農政:東アジアを往く
米韓FTAとその後・・・国民なき「国益」に怨嗟の声 大企業優先・農業・中小企業は犠牲2013年8月30日
・価格暴落農家の悲鳴
・公共事業もISDに
・労働者を抑え込む
・大企業が特許権を乱用
・自殺労働者の悲鳴が・・・
米国と韓国の自由貿易協定(FTA)は、2012年3月15日発効した。9月15日で発効1年半を迎える。この間、韓国ではどのような変化が生じたか、注目を集めている。しかし、1年半という短い時間で米韓FTAの影響を確実に検証するには限界がある。ただ、米韓FTAが企業利益と国益をすり替えた協定であることは明らかだ。韓国の実情から、その拡大版と言える環太平洋連携協定(TPP)の未来像を描いてみたい。
政治の強権性が強まる
TPP交渉に監視・警戒を
◆価格暴落 農家の悲鳴
韓国メディアは2月、牛農家が牛を餓死させたニュースで騒いだ。全羅北道淳昌郡で、54頭の牛を飼育するムン・トンヨンさん(57)が飼料高騰、価格暴落に耐え切れず、牛を飢え死させた事例だ。ムンさんは、牛の飼養資金を集めるため水田を売り払い、保険を解約した。借金もした。しかし、経営は赤字に赤字を重ね、牛には飼料をあたえることができず、水だけを供与するはめになった。結局、餓死した牛の悪臭、異常で、近隣から行政に通報があり、40年以上の飼育経歴に終止符を打たなければならなかったという。
現場を探るため、ソウルから東南方向にバスで1時間半の忠清北道陰城郡を訪れた。牛農家のキム・ミョンキルさん(56)が迎えてくれた。早速、牛舎に連れてもらい、背骨がくっきりと浮き出している肥育牛を指さしながら、ため息を連発した。飼料価格の高騰に加え安い輸入牛肉に押され、販売価格が安く経営が厳しくなったからだ。
キムさんは14年前、国際金融危機の波に流され、倒産会社から故郷に戻り、両親とともに農業を始めた。資金がなく、貯金でまかなえる範囲の1頭のメス子牛からスタートした。それから徐々に自家繁殖・肥育を繰り返し、ようやく肥育牛40頭、繁殖牛30頭を飼育する中小規模の畜産農家となった。
しかし、急変する経済環境はキムさんをしだいに廃業に追い込んだ。家計の柱である牛の価格が暴落し経営を直撃した。800kgの生体牛の卸売価格は、2月現在で650万ウォン(1ウォン約0.09円)。米韓FTAが発効する前に比べ3割安い。6カ月繁殖した子牛の価格も、メスが80万ウォンと同3分の1、オスが150万ウォンと同6割も暴落した。半面、飼料価格は昨年9月から上昇し、同40%高くなった。自家製の粗飼料などを使いコスト削減を図っているものの、今年の赤字は1億ウォン、借金は2億ウォンにのぼる見通しだ。
キムさんは、上記の餓死事件を取り上げ「このまま自由貿易が進み、中国とFTAを結べば、私も同じ境遇になる」と嘆く。
(写真1:牛に牧草を与えながら経営改善を祈る農家)
◆医薬品の価格が上昇
医薬業界にも異変が。「政府が国民のための適正薬価を決めることができない」。ソウル城北区で薬局を運営する「健康社会のための薬師会」のシン・ヒョングン代表。保険対象の医薬品・医薬機器の価格決定において、政府が米韓FTAに準じて、第三者機関の「独立医薬検討体制」を構築し、昨年6月から稼働したからだ。
韓国はこれまで、保険対象の薬価について、公的機関である「健康保険公団」(保険公団)が医薬会社と調整して決めた。しかし新体制では、保険公団が決めた薬価に対し、医薬会社が安いと判断すれば新体制の薬価検討委員会に異議を申し立てることができる。新体制稼働からわずか半年で、医薬品や医療機器に関して8件の申し出があった。シンさんは「こんな短期間にこれだけあることは、今後さらに増えるだろう」と指摘した。
早くも今年6月には、「独立医薬検討体制」の圧力で医薬機器の価格上昇の事例が発生した。米韓FTAを武器に米国産医療機器の価格を引き上げた初の出来事だ。医薬機器の輸入業者JM社は昨年、健康保険審査評価院(健審院)に米国産の関節接合資材のアキュトラック・スクリューの価格引き上げを要請した。理由は「他の資材に比べ優秀である」。しかし、健審院は「同じ目的の類似した資材に比べ優秀である根拠が不足する」として却下した。
