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農政:2013年を振り返って

危機にある「和食」 ユネスコ世界無形文遺産登録の意味2014年1月15日

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・外からの食文化も受入れ発展
・箸と食器も大事な文化
・コメから小麦へ、和食から洋風料理へ
・「和食」の継承は日本人の責任

 「和食」がユネスコの「無形文化」遺産に登録されたということは、「和食」は単に料理を表す言葉ではないということだ。「和食」とは、主食であるご飯(コメ)を基本に「日本人がその環境のなかで生みだし、築き上げてきた食の知恵や工夫や慣習。それを編み出した人々など、有形無形のすべてを『和食』と呼び、日本人の伝統的な食文化を総称する言葉」で、長年に亘って継承されてきたものだ(※)。

豊かな日本の食文化を

「江戸名所図会 飛鳥山」(歌川広重)((公財)味の素食の文化センター所蔵)

(資料)
「江戸名所図会 飛鳥山」(歌川広重)((公財)味の素食の文化センター所蔵)

◆外からの食文化も受入れ発展

「初鰹売り」(東京家政学院大学附属図書館 大江文庫所蔵) ユーラシア大陸の東の端に位置する日本列島は、中国や朝鮮半島あるいは琉球列島を通して、多くのものを受入れ、それを日本流に手を加えることで、独自の文化を築いてきたが、近代には西欧の食文化も受容して発展してきた。その結果、世界に誇るべき、おいしくて健康的な『和食』」がつくられてきたように固定化されたものではなく、時代時代によってその内容を変化させてきた。
 「和食」の食材に日本原産はほとんどなく、コメを含めて多くのものが外来種だ。日本の食文化は、農民の手で日本の風土で育つように改良された「外来種」のうえに成り立っている。

(資料)
「初鰹売り」(東京家政学院大学附属図書館 大江文庫所蔵)

◆箸と食器も大事な文化

「調理場の風景」(東京家政学院大学附属図書館 大江文庫所蔵) 「和食」が日本文化である主な理由は、
▽食の恵みをもたらす自然を尊重する「精神性」を育んできた。
▽家族の団欒や共同体での祭りや年中行事などでみんなで共に食べることで社会の要の役割を果たしている「社会性」。
▽生きる糧というだけではなくコメを中心に野菜・魚介類・海藻など豊かな食材を使った栄養バランスが良く健康的という「機能性」。
▽地理や気候が異なる地域ごとに多様な食文化を築いてきた「地域性」、
などにある。
 熊倉功夫静岡文化芸術大学学長は、「食べ方や食器、そして食材を生みだしてくる農村や漁村、そういう一切合財を含んだものが文化」だという。
 例えば、韓国でも箸を使うが、匙(スプーン)があるので、食器を手に持たずテーブルに置いたまま匙ですくって食べる。日本では茶碗や汁椀は手に持ち箸を使って食べる。これは熱伝導の悪い漆器などの食器を使うからだ。西欧では不作法とされるが、椀に入った熱い汁も椀に唇をつけて啜ることで温度を下げて飲むので口を火傷することがない。このように箸と食器は「和食にとって重要な要素」で「食文化」だと指摘する。

(資料)
「調理場の風景」(東京家政学院大学附属図書館 大江文庫所蔵)

◆コメから小麦へ、和食から洋風料理へ

 日本人の命と暮らしを支えてきた「和食」がいま危機にある。
 「普段の家庭の食が失われ、衰退しつつある日本の伝統的な食文化を今後どのように保護し次の世代に繋いでいくのか」それが世界無形文化遺産登録の一番のポイントだと熊倉学長。「保護」というと昔のモノを守ると思われがちだが、「和食には昔からその時代時代に新しい工夫を伝統に加え次の世代に繋いできた歴史」があり、「固定的に考えずに次の世代に繋いでいく工夫」が大事なのだとも。
 ここで「和食の危機」を検討する余裕はないが別掲の年表(下参照)によって、1950年(昭和25年)のパン食による学校給食開始、60年代以降の簡便性・利便性の追求など「和食の危機」への道筋が見えてこないだろうか。
 東京家政学院大学の江原絢子名誉教授は、親が子どもに料理を手伝わせなくなったことや、加工食品や惣菜などを利用して料理機会が減っているので「普通の状況が分からない」から「レシピ(マニュアル)があればできるが、ないと自分の感覚で味付けしたり調理することができない」学生が多いいう。江原教授は、便利な食材を否定するわけではないが「基本を身に付けて利用しないと、生きるための能力が退化してしまう」。その能力を身に付けるのはマニュアルではなく「親が家庭で伝える」ことだという。その機会に恵まれる子は少ないということだろう。

