農政:食料危機がやってきた
【食料危機がやってきた】中国のしたたかな戦略 危機感薄い日本(2)資源・食糧問題研究所 柴田明夫代表2022年4月19日
ロシアによるウクライナ侵攻の影響で、穀物の高騰に肥料原料の供給不安が高まる中、世界各国は対策に動き出している。しかし、日本政府や政治家の危機意識は薄いと指摘されている。ウクライナ危機を受けて世界はどう動いているのか、日本はどう備えるべきなのか、資源・食糧問題研究所の柴田明夫代表に緊急寄稿してもらった。
(1)から続く
「不足の時代」に備える中国の食糧戦略
資源・食糧問題研究所代表
柴田明夫氏
世界の穀物市場では、6年連続の記録的生産の結果、穀物在庫も8億トン弱となり、過去最高水準に積み上がっている。しかし、世界の穀物在庫の過半(小麦の51.1%、トウモロコシ68.8%、コメ59.8%)は中国の在庫であり、その量は小麦、トウモロコシ、大豆、コメで5億トンに近い(下図参照)。
一方、中国を除いた世界の穀物在庫量は、小麦21.2%、トウモロコシ10.5%、コメ21.3%であり、安心できるレベルではない。国連食糧農業機関(FAO)が適正とする在庫率は17~18%(年間消費量の約2カ月分)であることから、トウモロコシの10%台はすでにひっ迫状態にあるといえよう。
(USDA資料より)
2008年の世界食糧危機以降、中国は逸早く将来の不足に備え、食糧戦略を打ち出してきた。2009年には国家食糧備蓄政策として、「3つの保護」(農家利益の保護、食糧市場安定の保護、国家食糧安全の保護)を打ち出した。この政策は、2008年12月の中央農村工作会議で決定されたもので、①主要作物であるコメ、小麦の買い付け価格の引き上げ、②主要農産物の国家備蓄を厚くするのが主な目標である。具体的には、食料消費量の25~26%、備蓄在庫で1.5~2億トン(小麦50%、籾米30%、トウモロコシ17%、その他豆類3%)としていたが、足元の備蓄5億トンというレベルは、中国国内だけではなく、食糧不足に喘ぐ周辺諸国への食糧援助をも見据えた数字なのかもしれない。そこには、かつて1980年代まで米国が「世界のパン篭」として担ってきた役割を新たに中国が肩代わりする意図も感じられる。中国主導による新たな「食糧を武器」にする企てとも言える。
小麦価格が過去最高を更新したことで進む市場の調整 米農務省の最新レポート
価格が高騰すれば市場での調整が進む。米農務省は4月8日、ウクライナ危機下での2021/22年度(21年後半~22年前半)の主要農産物需給見通しを改訂版した。世界の小麦輸出量は2月時点の2億669万トンから2億10万トンへ659万トン減少すると予測している。この内、ロシアの小麦輸出は3500→3300万トンへ、200万トン減少。ウクライナの小麦輸出は2400→1900万トンへ500万トン減で、合計700万トンの減少との見立てだ。減少幅が限られるのは、同地域からの小麦輸出は、流通年度初めの2021年7月から数カ月の内に大半が輸出されているとの指摘。とすると、作付・収穫・搬出不可など、今回の戦争の影響はむしろ次年度(2022/23年度)に現れるということになる。一方、国際小麦価格が過去最高を付けたことで、主要輸入国(エジプト、トルコ、)でのレーショニング(価格高騰による需要減退)や主要輸出国(ブラジル、アルゼンチン)からの輸出拡大といった形でマーケットの調整が進みつつある。
穀物等の食料の場合、国際価格が高騰すると、それぞれの生産国は、まず自国の必要量を十分に確保しようとし、輸出を制限する可能性が高いことが多い。国際穀物市場が"薄いマーケット"(生産量に対し輸出に供される量が17~18%程度に限られる)と言われる所以である。FAOは3月11日の声明で、「カナダでは小麦の在庫がすでに不足しており、米国、アルゼンチン、その他の国々からの輸出は、政府が国内供給を確保しようとするため、制限される可能性が高い」と警戒している。
米農務省が3月31日に発表した農家の作付意向調査報告によれば、今年の大豆の作付は9,100万エーカー(1エーカー=0.4ヘクタール)、前年比4%増で過去最高となる。価格が過去最高を更新したにもかかわらず、全小麦の作付は4,740万エーカーで、同1%増に止まり、1919年以来、過去5番目に少ない面積である。トウモロコシは8,950万エーカーで同4%減だ(図5)。ただ、いずれも単収が大きく増加(大豆51.5ブッシェル、トウモロコシ181ブッシェルで過去最高予想)することから生産量は拡大するとの楽観的な見通しだ。高い単収予想はあくまでも、燃料はじめ農業生産資材(化学肥料、農薬、フィルムなど)のサプライチェーンに問題がなく、しかも天候に恵まれた場合であろう。しかし、米中西部での干ばつが広がりつつあり、穀物は下値を切り上げる公算が大きい。
