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農政:花開く暮らしと地域 女性が輝く社会

【花ひらく暮らしと地域 女性が輝く社会】命育む農の営みと社会的共通資本 内科医 占部まり氏に聞く2022年2月15日

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占部まり氏は、ノーベル経済学賞に最も近いと称された経済学者の故・宇沢弘文氏(1928~2014)の長女で、内科医の傍ら宇沢氏が提唱した「社会的共通資本」と地域医療の課題に関する研究・講演活動を行っている。宇沢氏の唱える社会的共通資本について、また、終末医療における「命(いのち)」と人の「尊厳」について聞いた。(聞き手は加藤一郎・千葉大学客員教授)

内科医 占部まり氏内科医 占部まり氏

工業化とは一線 命と尊厳を育む

――占部さんの父、故・宇沢弘文氏は、社会的共通資本の重要な構成要素として、(1)自然環境(大気、森林、河川、水、土壌など)(2)社会的インフラストラクチャー(道路、交通、水道、電力、ガスなど)(3)制度資本(教育、医療、司法など)を挙げ、すべての要素に関わるものとして農業を位置付けておられました。また「農業」という言葉には抵抗があり、「"農の営み"と言いたい。これは"水の営み"と同じように社会的共通資本だ」と言われました。

「農の営み」がある場で働き、生きている人々を総体としてとらえるべきで、市場経済のもとで農村が自立するには、個別農家ではなく「農村」を経営単位でとらえるべきだとも指摘されています。この考えの背景にはどのような思想があるのでしょうか。

宇沢は「農の営み」について、その始まりは、人類の歴史で最も重要な契機で、人類を特徴付けているものとして存在していると言ってもいいのではないかとしていました。自然と直接的に関わりを持ちつつ、自然の持つ倫理に従って、自然と共存しながら、人類の生存に欠かせない食料を生産し供給するということで、工業部門とは極めて対照的なものであると捉えていました。

また、「農の営み」という考え方に大きな影響を与えた経験がいくつかあると思っています。まず、第2次大戦中、山陰の曹洞宗のお寺での疎開経験です。そこで、農を営む人々の物心両面の豊かさを肌で感じたのではないでしょうか。

また、成田空港建設に農民が抵抗した三里塚闘争の平和的解決を目指す円卓会議に有識者として参加したことも大きな影響を受けたようです。農地は、先人たちが重ねた歴史の上に成り立つもので、ただ単に代替地を提供することだけでは解決するものではないことを実感したのではないでしょうか。

成長の場としての農

――占部さんは農業・農村をどのようにみていますか。

私自身は農業に携わったことはありませんが、末子が小学生の時、長野県の売木村へ2年ほど山村留学したことがあります。ごく近しい人が作った米や野菜を食べ、毎日自然豊かな環境で7、8キロ、自分の足で歩くという農村での生活を体験しました。自然に触れることで広がる子どもの可能性を目のあたりにして感動しました。都内の塾は集中力を高めるために窓のない教室もあるというのに、大きな違いを感じました。

次女は、コロナの最中、熊本県の阿蘇でオンライン中心の半農半学生活を体験し、人間的に大きく成長しました。受け入れ先に恵まれたと言うこともありますが、農の営みは食料生産だけではなく、人の成長の場としての大きな可能性を秘めているという印象を受けました。

――ところで占部さんは、胃瘻(いろう・おなかに開けた穴にチューブを通し、直接、胃に食べ物を流し込む方法)について述べておられます。私の友人の医師が、「胃瘻によって医療が変わり、人間の平穏死・尊厳死がクローズアップされた」と言っていました。占部さんは「死ぬ力」について書かれていますが、医療は進歩しています。占部さんは「命の自然なプロセスとして終末期の命を看る、看取る人々」との考えを述べておられます。「人には死ぬ力が備わっているのではないか」と書かれました。このところをお話いただけませんか。

胃瘻は1979年に内視鏡で作る方法が開発され、まずは小児に対して行われ、その後急速に広がっていった医療技術です。点滴よりも、胃に食べ物を直接入れることは生理的にかなっています。術後の回復や体力の向上にも効果が大きいです。ただ人生の最終段階の人々に対しては必要でないこともあります。父は、晩年食べものを受けつけなくなり、胃瘻を作りましたが、終末期はむしろ苦しいものとなってしまいました。医療処置から遠ざかることでもっと楽に見送れたのではないかと今では思っています。

もちろんこのような医療でつなぎとめる命もあり、生き生きと暮らしている方もたくさんおられます。ですが、亡くなるときは、その人の持つ力に任せたほうがいいのではないかと思うことがよくあります。 

医療の現場では、最終段階の医療を決めなくてはならないことがよくあります。事前介護指示書などであらかじめ示しておくことも重要ですが、自分の終末期という悲しいことを細かく考えていくということはどうかなとも思います。終末期がどのようになるかは予測しきれるものではないからです。それよりは、どのような生き方をしてきたか、何を大切に思っているのかなどを話しておくことの方が大切だと思っています。  

