あらゆるものを「商品化」 アメリカ発の株主至上主義 ジャーナリスト・堤未果さん2015年1月26日
・「命の沙汰」は「保険の値段」
・特区で自由診療皆保険を危機に
・守るべきは守る足下から行動を
『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書)以来、食料や農業のみならず教育、医療などまでに市場主義が導入されるアメリカ社会の現状をレポートし、日本に警鐘を鳴らしてきた堤未果さん。昨年秋に出版した『沈みゆく大国 アメリカ』(集英社新書)では、かの国の医療制度改革の実態を明らかにして注目を集めているが、アメリカ社会とはどういう社会なのだろうか。改めて語ってもらうとともに、今は再生に向けて地方では住民が主人公となった動きも出てきたという。堤さんは「アメリカ社会の危機から生まれたこの動きは、日本で叫ばれている地方創生の理想的なモデルかもしれません」とも話した。
対抗軸=「主役は市民」
社会再生へ新たな動き
――最新の著書はどういう思いで書かれたのでしょうか。
この本はアメリカ版皆保険制度、いわゆるオバマケアの問題が切り口ではありますが、医療のルポではありません。アメリカが過去30年間ずっと続けて来た「株主至上主義政策」の最新分野である「医療保険制度」に焦点をあて、それまでの他の分野との整合性を整理し、日本の近未来へ問題提起したものです。
「株主至上主義」とはひとことで言うと、国が国民の生活にかかわるあらゆる分野を商品にしていく政策です。
国家があらゆるものを商品化して新しい市場を次々と作ってゆく。昔は石油でしたが、それが農業、食品、教育、保育、戦争、刑務所、自治体へとどんどん対象が拡大され、今回が医療というわけです。 今まで国が予算をつけて安全や平等や環境保護や公共利益などを守るために規制していた「社会的共通資本」が商品化され、市場に並び値札がつけられるとどうなるか。お金がある人は買えますが、お金がない人は手が出なくなってゆきます。
――堤さんが指摘してきたアメリカ社会の格差、貧困とは、何でも商品化する社会が生んだということですか。
その通りです。一握りの超富裕層がますます潤い、それ以外が転落してゆくという今のアメリカの異常な経済格差は、自然に発生したものではありません。
――しかし、「オバマケア」とは米国でも国民みんなが健康保険に入れる制度にしていくものであって、無保険者がいなくなるのでこれはいい改革ではないか、と思っていましたが…。
アメリカが導入したこの新しい医療保険制度を日本では“皆保険制度”と翻訳していますが、実際は「民間皆保険」と訳した方が実態に近いでしょう。
アメリカでは医療自体が「商品」であり医療保険は民間商品だからです。今回のオバマケアとは、民間の医療保険に強制加入することを国民全員に義務づけた制度ですから、日本の「国民皆保険制度」とはなりたちも中身も180度違います。
――日本とアメリカではそもそも前提が違う、と……。
日本の国民皆保険制度は憲法25条がベースです。25条は「国民の生存権、国の社会保障的義務」を定めていますね。社会保障とは国民の最低限の生存権を守るために、国が責任を持って税金を使って提供し、税金を使って監督し、税金を使って規制をしていくものです。そして公務員がそれを担う。私たち国民は憲法に沿って政策を実施する政府と公務員をチェックする。
これに対してアメリカの医療保険制度はまったく憲法などとは関係がない。実際、医療や医薬品の値段を決めているのは、売っている側の株式会社であり、その株主です。 日本では製薬会社の言い値で買っていたら国民皆保険制度が成立しなくなってしまうので、政府の審議会で薬価などを決めていますね。しかし、アメリカではすでに政府が業界側の圧力で薬価交渉権を放棄していて製薬会社はまったく自由に値札を付ける。
保険料も、日本ではどんなに収入が高くても国民健康保険の掛け金には年間上限があり、どんなに高額な治療を受けても自己負担額に上限をつける「高額医療制度」がありますね。その本質が「いつでもどこでも誰もが安心して治療を受けられる」という社会保障の在り方に沿っているからです。これがアメリカにはない。「商品」だからです。
――アメリカにも高齢者や低所得者を対象にした医療保険制度があると聞きましたが…。
はい。65歳以上の高齢者を対象にした「メディケア」と、低所得者を対象にした「メディケイド」という公的医療保険があります(下図)。
日本の皆保険制度にいちばん近いのがメディケアです。政府が高齢者から毎月掛け金を集めて医者や病院、製薬会社に直接支払いを行います。
一方、メディケイドというのは超低所得層を対象に政府と州が掛け金まで払ってあげる制度です。しかし、アメリカでは医療は商品ですから、掛け金に見合った商品内容になる。つまり、メディケイドのように、掛け金をぎりぎりに抑えている商品には非常に狭い範囲の医療しか提供されません。さらに回収率が悪いため治療すると病院の持ち出しが増えるので、メディケイド患者を拒否する病院も多く、診てくれる医師を探すのも一苦労です。また、メディケアは毎月自己負担が高くなっており、中流以下の高齢者は年々苦しめられています。
これに対して日本の場合は、生活保護受給者も高齢者も同じスタンダードの医療が、全国どこの病院でも受けられますね。一口に国の公的医療制度と言っても、それが「社会保障」か「商品」かでこんなにも変わることが、アメリカをみるとよく分かります。
◆「命の沙汰」は「保険の値段」
――日本とは大きな違いがありますね。
日本人も金融商品や生命保険を買うとき、全部契約書を読んでいるかというと、あまりよく分からないまま買う方が多いですよね。アメリカ人にとっての医療保険もそれとかなり近いイメージです。
