農政:ウクライナ危機 食料安全保障とこの国のかたち
「カミュ」とウクライナの抵抗が守るわれわれの権利(2)内田樹【ウクライナ危機】2022年3月24日
自分個人の運命を超える「善きもの」のために
「人が死ぬことを受け入れ、時に反抗のうちで死ぬのは、それが自分個人の運命を超える『善きもの』のためだと信じているからである。人が自分が護っている権利を否定するくらいならむしろ死ぬ方を選ぶのは、その権利を自分自身より上に位置づけているからである。人がある価値の名において行動するのは、漠然としてはいても、その価値を万人と共有していると感じているからである。」
そうだと私も思う。だから、反抗的人間は孤独ではない。その反抗の戦いを通じて、潜在的には万人と結びついているからである。
ウクライナ市民たちの勇敢な戦いの動機を多くの人は「愛国心」によるものだと説明している。そのせいで「愛国心は有益だ(どの国の国民もこれくらい愛国心を持つべきだ)」と考えている人たちと「愛国心は有害だ(現に、そのせいでたくさんの人が死んだり傷ついたりしている)」と考えている人たちの意見が対立して、まったく対話が成り立たないでいる。
でも、私はカミュに倣って、ウクライナで戦っている人たちやあるいはロシア国内で投獄のリスクを冒しながら「反戦」を叫んでいる人たちは必ずしも「愛国心」からそうしているのではないと考えようと思う。おそらく彼らはそれよりもっと上位の価値のために戦っている。
「愛国心」だけでは説明できない上位の価値
愛国心のための行動と、それよりもっと上位の価値のための行動(万人のための行動)は、外見的にはよく似ている。ほとんど見分けがつかないほど似ることもある。もしかすると行動している本人たち自身「あなたが『反抗』を選んだ動機はなんですか?」と訊かれたら「愛国心ゆえです」と答えるかも知れない。でも、それだけなら、いま世界中の人たちがこの問題をわが身に切迫したものとして感じていることの説明がつかない。
他の土地、他の時になされた権利侵害については無反応だった人たちが、いま真剣なまなざしをウクライナに向けているのを「嗤うべきダブルスタンダード」だと冷笑する人たちは、ロシアがいま潜在的には「万人の権利」を侵害していると人々が直感していることを見落としている。「あらゆる政治的暴力のあらゆる被害者に等しく共感し、支援すべきだ。それができないなら何もするな」というロジックはたしかに切れ味はよい。たしかに政治的暴力は本質的にはどれも五十歩百歩である。しかし、五十歩と百歩の間には「五十歩の隔たり」がある。そして、その隔たりのうちに人が「境界線」を感じてしまうということはあり得るのだ。
ウクライナの抵抗はわれわれの権利も守っている
私たちはウクライナの人たちがその抵抗の戦いを通じて、遠く離れたわれわれ自身の権利をも守っていると感じる。彼らを孤立させてはならないと感じる。たしかに不合理な話である。でも、彼らの反抗が潰えたとき、私たちが失うのは小麦の輸入量とかトウモロコシの価格というレベルのことではない。もっと本質的なものだ。そのことを私たちはたぶん直感的にはわかっているのだ。
寄稿依頼は「食料安全保障を中心に日本の進むべき道についてご提言を」というものだったけれど、それについては結局何も書けないうちに紙数が尽きた。でも、おそらく多くの読者が感じているはずの「どうしてウクライナのことに今度ばかりはこんなに真剣になってしまうのか?」という戸惑いを説明する一つの手がかりは提供できたのではないかと思う。
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