聞いても、日本がTPPに入る理由を話せる人がいない」という。それにも関わらず、参加推進論のオンパレードだ。前原・元外務大臣は「GDP1.5%の農業のため、98.5%が犠牲になっている」といった。TPPは関税の問題だという言い方だが、TPPはすべての経済分野に渡るのだ。菅・元首相は「第3の開国」といった。第1、第2の開国が分かっているのだろうか。明治の開国は関税自主権がなく治外法権が与えられた。第2次大戦の敗戦のときはどうか。降伏文書をよく読んでほしい。そこには「日本は連合国最高司官がすべての命令を出し、行動をとることを約束する」とある。すべてアメリカのいうことに従うということだ。
財界は「TPPに入らないと世界の孤児になる」という。しかしG8(主要8か国首脳会議)の参加国はどこも入らず、ブラジルなどのブリックス諸国も入っていない。アセアン諸国も大所は参加していない。それで世界の孤児といえるのか。「内需型産業から世界に打って出る」「円高への抵抗力を高める」「農業改革を急ごう」「TPP参加が日本の命運を決める」「競争力磨く志を再び」。推進派の主張だが、嘘と詭弁に満ちている。
◆農業者の行動を国民運動へ
また、TPPに入らないと日本の安全が守れないという。果たしてそうだろうか。いま、日本の安全保障上、一番大きな課題は尖閣の問題だ。尖閣諸島は1972年の日中国交回復のとき、田中角栄首相と中国の周恩来首相が、当面は触れず将来の解決に待とう、紛争の種にしてはならない、ということで処理してきたものだ。当時の新聞もそう報じており、それが常識だった。
外務省も、当時の条約課長で対米交渉に通じていた栗山尚一氏は「尖閣は棚上げで暗黙の了解が日中首脳レベルでなされた。78年の平和友好条約締結で再確認されたと考えるべきだ」と述べている。
しかし今の政府は「合意はなかった」という。どちらをとるかで対応が全然違ってくる。棚上げは当事者によって守られる限り、紛争の悪化を防止し、沈静する有効な手段になるが、政府はいま、その手段を自ら捨てている。
日米安保は、核の傘で米国が日本を守るためにあるという。しかし朝鮮戦争、ベトナム戦争で、米国は核兵器の使用を考えたが、結局、米国内と国際世論で使えなかった。いまも使えない。アメリカが核攻撃を受ける危険を犯してまで日本を守ることはない。核の傘は基本的には無いのだ。
いま日本の輸出は対米が15.5%、中国、韓国、台湾、香港の東アジアが38.8%。それでも15%を選ぶのか。もうアメリカと心中しなくてもよい時代なのだ。残念ながらTPP反対で頑張るところがだんだん少なくなった。最初から反対しているのは農業関係者だ。これがつぶれたらもう終わりになる。反対の理由は農業だったかもしれないが、TPP反対は国民のためでもある。頑張って欲しい。
(写真)活発に意見交換した研究大会
【講演者略歴】
孫崎享氏(元イラン大使、元防衛大学教授)
まごさき・うける 1943年生まれ。66年東大法学部中退、外務省入省。駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を経て2009まで防衛大教授。著書に『日米同盟の正体』、『不愉快な現実』(講談社現代新書)、『戦後史の正体』(創元社)、『転ばぬ先のツイ』(TPP等についてツイッターしたものに解説・漫画をつけたもの)など。
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