農政:どうするこの国のかたち
まちづくりの起点は 市民一体の農業振興 (神奈川県秦野市 古谷 義幸 市長)2016年6月13日
古谷義幸市長(神奈川県秦野市)
聞き手・東京農工大学梶井功名誉教授
行政と農協が連携し成果
准組合員は農業守る仲間
神奈川県秦野市は都市的地域ながら新規就農者もじわりと増えるなど、農業振興に力を入れている。その成果は秦野市農協(JAはだの)や農業委員会と一体となってワンフロアで農業振興を実践する「はだの都市農業支援センター」の取り組みなどにあるが、何よりも市民生活のなかに農業をさまざまなかたちで結びつけてまちづくりをしようという古谷義幸市長の思いにある。市民力、地域力がまちづくりに必要と強調する古谷市長を訪ねた。聞き手は梶井功・東京農工大学名誉教授。
◆農耕文化とまちづくり
梶井 秦野市は秦野市農協と一緒に農業振興に取り組んでいるということをかねがね聞いています。どんな地域づくりをめざしてこられましたか。
古谷 市長に就任して11年目ですが、就任時に市の将来像を市民に分かりやすく説明しなければいけないと思いました。そのとき私はちょっぴり田舎の香りがするまちづくりがいいのではないかと言いました。
秦野市は今、人口16万8000人ほどです。人口900万人を超えている神奈川県のなかではけっして人口が多いわけではありません。特色としては県内唯一の盆地のまちで、丹沢の山並みを背中に目の先には相模湾にも近く、横浜、川崎、東京にも近い。今、国はまちづくりではコンパクト・アンド・ネットワークが大事だと言っていますが、秦野市ではそれがすでに具現化されています。
農業は限られた品目を大量に生産する農業ではなく多品目少量生産です。市場にも近いという有利性もあり、観光農園をはじめ、農業がいろいろなかたちで市民生活に結びついているのではないかと思っています。
私は農業にも2種類あると思っています。1つは攻めの農業です。近代的な収益性の上がるような農業としてがんばってもらう。
そしてもう1つは守りの農業です。小さな谷あいの棚田も山に張りついたような小さな畑もそれぞれ農耕文化の長い歴史と文化があるわけですから、そういうものを市民みんなで守っていこうじゃないかということです。これが攻めの農業と守りの農業です。モノづくりの盛んでないまちは滅びてしまいますから、農業でもこんなことをみんなに話しながら今日までやってきました。
◆日本一の地下水も誇り
梶井 そのまちづくりの取り組みのなかで、秦野市の水道水「おいしい秦野の水」が環境省の名水部門で全国一位に評価されたそうですね。
古谷 実は30年前に日本の名水100選に選ばれていますが、けっしていい歴史ばかりではありませんでした。工場が進出して有害物質が地下水に染み込んでしまったこともあって、市民こぞってこれを除去しようと努力をしました。当初、除去には100年かかるといわれていましたが何と15年ほどで、もとに戻ったということです。そうした歴史のなかでおいしい水と評価されたのは、市職員の知恵や市民の協力があってこそです。
秦野市の地下には約2億8000万tの地下水が流れていると言われています。その量は芦ノ湖の1.5倍といわれ、この地下水をいかにまちづくりに活用していくかが課題でしたが、日本一おいしい水と認定されたことは大変に名誉なことです。
梶井 その水道水を農業用に使う分については料金を安くしていると聞きましたが。
古谷 地下水は市民全体の共有財産ですから、みんなで大事にするには水道水を農業に使ってもらい地下水に還元しようという思いがありました。そこで農業生産に負担にならないように料金設定しています。具体的には基本水量を超過した分の料金について農業用は安く設定されているということです。全国でもあまり例のない料金体系ですが、地下水保全のための本市の姿勢を現したものです。
梶井 その農業振興のための都市農業振興計画は市と農協がタイアップして作成されたと聞きましたが。
古谷 市の都市農業振興計画と農協が作成した地域農業振興計画とは連動しています。そのなかで「はだの都市農業支援センター」を市と農業委員会、農協が一体となって平成17年に設置して運営しています。
梶井 全国的にもめずらしい体制だと思います。
◆新規就農者が農地担う
古谷 3者が組織の垣根を越えて農業支援に関する機能をワンフロア化しようということで農協の本所にセンターがあります。それぞれの持っている専門分野の力をワンフロアで活かす体制はこの10年間、かなり農業振興に役に立ったのではないかと自負しています。
たとえば、新しく就農したいという人たちを対象にこの農業支援センターでは「農業塾」を開いています。市長が塾長、農協の組合長と農業委員会の会長が副塾長と3人で責任を持つ体制です。
農業塾では農業への参画形態に合わせて3つのコースを設けていて、1つは「基礎セミナーコース」で市民農園や家庭菜園に取り組みたいという方を対象にした座学を中心にしたセミナーです。
もう1つが本格的な新規就農をめざす「新規就農コース」です。
これは基本的には2年間農業塾に通っていただき、卒業すると10~30aの畑を利用権設定して借りることができて、基本的には野菜栽培で新規就農してもらうというコースです。