「和食」の危機を考える年表
主な出来事 時代の特徴
西暦 元号
1949年 昭和24年 ユニセフから脱脂粉乳贈られユニセフ給食開始 ○パン食による完全給食始まる
○食生活改善運動
○「粉食は栄養を運ぶ、米は死を運ぶ」(林髞)
1950年 昭和25年 米国から余剰小麦が贈られ都市部でパンによる完全給食開始
1955年 昭和30年 米国と「余剰農産物協定」締結
1958年 昭和33年 インスタントラーメン発売開始
1960年 昭和35年 インスタントラーメン1億5000万食市場に
即席カレールウ発売
ふりかけ「のりたま」発売
インスタントコーヒー発売
国産ベビーフード発売
○インスタント食品時代
○ブロッコリー、レタスなどの洋野菜が台頭
○生野菜「サラダ」が家庭に普及





○国民の9割が中流意識もつ(国民生活に関する世論調査)
1961年 昭和36年 インスタントみそ汁発売
「1日1回フライパン運動」(炒め物奨励)
1962年 昭和37年 インスタント出汁「いの一番」発売
1964年 昭和39 かっぱえびせん発売
インスタント出汁「出汁の素」「つゆの素」発売
1965年 昭和40年 「カール」発売
1967年 昭和42年 コメ空前の大豊作(1445万トン)
ポテトチップス量産化(試験発売は62年)
コーラの売上げが牛乳を上回る
1968年 昭和43年 世界初のレトルト食品「ボンカレー」発売
回転寿司「元禄寿司」開店
1969年 昭和44年 コメの自主流通米制度始まる
郊外型ショッピングセンター玉川高島屋開店
1970年 昭和45年 コメの生産調整始まる
ミスタードーナツ、すかいらーく、KFCが1号店
「小僧寿し」開店
○外食産業が伸長
○電子レンジ大衆化
○個食用簡便食品が続々登場
○スナック菓子が菓子の花形に
○核家族化
○卓袱台からテーブルへ
1971年 昭和46年 世界初のカップ麺「カップヌードル」発売
冷凍シューマイ・餃子・コロッケが発売
日本マクドナルド1号店
ダンキンドーナツ、ロイヤルホスト開店
吉野家チェーン展開開始
1972年 昭和47年 モスバーガー、ロッテリア開店
冷凍食品の発売
1973年 昭和48年 ファミリーマート開店
1974年 昭和49年 セブン‐イレブン、デニーズ、ほっかほっか亭開店
1975年 昭和50年 ローソン開店

 

◆「和食」の継承は日本人の責任

 熊倉学長も江原教授も無形文化遺産登録は「和食を見直し復活させる機会だ」という。では具体的にどうするのか。
 ハンバーガーやコンビニ弁当を食べる子どもをみて「あれは食事ではない、餌だ」と嘆いても何も変わらない。江原教授は「食習慣を積み重ね、香りとか旨味を体感する」ことが大事なので、離乳食から「和食」にする方がよいという。それがやがて家庭の味となり「おふくろの味」となっていくことになる。
 次の世代に繋いでいくためには、子どもたちとその親たちに豊かで美しい日本の「伝統的な食文化『和食』」の素晴らしさを分かってもらわなければならない。
 そのためにJAグループはいま何ができるのかが問われている。なぜなら世界無形文化遺産に登録されたということは、日本人全体で「和食」を継承していくと世界に誓ったからだ。

(※『和食』農林水産省発行)

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