(USDA資料より)
中国の小麦輸入拡大 したたかな「一帯一路」構想
世界最大の小麦生産国である中国の小麦輸入量が、2020年以降1000万トン前後まで急増し、世界の小麦需給はタイト化への一要因になっている(下図参照)。特に、中国は、ロシアがウクライナ侵攻を始めた2月24日、ロシアからの小麦輸入を拡大すると発表。中国はこれまで、ロシア産小麦に対して、植物検疫を満たしていないことを理由に輸入制限を行ってきた。しかし、今回の措置ではそれを全面解除し、ロシアのどの地区からも輸入可能にした。西側諸国による経済制裁に追い詰められるロシアにとって、その恩恵は小さくない。
中長期的なシナリオとしては、「一帯一路」の沿線国家と共に共同戦線を張る形での食料安全保障戦略が見え隠れする。中国はこれまで、中国~モンゴル~ロシア経済回廊、中国~パキスタン経済回廊、黒龍江省とロシアの農業協力(大豆、小麦)などを構築してきた。ウクライナとも、2015年に「一帯一路」協定を締結している。2020年には湖北省武漢市~キーフを結ぶ貨物列車「中欧班列」を開通させ、ウクライナ産穀物を吸い上げる大動脈を完成させた。
肥料原料を囲い込もうとする動きにも注意が必要だ。中国事情に詳しいジャーナリストの姫田小夏氏によると、中国は世界最大の加里肥料の消費国で、2021年には年間1700万トンを使用する。中国でも約1000万トンを生産しているが足らず、カナダ、ロシア、ベラルーシ、イスラエル、ヨルダンなどから輸入しているのが実情だ。農業大国を標榜しながらもカリ不足に悩まされてきた中国は、2021年からの価格高騰で、需要に供給が追い付かない状況にある。このため、中国は「一帯一路」の沿線国からの輸入増強策を画策している。塩化カリウムの資源国と言えば、東南アジアではタイやラオス、中央アジアではウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン。アフリカではエチオピア、エリトリア、エジプトなどが挙げられる。これら沿線国にはロシア、ベラルーシも加わる。すでに中国企業による加里肥料の海外プロジェクトは34件、12カ国に及んでいる(中国無機塩協会)。特に力を入れているのがラオスで、中国の複数社がラオスの加里鉱山を買収、生産規模を拡大している。輸送を担うのは2021年末に開通した「中国・ラオス鉄道」だ。中国国内に輸送するのはもとより、農業の盛んな東南アジアでの販売を本格化させるのが狙いだ。ウズベキスタンでも中国資本の支援を受けて、カリ肥料プラントの建設が進み、中国メディアはインドネシアやフィリピン、ベトナムなど東南アジアへの輸出が行われていると報じている。カナダやロシアでの資源開発にも食い込んでいる。
日本の食料安全保障が脅かされる 感じられない危機感
こうした状況下にも拘わらず、金子農相は2月下旬の記者会見で、「現時点では、わが国への食糧供給への直接的な影響は確認されていない」と危機感が感じられない。とはいえ、流石にこの段階に至ると、野党のみならず与党自民党内でも食料安全保障を議論すべきとの論調が高まり、「食料安全保障に関する検討委員会」が発足した(筆者も第2回会合に呼ばれ、状況説明を行った)。しかし、現実には「会議が踊る」ばかりで、実質的な戦略が感じられない。半導体や医療品、再生可能エネルギー関連製品・資材のサプライチェーン確保など戦略物資の経済安全保障もさることながら、国家安全保障の根幹は「食料安全保障」であり、弱体化が止まらない日本の農林水産業の基盤強化に力を注ぐことである。
岸田首相は3月2日の参院予算委員会で、安全保障政策に関連し、「とりわけ、食糧安全保障という考え方は重要だ」との認識を示したものの、言葉として挙げられたものは、「デジタル技術の実装」や「みどりの食料システム戦略」、「多様な農林漁業者が安心して生産できる豊かな農林水産業を構築したい」という文言だけだ。政府の本気度は予算に現れるはずであるが、政府が1月17日、国会に提出した2022年度予算案では、一般会計の総額は過去最大規模となった一方、農林水産予算は、2年連続で削減されている。政府の本気度が問われる。
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