JM社は、この決定を不服として今年1月、独立検討機構に異議を申し入れ、解決を求めた。独立検討機構は4月「輸入原価を反映し、価格引き上げは妥当だ」と判断し、健審院に改善を求めた。これを受け、健審院は6月11日、従来の主張をひっくり返し、上限10%の価格引き上げを認めた。
健審院の決定に対し、保健医療団体連合のベン・ヘジン企画局長は「明らかに政府の役割が米韓FTAによって歪んでいる。米韓FTAは、米国の多国籍製薬や医療機器企業の利益を上げるものであり、国家や国民負担を減らすものではない」と批判した。
◆公共事業もISDに
米韓FTAによって、公共事業が民営化の流れにさらされている。米韓FTA発効以降、電力や地下鉄などの公共事業をめぐる政府と企業間の争いが物語る。特に韓国電力会社の動きが注目を集めた。
韓国電力の持ち株は、政府機関が55%、国内投資家が25%、外国投資家が20%を所有している。同社は8兆ウォンの赤字経営を理由に、昨年5月、7月の2回に分けて10%以上の電気料金の引上げを政府に提出した。しかし政府は、12月の大統領選挙を控え、国民関心度の高い電気料金の引上げを先延ばしする計画で、認めなかった。
すると同社は早速、理事会を開き、米韓FTAの投資家・国家間訴訟(ISD)条項をもって、政府対応が提訴対象になるかを検討した。具体的には、[1]持ち株51%以上を保有する政府が企業の決定を拒否した場合[2]少額の外国人株主の場合[3]政府が明確な理由なしに認可行為を繰り返し遅延した場合―ISDで提訴可能かどうかが主な検討内容だった。
結局、政府は昨年9月、ISDなどを盾にフル活動した韓国電力の猛烈な圧力に負け、4.9%引き上げることを容認した。公共事業がISD対象になった典型的な事例だ。
ソウル市と民間企業の地下鉄9号線の論争も似たようなケースだ。国会議事堂や金浦空港などをつなぐ地下鉄9号線は昨年4月、既存の基本運賃1050ウォンをさらに500ウォン引き上げることをソウル市に要請した。ソウル市は、市民負担が増えるとして却下した。
一方、ソウル市は、地下鉄9号線と締結した当初の契約が不合理的だとして改正を求めた。当初契約は、李明博前大統領がソウル市長当時の2005年に結んだもの。地下鉄9号線の15年間の年平均事業収益率を8.9%と設定し、この収益率を下回る場合、差額をソウル市が補填すると約束した。事実上ソウル市は、地下鉄9号線の開通初年2009年に142億ウォン、2010年に322億ウォン、2011年に245億ウォンを支給した。
ソウル市は、当初契約した事業収益率8.9%が高すぎるとして、5%に引き下げるよう地下鉄9号線に通告した。しかし、地下鉄9号線の実権を握っているマッコーリーインフラ(本社豪州)を筆頭に「契約違反だ」「投資者利益に損害を与える」として反発を強めている。マッコーリーインフラは、米国資本が参入したグローバル会社で、状況次第でISDをもってソウル市を訴える可能性も否定出来ない。
社会公共研究所のソン・ユナ研究委員は「米韓FTAは公共事業の衰退を招くものであり、公共事業を強化するものではない」と断言した。
◆労働者を抑え込む
「非正規労働者を復職しろ」(=写真2)ソウル駅広場で労働者のシュプレヒコールの声が響いた。経済成長と裏腹に非正規雇用労働者が増える一方、正規雇用労働者にもきつい労働が強いられているからだ。全国から2万人の労働組合員が集まった。その中で、韓国南部の蔚山広域市からバスで5時間かけてデモに参加した現代自動車労働組合のキム・キヒョク(48)企画部長が取材に応じた。
キムさんは「確かに経済成長で我々の大企業は潤っている。給料もそこそこある。しかし、労働強度はますますきつくなっている」と口火を切った。話によると、現代自動車は従来、24時間2交代制で完成車の組み立てる。これに対して労働組合は、労働時間が長く、家族との生活時間が短すぎるとして改善闘争を行った。その結果、今年3月4日から労働時間が減った。朝6時半?午後3時半、午後3時半?深夜1時半の2交代に変わった。しかし、労働強度がきつくなった。労働時間が減る前に1組7、8人で、1カ月に1000台を組み立てるものを、労働時間が減ったとしても、その台数を確保しなければいけない。キムさんは「企業の潤いは労働者の犠牲で成り立っている」と怒った。