その積み重ねが、その人の尊厳を守ることにつながるのではないかと感じています。

そんなわけで、いろいろな人と"死を想う"場が必要なのでは、と設立した日本メメント・モリ協会では、『人生最後に聴きたい音はなんですか?』という問いを大事にしています。

――私は団塊の世代です。退職して都内の大病院から近くの病院に行き始めた人が増えています。その大半はおそらく自宅で最期を迎えるわけで、これから在宅での介護が増えると思います。この点、女性は上手に歳を重ねていますが、問題は男性で、早めに方針を立てておく必要があると思います。

高齢者こそ社会参画を

高齢者の呪縛解放

社会とのつながりが、健康年齢に大きな影響を与えていることがわかっています。いかに社会とのつながりを持ち続けるかということが、男女問わずに課題となるのではないでしょうか。

いまの社会保障は、定年後5年ぐらいで亡くなることを前提としたモデルでした。しかし、今は定年後、20~30年は優に生きる時代です。現行のシステムでは、社会保障費で賄えるわけがありません。その当時より、高齢者はものすごく元気なので、本質的には公的なサポートが、そこまで必要がない人が多いのが現状です。その時代の年齢は今の年齢の7掛けと言われます。

「サザエさん」の磯野波平さんは54歳、「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長は52歳の設定です。今の感覚では70歳代と言ってもおかしくありません。今の100歳でようやくかつての70歳のイメージです。高齢者と自身にレッテルを張ることなく、積極的に社会と関わることが、健康年齢を伸ばす秘訣(ひけつ)です。

高齢者にむちを打つのか、という方もおられますが、65歳という年齢で区切った場合、高齢者というカテゴリーは似つかわしくない人が多くなっています。そういった人たちに、積極的に社会参画をしていただくことは、ご自身の健康促進になりますので、本来は、「三方よし」となる提案だと思っています。

寿命には配偶者の死の影響が大きく、妻が亡くなると30%寿命が短くなるというデータもあります。一人になってから料理を覚えるのも大切ですが、楽しくすることが大事です。好きでなかったら料理などしなくてもいいのではないでしょうか(笑)。

健康観の見直しを

オランダでは「ポジティヴヘルス」という考えが生まれています。健康を、静止した「状態」とするのではなく、病気や障害などの困難な状況に立ち向かう「能力」を健康とするという考えです。今は病気がないとか精神的に満たされている状態という健康観では、ほとんど健康な人がいなくなってしまいます。ポジティヴヘルスですと、誰でも健康になれます。極端に言えば、死の間際でも「健康」になれます。その健康を支えるということが、社会的共通資本としての医療の現代的あり方なのではないかと感じています。医療の本質は『サービスではなく信任である』と父は言っていたことが思い起こされます。

また、これからはかかりつけ医が重要な役割を果たす時代になるでしょう。その人の生活についてよく知る医療者がいると心強いものです。コロナウイルスに関しても、それまでに信頼関係を構築していた人からの情報こそが心に響くものです。終末期に関することも寄り添い、ともに答えを出す手助けができるのではないでしょうか。こうした医療に魅力を感じるという若い医師も増えています。

――高齢化が進み、認知症も増えて、高齢者の生き方も難しくなると思いますが、これからのあるべき社会をどう考えますか。

高齢者に限らず、誰もが、存在することが許される社会を私は目指したいと思います。その人の存在があってこそ社会が成立しています。介護されることで介護している人を助けている面もあります。人の価値というものは一面的に決まるものではありません。他人を信頼し、大切にすることが喜びとなる経験をより多く積んでいける場所を作っていくことが重要だと思っています。

加藤一郎・千葉大学客員教授加藤一郎・千葉大学客員教授

【メモ】「社会的共通資本とは「一つの国ないし特定の地域が豊かな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置」をいう。

【インタビューを終えて】
私は農業協同組合新聞に依頼された各界の有識者と対談し、2011年対談集として「帰りなんいざ 田園まさに荒れなんとす」を出版しました。この中で最も印象に残った方が故宇沢弘文氏でした。対談の場所は氏のご自宅となり、玄関に立った時は緊張しました。氏はご自分で焼酎とおつまみをご準備され、対談は4時間を超えました。
その中でなぜ「社会的共通資本」の概念に行き着いたのかとの問いに対して、氏は一高時代に医学部に進むクラスにいて、古代ギリシャの医聖ヒポクラテスは「人生は短し、芸術(アート)は長し」と書かれ、このアートとは医術の意味と知り、社会的共通資本の原点の一つになったと言われました。宇沢氏の長女が医師になられたことを思うと感慨深いものがあります。
占部まりさんを取材する機会を得たことで、自らの死について考える機会になりました。宇沢弘文氏は天国で、お酒を飲みながら微笑んでいるように思います。(加藤一郎)

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