もう1つのコースが農産加工品の製造販売をめざす「農産加工起業セミナーコース」です。この3つのコースがあればいろいろな人が農業に参画できるということから実施しています。
開講して今年で10年になります。新規就農コースは現在67人が修了しており、うち54人が市内に就農しています。54人の耕作面積は合計で約11haになっており、このなかには荒廃農地を解消して新規就農者に担ってもらったという農地もあります。
梶井 こうした都市近郊地域で農業をやってみようという気持ちを持たせてくれること自体が素晴らしいことですね。
古谷 それが農業塾の大きな目的だと思います。
農業で生活をしていこうとすればよほど大規模に経営しなければなりませんが、秦野の場合、私は半農半商、半農半工、半農半サラでもいいと思ってます。生活しながら農業に従事できるような環境ができれば必ず農業に目が向いていく。農業に目が向くということは環境を守ることにつながっていきます。いろいろなかたちで農業の担い手が増えていけばいいと思っています。
しかも半農半サラといっても農協の直売所「じばさんず」もありますから、売れる農産物をつくるんだという自負心を持ってやっていってもらう。これがやり甲斐になっていると思います。
梶井 ところでこの地域では新東名高速道路の建設が進んでいますが、これにともなって秦野市の農業、産業振興の方向に変化が出てきますか。
古谷 平成32年には開通し秦野の盆地のなかにサービスエリアができます。ここにスマートインターチェンジを建設することが決まりましたから、周辺からも乗り降りができるようになります。これに伴って周りも一部は工場エリアに、そして一部は農業の振興エリアに変わっていってもらいたいと思っています。観光農園なども含めてサービスエリア周辺を秦野市の農業振興に結びつけていきたいと思います。
梶井 そういう農業を柱としたまちづくりには農協も力を入れているようです。改めて農協の役割についてどうお考えですか。
古谷 先ほども申し上げた守りの農業は市民全体で支えていかなければならない。一方で農協は専業農家の人たちが食べていける農業、攻めの農業を積極的に振興してもらい、行政はそれを支援していきたいと考えています。ただし、農協は農家のためだけではなくて市民のなかの農業組織だということです。たとえば直売所の売上げの一部を市に寄付してもらい、市はそれを活用していろいろな施設整備をしています。
市と農協はトップ同士で意見交換ができる関係にありますし、農業支援センターを通じて農協の職員と市の職員が侃々諤々の議論をしながら付き合っていくことがこれからも大事だと思います。
◆市民のための農協組織
梶井 一方、今回の農協改革では准組合員が問題視されています。しかし、秦野市農協の場合は市民と一緒にこの地域の暮らしを守るために農協としてやらなければいけないことに力を入れており、准組合員がその活動に参加しています。農協は地域での暮らしを支えていると思います。
古谷 私も准組合員です。なぜ准組合員になったかといえば、秦野市の農業を支える仲間になりたいと思ったからです。ですから准組合員制度が悪いのではなくて、准組合員制度を地域に密着したかたちでしっかり運営すれば国も理解すると思います。
秦野市では准組合員になることによっておいしい農産物を安心して食べることができると共感している人も多いのではないかと思っています。
ですから、やはり世の中が変わってきていますから農協も今までと同じようなやり方をしていては市民から期待されなくなります。それにはぜい肉を取り無駄なことを止めることです。そして本来の目的に沿ったかたちで組織運営することだと思います。
市も行政改革に取り組み公共施設の再配置を進めてきました。勇気を持って自分の組織を、痛みをがまんして時代に合ったものに変えていく努力をする。それをしないと組織を支えている人たちから見放されてしまうと思います。
それから、私が秦野市農協の准組合員になろうと思ったのは、ここの農協は1自治体で組織されているからでもあります。秦野市農協=秦野市、つまり、行政体と一緒の目的を持てる。これが広域農協になると地域に貢献するという目的が希薄になってしまう。
だから秦野市は一生懸命、秦野市農協を応援する価値がある。それは何かといえば秦野市農協を応援することは秦野市民を応援することになるからです。
梶井 ありがとうございました。
【インタビューを終えて】
市長さんが農業塾の塾長をつとめている、という市は、秦野市を除いては無いのではないか。"ちょっぴり田舎の香りがするまちづくり"を、11年前市長に就任したときから心がけている古谷市長なればこそ、であろう。 "秦野の農業を支える仲間になりたい"との思いから、市長はJAの准組合員でもある。
都市農業振興基本法が施行され、都市農業が改めて見直されつつある今、こういう市長さんがもっと出てきてほしい、と思う。(梶井)
(写真)古谷 義幸 市長(神奈川県秦野市)、東京農工大学 梶井 功名誉教授
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