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【提言・岡田知弘(京都大学経済学研究科教授)】農業・農村の所得倍増は可能か? むなしく響く政治的空文句2013年6月10日

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・村にもアベノミクスの恩恵?
・説得力ない陳腐な政策
・TPPによる影響との矛盾
・所得倍増と内需拡大
・求められる地域発展戦略

 安倍首相が打ち出した「農業・農村所得の倍増政策」。確かにこの15年間で家族労働費などを含めた農業所得は5兆円から3兆円へと落ち込んだ。農業の収益性は悪化しており、これを改善させ所得増大を図ることは大きな課題だ。しかし、安倍政権が実行しようとしている政策で所得倍増は可能なのか。現実味のある政策はどのような手順と視点から考えられる必要があるのか。岡田知弘・京大教授に指摘してもらった。

農業衰退の原因を探り、
地域から再生の戦略づくりを

◆村にもアベノミクスの恩恵?

岡田知弘氏(京都大学経済学研究科教授) 5月17日、安倍首相は、成長戦略の第二弾として「農業・農村所得倍増計画」を打ち上げ、具体的な検討を行うために「農林水産業・地域の活力創造本部」を発足させた。例によって、仙台や大分の農村でのパフォーマンスも交えて、“「アベノミクス」の恩恵は農業・農村にもやってくる”というメッセージを伝えたかったようである。
 しかし、鳴り物入りの「農業・農村所得倍増計画」ではあるが、その中身はいかにも陳腐で、説得力がない。現在、政策の柱として打ち出されているのは、10年間で農業・農村所得を倍増にするという数値目標と、それを実現するための[1]農林水産物の輸出倍増戦略、[2]付加価値を増大させる6次産業化市場の拡大、[3]農地集積による農業の構造改革の推進という3つの政策群である。


◆説得力ない陳腐な政策

 陳腐というのは、これらの政策は、多かれ少なかれこれまでの自民党及び民主党政権下の農政の基調に据えられてきたものだからである。むしろ、これらの政策の継続にもかかわらず、日本の農林漁業、農山漁村が疲弊した原因を探るところから始めなければならない。
 安倍首相は記者会見のなかで「この20年間で、農業生産額が14兆円から10兆円へ、生産農業所得は6兆円から3兆円へと減少。高齢化が進行し、耕作放棄地が拡大した」と指摘しているが、その原因については何ら分析してはいない。
 日本の農山漁村の疲弊が一段と深化したのは、1986年の前川レポートで農産物や中小企業製品の積極的輸入政策と海外直接投資の促進がなされて、農山漁村の基盤産業が崩壊しはじめた時期である。農家の兼業先であった地場産業の衰退や分工場の閉鎖も、農家所得、農村所得の減少をもたらした。さらにWTO体制下に入って米をはじめとする農産物価格の国際価格水準への引き下げと農産物市場の自由化、価格支持政策の撤廃、減反政策の堅持がなされたことが拍車をかけた。
 その際、直接支払制度の導入や農地の利用集積、農業の法人化政策が追求されたものの、大規模経営体も含め補助金なしには経営が維持できない状況にまで追い詰められたのである。
 農業後継者を系統的に確保することもできず、高齢化の進行のなかで耕作放棄地が拡大したのは当然の帰結であった。農産物輸出がクローズアップされたものの、それらは一部の農業経営だけに限られ、農村地域全体を潤すものではないうえ、福島第一原発事故によって一気に市場を失い、輸出依存の不安定性さを見せつけたのはつい最近のことである。
 6次産業化も、民主党政権下で推進されたが、その主体が農外資本やアグリビジネスになってしまうと、農村の農家所得の向上につながる保障はない。現在、仙台平野の被災地で見られるように外資系企業や国内の食品メーカー等が復興特区補助金を使って農地を集積し、野菜工場や精米工場をつくり、付加価値を高めて販売したとしても、そこに住む被災農家の所得向上に直結することにはならないだろう。
 以上のような、これまでの農業政策と現状の農業構造の根本的な政策見直しと現状分析なしに、使い古された政策を再び持ち出しても、その非科学性ゆえに「所得倍増」という言葉は、政治的空文句としてむなしく響くだけである。


