農政:世界の食料は今 農中総研リポート
【世界の食料は今 農中総研リポート】環境・気候対策に直面するEU農政(後編) 平澤明彦理事研究員2023年6月5日
「世界の食料は今」をテーマに農林中金総合研究所の研究員が解説するシリーズ。2回目は前回に続いて「環境・気候対策に直面するEU農政」(後編)として、理事研究員の平澤明彦氏が担当した。
農林中金総合研究所 平澤明彦理事研究員
警戒強めるEU機関の農業部門
前回は欧州グリーンディール(EGD)の分野別戦略であるファームトゥフォーク戦略(F2F)と生物多様性戦略(BDS)に基づく各種の法制案が、農業とCAP(共通農業政策)に広範な影響を及ぼすものであることを説明した。今回はそれに対する農業部門の対応と、食料安全保障や次期CAP改革への影響について述べる。
EU機関の農業部門は、農業に影響する政策の決定権限と予算を侵食されることに警戒感を強めている。農業担当欧州委員会のヴォイチェホフスキ農業担当委員は、一連の動きへの反発を公言している(EUの行政と法案提出を担う欧州委員会は、本来委員全員が一致して行動することになっている)。また、2023年1月には15加盟国の農相が閣僚理事会議長国であるスウェーデンに書簡を送り、環境法制の審議(環境相理事会が担当)に対する農相理事会の権限を強化するよう要請した。欧州議会では、農業委員会が協力委員会や合同委員会の制度を使って環境政策に意見を反映できるが、閣僚理事会にはそうした正式な制度が欠けているようである。
さらに、フィシュラー元農業担当欧州委員は欧州議会の公聴会で、農業部門が環境・気候対策の主導権を得るために、EU基本条約を改正してCAPの目的条項にそれらを加えるべきであると主張した。あるいは欧州議会の農業委員会でも、左派の議員が基本条約の改正を提案した(結果は拒否)。
日本とは事情異なる食料安保
農業部門が懸念材料として挙げるのは、新たな規制への対応にかかる費用と農業予算の流用、当面の生産力低下、そしてそれらによる農業経営とひいては食料安全保障への影響である。ただし、EUにおける食料安全保障の事情は日本とは大きく異なる。
EUは主要な食料の多くを自給しており、農産物の輸出地域でもある。だが大豆は輸入に依存しているため、ウクライナ紛争を受けて域内のたんぱく質作物を増産して自給度を高める方針を欧州首脳理事会が打ち出し、欧州委員会が蛋白質戦略を準備することとなった。その一方で、食肉の摂取過剰が健康上問題とされ、医学界は消費削減を勧告している。
環境・気候対策と動物福祉に対する意識の高まりもあって、16加盟国すなわち中東欧以外の殆どの国では2010年代に一人当たり食肉供給量(FAOSTATによれば2020年に78キロで日本の1.5倍)が減少しており、10キロ以上減少した国も7カ国ある。畜産物消費と飼料需要が減れば環境・気候対策で農業生産がある程度縮小しても自給を維持できる可能性がある。
その場合、需要が縮小する中でも維持できるおそらくは環境親和的な畜産への移行が課題であり、わが国が農地資源不足の下で環境・気候対策を進めねばならないのとは対照的である。しかも、もし将来的に大穀倉地帯であるウクライナの加盟が実現すれば、EUレベルの食料安全保障は盤石になるであろう。
次期CAP目前に
今期のCAP改革は開始が2年遅れた。そのため通例に従えば実施2年目の2024年には早くも次の改革概要を提案する時期となる。同年の欧州議会選挙を経て秋には新たな欧州委員会が発足するであろう。その前に現農業担当委員は改革提案の提出を予定しており、食料安全保障のため予算拡大を目指す意向であるという。その次期改革は、EGDの進展を踏まえて策定される初めてのCAP改革となる。
CAPにはどの程度の対応が求められるか。それには、欧州議会の今会期中に主要な環境法制案を成立させることができるか、あるいは成立のためにどの程度の妥協がなされるか、そして次期欧州委員会が環境・気候対策の優先度を維持するかどうかが影響するであろう。
EGDに対する何らかの反動が生じる可能性もある。例えばオランダでは政府が温室効果ガス削減のため家畜の大幅削減などを打ち出した結果、反発した農業者が政党(農業者民運動)を結成して地方選で勝利し、上院の第一党となる見込みである。
同党は農村だけでなく都市部でも勝利し、極右政党は大きく議席を減らした。EUへの不満票を獲得した可能性があるのではないか。同党は欧州議会選挙にも立候補者を出す予定である。また、あたかもこれに呼応するように、欧州議会最大の政治会派である欧州人民党は農業者の立場を代弁する姿勢を打ち出し、農薬使用規制を強化する法案に反対している。
多面的機能焦点に
一方、EU・CAP財政の最大の資金拠出国であるドイツは、CAPの新しい姿を検討している。メルケル政権時代に設置された農業未来委員会は2021年に全会一致で最終報告書を採択した。委員会の構成員は農業者、経済・消費者、環境・動物福祉の各主要団体の代表と、農業・環境研究者からなり、最大の農業団体(SVP)も参加した。
報告書は、農地面積を基礎とする現行の直接支払制度を、「社会的目標に対する貢献を経済的に魅力的にするための助成」に段階的に変えることを提言している。ドイツの現農相(緑の党所属)はもっぱら環境・気候対策を想定しているようであるが、SVPは食料安全保障も対象に含めるべきだと考えている。前者は英国、後者はスイスに近い。もしスイスと英国に続いてEUの直接支払制度も所得支持から公共財に対する支払いへと移行すれば、大きな潮流となるであろう。
このように環境部門からの攻勢と、農業部門が自らの政策や予算を正当化する試みの両面で、農業の多面的機能を重点化するCAPの動きはさらに加速する可能性がある。ただし、こうした動きは2007-08年以降続く国際的な農産物価格の高値基調により可能になった面があると考えられる。元々価格引き下げの補填(ほてん)として導入された直接支払いは、こうした高値の下で正当性が弱まっている。しかし現実の農業経営は、環境対策費用や資材費の上昇もあって直接支払いへの依存度が高く、直接支払制度を維持するために多面的機能への対応を進めざるを得ないのである。
市況次第で情勢は変化しうるし、現在も生産費の大きな内外格差を抱える我が国の土地利用型農業とは条件が全く違う点に注意が必要である。
(関連記事)
【世界の食料は今 農中総研リポート】環境・気候対策に直面するEU農政 強まる環境部門の攻勢 平澤明彦理事研究員
(参考文献)
平澤明彦(2022)「EUの土壌戦略」『農中総研 調査と情報』(89), 12-13頁, 3月
https://www.nochuri.co.jp/report/pdf/nri2203re6.pdf
平澤明彦(2023)「EU環境・気候戦略の進展と農業」『農林金融』76(4), 19-47頁, 4月
https://www.nochuri.co.jp/report/pdf/n2304re2.pdf
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