しかも、所得によって買えるパッケージが変わるので、大企業勤めの人などは企業が大口で購入するため手ごろな掛け金でいい保険に加入することができますが、中流の人は掛金も自己負担分も高い。
日本では病院に駆け込むと、“どうされましたか?”と聞かれますが、アメリカでは“どこの保険会社に入っていますか?”と聞かれる。そうしないと保険会社Aのプランだと8割カバー、一方、B社のプランなら5割しかカバーされていないということがあり得ますから、5割カバーの患者を安易に治療して助けると、残りの5割をその患者が払えなかったときには病院の持ち出しになるからです。いのちの沙汰は加入している「保険の値段」次第ということです。
――改めて今回のオバマケアの問題点を――。
今までの解説から明らかなように、商品としての民間医療保険が基本のアメリカにあって、民間保険への強制加入とはすなわち、国家が税金を使って全国民に市場原理をあてはめていくことにほかなりません。
同じ市場原理重視でも共和党のブッシュ大統領であれば、むしろお金がない人は切り捨て、小さな政府こそ大事、という姿勢でしたが、オバマ大統領は国が強制加入を義務づけたうえに、低所得層には税金で毎月の保険料を補助し、民間保険に加入しない国民からは国税庁が罰金を取ることにした。
しかし、その保険料や罰金など国民の税金は民間保険会社や製薬会社に流れる一方で、肝心の患者や医師の負担は前より重くなり、医療現場では医師不足と医師の過剰労働、病院の倒産件数などもオバマケア施行後に増えています。
――こういう政策は本来の民主党の政策ではないようですが…。なぜ、そうなったのでしょうか。
そうですね。本来民主党は労働者の権利の代弁者である労組が支持基盤でしたから。しかし規制緩和であらゆるものを商品化したこの30年、アメリカは「寡占化ラッシュ」で巨大企業が中小企業を淘汰してゆき、労働組合組織率が急激に低下しました。
労組に替わって民主党のスポンサーになったのは共和党と同じ多国籍企業や投資家などの超富裕層です。選挙も既に「投資商品」の一つであるアメリカで、これはルーレットの赤と黒両方に賭けるようなもの。リスクの分散であり、どっちの政党が政権をとっても規制緩和、市場主義はずっと続く、というわけです。今のアメリカでは、2大政党神話がもう崩れていることにも注意しなければなりません。
――それは何を意味しているのでしょうか。
いわば世界全体が株式会社化しているということです。多国籍で顔のない株主がいちばん効果的に儲かるためには規制や枠組みはできるだけないほうがいい。国境、国家、憲法、議会制民主主義、司法、行政、組合、文化、人権、共同体、こうしたものは人類が長い歴史の中、不断の努力をして積みあげてきたものですね。しかし、これらは世界全体を市場とする多国籍企業側にとっては「非効率」です。日本も農業や教育が次の市場としてターゲットになっており議論になっていますね。日本の国民皆保険制度も、「商品化」すれば100兆円市場といわれるビジネスチャンスとして、熱い視線を寄せられています。
◆特区で自由診療 皆保険を危機に
実はいま話題になっているTPPよりももっと、注視しておかなければならないのは、すでに政府が医療の投資商品化、自由診療と保険診療を組み合わせる混合診療の適用拡大や、国家戦略特区で医療の大型法人チェーン化などを次々に進めていることでしょう。
これについて先日医師の鎌田實先生と対談をしたのですが、鎌田先生も同じように、規制緩和された特区内で薬価が高騰し国民健康保険ではカバーできなくなり、混合診療が拡大してゆくこと、地域医療が崩壊することを強く懸念されていました。自由診療が広がれば儲かるので外資をはじめ企業が参入し、自由診療が増えてゆく。大型チェーン化で病院の買収が行われ、医療に関係ない株主が経営することで採算が取れない産科や小児科、救急外来が切り捨てられたり、経営収支が悪ければ株主判断で地域から撤退するなど、米国と同じ状況になる可能性があります。
特区は患者の医療費負担は上がりますが病院は儲かるから税収は増え自治体財政も良くなる。そうなれば他の県も当然手を挙げるでしょう。こうしてアメリカ流の市場主義、ビジネスモデルが日本全国に広がって行った時、国民皆保険制度は維持できなくなってしまう。それが心配ですね。
◆守るべきは守る 足下から行動を
――私たちには何が求められていますか。
今進行している事態について関心を持ち、知り、広げることです。その際、農業や医療や教育を分けて考えず、暮らしという一つのパッケージだと思ったほうがいい。そのうえで自治体レベルで市町村議会議員、さらに都道府県議会議員に働きかけ、認識を共有し、守るべきものを守るための行動を起こさせることで変化が起きます。
アメリカでは医師は医療という商品を売るための一つの歯車にされてしまったため、こんな働き方は嫌だ、人を救いたいから医師になったんだ、という人たちがネットワーク作って巨大保険会社が支配する医療システムの外側に出ようとしています。保険会社が毎年毎年保険料を上げていくので、これを何とかしようと住民投票をする動きも女性を中心に出ています。例えば自分の自治体の議員に働きかけて、新たなシステムをつくる決議をしてもらうのです。
こうした例を聞くと、これこそ日本で言う本当の地方創生の姿ではないかと思います。真の「地方創生」とは中央からではなく、地域の人が主役になって、コミュニティや地域の農業、医療、教育などを作りあげていくことではないか。アメリカでいま起きつつあることは、危機のなかから生まれた地方創生の新たなモデルに思えます。
強欲資本主義の暴走によって底辺まで行った米国だからこそ、人々の知恵や勇気が希望を生みだしている、日本の私達へのヒントもそこにあるように思えてなりません。
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