◆TPPによる影響との矛盾

 加えて、説得力がないと指摘したのは、安倍内閣が盲目的に推進しているTPP(環太平洋経済連携協定)参加にともなう影響が踏まえられていないからである。TPPによる関税撤廃の農林水産業への影響については、政府の試算においても3兆円の減と推計されている。しかもこれは、主要農林水産物への直接的影響額のみであり、広い意味で「6次産業」といえる地域の農林漁業関連産業への影響は考慮されていない。
 5月22日に「TPP参加交渉からの即時撤退を求める大学教員の会」が記者会見で発表した推計結果によると、農林水産業への直接効果はマイナス3.5兆円、さらに関連産業への波及効果はマイナス10.5兆円となり、190万人の雇用(うち、143万人が農林水産業)が失われることになるという。
 これに、現時点では影響計算が不可能な非関税障壁撤廃の影響が加わる。例えば、TPPの交渉項目のひとつである「政府調達」において、一定金額以上の建設・物品、サービス発注の国際開放が義務付けられれば、現在、地元の建設業や商店、農家、協同組合に優先発注している地方自治体の公共調達政策が実施できなくなり、農山村地域の産業が一層弱体化することは必定である。
 いったい、これらのTPPによる生産減少額を補ったうえ、現状よりも農業所得・農村所得を10年間に倍増させうる見通しはどこにあるのだろうか。
 安倍首相は、直接支払の拡充を示唆しているが、もっともありうるシナリオは、構造改革政策と補助金の「選択と集中」によって育成されるごく少数の大規模農業経営体が、個別経営体としては輸出や6次産業化、そして補助金によって収益を倍増させるものの、TPP体制下で圧倒的多くの経営体と農山漁村全体の所得は、輸入農林水産物の増加や内外の農外資本の参入によって、これまで以上に大きく減少するという方向であろう。


◆所得倍増と内需拡大

 もともと「所得倍増計画」は、1960年に池田勇人首相が提唱した政策であり、その後の日本の高度成長を牽引した政策である。このとき、農業所得も倍増したが、その背景には米価等の農産物価格支持制度によって都市と農村の所得の平準化を図ろうとした政策があったことを忘れてはならない。
 さらに、この高度成長期のもう一つの教訓は、公害問題等の負の側面をともないつつ、目に見える経済成長を実現したのは雇用者報酬の増大による内需拡大があったということである。一般に、高度成長は大企業の重化学工業化による輸出市場の拡大によってなされたという神話が存在する。
 しかし、いざなぎ景気の時代においてすら、輸出の所得増加寄与度は14%あまりで、しかもそれは輸入によるほぼ同率の減少寄与によって、相殺された。所得増大の最大要因は、農山村部から大都市圏への大量の労働力移動と、それにともなう生活必需品、家電・オートバイ、自動車市場の拡大と、それに誘発された設備投増進の結果であった。
 これは、雇用者報酬と内需を抑制したままでの輸出拡大のみによって「成長」を図ろうという「アベノミクス」とは根本的に異なる「成長」の仕方であった。逆に言えば、雇用者報酬の増額による内需拡大こそ、基本に据える必要があるといえるが、これは構造改革・TPP路線とは真っ向から対立する方向である。


◆求められる地域発展戦略

 しかも、現在、少数の「強い」多国籍企業や農業経営体を育成することが「成長戦略」として語られているが、3.11を機に持続可能な日本経済と国土を、地域から再生することこそ、焦眉の戦略課題となっている。
 今や食料自給率も化石エネルギー自給率も先進国中最低となり、外貨準備高は中国にも抜かれた。しかも、貿易収支が赤字基調に変わるなかで、日本は食料やエネルギーといった基本的な生活手段、生産手段を安定的に調達できない国になってしまったのである。頼みの投資収益は、その7割が東京、2割が大阪と愛知に還流する構造となっており、地方には「投資立国」の恩恵はない。
 国家戦略というのであれば、むしろこのような持続可能性の危機から脱却するために、耕作放棄地や荒廃山林が広がる日本の農地や森林を活用し、農業や再生可能エネルギー産業の育成、国土保全投資を行うことこそが必要である。
 その際、もうひとつ重要なことは、日本列島のどの地域でも経済活動が保障され、そのことによって就業機会と所得、エネルギーの地域循環が形成されるように、地域内の農林漁家、協同組合、中小企業、NPOの地域内再投資力を量的質的に強化することである。域外資本によって、農業やエネルギー産業の拠点的整備がなされても、その経済的果実が本社のある東京や外国に流出してしまっては意味がないからである。そのような地域発展戦略こそ、求められている時代である。


【著者略歴】
おかだ・ともひろ
1954年富山県生れ。
京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。岐阜経済大学助教授を経て、京都大学経済学部助教授、同経済学研究科教授。主著に、『日本資本主義と農村開発』法律文化社、1989年、『一人ひとりが輝く地域再生』新日本出版社、2009年、『増補版 道州制で日本の未来はひらけるか』自治体研究社、2010年、『TPP反対の大義』(共著)農文協、2010年、『TPPで暮らしと地域経済はどうなる』(共著)自治体研究社2011年、『震災からの地域再生』新日本出版社、2012年、などがある。

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