一方、企業の巨大化とともに、労働組合に対する圧力も高まっている。韓国最大手の造船会社の韓進重工業(釜山広域市)の圧力で労働組合の幹部チェ・カンソさん(36)が自殺したことがその1つだ。チェさんは、会社が2010年に大勢の非正規雇用をリストラしたことを問題視し、長期ストライキに参加した。会社は、チェさんを含む組合員の長期ストライキに対し、工場運営に損害を与えたとして158億ウォンの損害賠償を提訴した。昨年12月21日、チェさんは、損害賠償の撤回を求める内容の遺書を残し、自殺した。チェさんの遺影を抱え、ソウル市庁前で労働者の権利を訴える韓国進歩連帯のバク・ソクウン共同代表は「まったく理不尽だ。これが幸福な社会か」と訴える。
(写真2:利益を優先し、労働者の生活をないがしろにする企業を訴える労働者)
◆大企業が特許権を乱用
韓国最高裁やソウル地方裁判所などが林立する瑞草区一角の事務所で、知的財産権に詳しいナム・イソプ弁理士と出会った。ナムさんは、グローバル企業の知的財産権の悪用で中小企業が深刻な状況に陥っているという。
韓国ではこれまで、司法機関がパソコンゲーム屋の取締権限を行使した。しかし、米韓FTAでは、著作権利者に「透明な方式を提供する」内容を盛り込んだ。要するに、著作権利者が司法機関の合同調査チームに加わることが認められたわけである。つまり、ゲームのソフトウェア会社は、明確な著作権侵害証拠がなくても、著作権侵害の疑いを理由に司法機関にゲーム屋の家宅捜査を要請し、司法機関とともに家宅操作を行うことができる。ナムさんは「事件当事者が司法機関と合同で被疑者の家宅を捜査するなんて、正常な国ではありえない」と批判した。
その実態を確かめるため、中小ゲーム業者で作る韓国インターネットPC屋協同組合を訪れた。チェ・スンゼ理事長の紹介によると、同組合には1万5000軒が加入しており、米韓FTA発効以降、韓国マイクロソフト社から会員6000?7000軒に通告が来た。通告には「無断コピーで知的財産権を侵害している」「使用料金を追加しないと提訴する」などの内容が書き込んであった。チェ理事長は「中小企業は威嚇に弱い。提訴に巻き込まれ、時間と財力を投じる余裕がないからだ。この半年で会員数百軒が閉店した。政府は、知的財産権を悪用する企業を早急に統制すべきだ」と話す。
経済専門のテレビ局・MTNで知的財産権問題を担当するイ・ナミ記者にも事情を聞いた。イ記者によると、米韓FTA発効以降、ソフトウェアの著作権違反を取り締まる件数が急増した。2011年の取締まり件数は590件だったが、米韓FTA発効直後の昨年4月には、2988件と5倍増えたという。イ記者は「知的財産権を強化することには異議がない。ただ、米韓FTAがソフトウェア会社など企業の特権を強化し、それを悪用するケースが増えていることが問題だ」と指摘した。
(写真3:韓進重工業で自殺した崔氏を追悼する大漢門前)
◆自殺労働者の悲鳴が・・・
8月、ソウル市庁広場を歩いた。風景が大きく変わった。樹木と花壇が増えた。労働者のチェさんを追悼するために設けていたFTA同庁隣の大漢門前の祭壇(=写真3)が撤去され、花壇になった。しかし、市民が楽しむはずの花壇には、「この線を超えてはいけない」とのバリケードに、警察が一列にならび警備を強めた(=写真4)。その異様な光景に、思わず冷や汗をかいた。花壇から自殺労働者の悲鳴のようなものが聞こえたからだ。
米韓FTAは、国民の犠牲を代価に企業利益を追求するものであり、国民のいない「国益」を追求するものである。初の女性大統領・朴槿恵氏は誕生から半年、「幸福な社会」づくりをスローガンに、李明博前政権の「対立社会」との違いを強調し、政府のイメージ刷新を図ろうとした。しかし、相次ぐ人事の失敗に追われ、政治改革には、なにも踏み込んでいない。親企業的な傾向も前政権と変わりない。むしろ、「女性らしく密かに」企業との関係を強化し、弱いものいじめを加速する恐れもある。日本政府が参加したTPP交渉には、米韓FTAを鏡に「湯船のカエル」にならないよう国民の監視・警戒が必要だ。
(フリーライター・森 泉)
(写真4:花壇に変わり、警備を強める大漢門前)
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