農政:自給率38% どうするのか?この国のかたち -食料安全保障と農業協同組合の役割
【特集】食料自給日本も議論を2018年7月24日
・スイスでは食料安保を憲法明記
わが国農政の背骨である食料・農業・農村基本計画は2025年に食料自給率を45%に引き上げる目標を設定している。しかし、昨年度は38%へとさらに低下し先進国中で最低水準となっている。農業生産が縮小し食料の海外依存度が高まれば、国民への食料の安定供給と農村地域の持続が危ぶまれ、この国のありようにも大きな影響を及ぼすことになる。今回の特集では、将来世代に向けて農業政策の基本であるべき食料安全保障は国の「かたち」に関わる問題として議論するきっかけとして企画した。スイスはまさに国のかたちに関わることとして昨年、憲法に食料安全保障を明記する改正案を圧倒的多数の国民投票で可決した。ここでは現地を取材した農政ジャーナリストの会の石井勇人会長に聞いた。
◆農場から食卓まで国民が徹底議論
―スイスでは昨年(2017年)9月24日に食料安全保障を連邦憲法に明記するかどうかを問う国民投票が実施され約8割が賛成したと聞いています。現地はどんな様子だったのでしょうか。
投票日の少し前にスイス中央部の古都ルツェルンに泊りました。山岳地帯のスイスの冬は厳しく、秋になると農家は家族とともに牛を引き連れて平場の村に下りてきますが、ルツェルンから西へ15kmほどの村では投票日前日の9月23日がこの「アルプス降下」のお祭りの日でした。
牛を花で飾り、「ガラン、ガラン」とカウベルを鳴らしながら、村の中心の教会までを民俗衣装を着た飼い主の家族らと行進していました。この様子を見るために1万人以上の観光客が集まっていましたから、こうした伝統文化も農業の多面的機能の重要な要素だと実感しました。
農村のあちこちに肉や野菜など農産物の写真に「JA」と書いたポスターやプラカードを見かけ、一瞬、日本のJAが進出してきたのかと驚きましたが、JAはドイツ語のイエスを意味するヤーです。つまり、食料安全保障を憲法に明記する提案にイエスをと、呼びかけていたわけです。投票前、各世帯に分かりやすく解説したパンフレットが配布され、スマホやパソコンで解説アニメを見ることもできたようです。
投票結果は、賛成78.7%、反対21.3%。投票率は50.03%でした。年金制度の改革に関する投票も同時に実施されたため投票率は高くなったということです。
憲法改正には、総得票数の過半数の賛成だけでなく、過半数の州の賛成も必要ですから「二重の過半数」制度と呼ばれています。食料安全保障の憲法明記に関しては、反対票が上回った州はゼロ。凖州を含めた26州すべてが賛成でした。その日の夕方、大勢が判明するとテレビ局は速報し、農業担当大臣が「とても良い結果。農業の将来にとってとても重要だ」とコメントしたり、野党「緑の党」の党首も「大成功、スイスの強い農業やエコロジーに対するイエスだ」と歓迎したりしました。
ただ、大手新聞は「無意味な投票」「面子を保った農家」「新たな規制の台頭」など批判的な論調が目立ちました。
(写真)スイスの放牧牛
―なぜでしょうか。
憲法改正の内容に具体性がなく、条文解釈の幅が大きすぎるからです。食品流通大手「ミグロ」の幹部は「ただの混乱。投票運動に何時間も時間を浪費しただけだ」と厳しい。農家の反応もいろいろでした。スイス青年農業者会の会長は「多くの国民が若い農家を支持してくれるメッセージだ」と評価していましたし、話を聞いた畜産農家からも「貿易の自由化が不安で憲法改正で何かが変わることを期待できる」と賛成したと言っていました。
一方で「憲法を改正しても何も変わらない。それぞれの関係者が異なる解釈をしているからで経済界は輸入が増えると期待している」と反対票を投じたという農家もいました。
◆ルールで守れ農業と食料
―それでも主要国の憲法に食料安全保障が明記されるのは初めてだと思います。この意義をどう考えますか。
憲法に食料安全保障を明記することにスイス国民に幅広い支持があることを現地で強く感じました。
スイスは山岳地が多く、酪農以外は条件が不利で、人件費も高い。農地も減少し農家数は30年前の約12万5300戸から2013年には約5万5200戸まで減っています。農業予算の削減圧力も強まっているなか、2014年には中国とのFTAを発効させ、今年1月には南米関税同盟(メルコスル)とのFTA交渉を開始し貿易の自由化を進めています。
安い農産物の輸入増加を農家は心配し、この危機感をバネにスイスの農業・酪農家協会が食料安全保障を憲法に明記する提案を発議すると、わずか3か月で15万人もの署名を集めました。憲法改正の国民投票実施に必要な10万人をはるかに上回ったわけです。同時に環境団体も、輸入食品に対して環境、労働、動物福祉などの基準を満たす必要性を訴えていました。そこで、こうした動きを受けてスイス政府は意見調整して政府案に相当する「対案」をまとめて発議、それが圧倒的多数で支持されたということです。
この一連の調整プロセスのなかで重要だと思ったのは、生産者保護に焦点が当たっていた当初案を農業団体も取り下げて、単純な国内の農業保護論や増産策ではなく、輸入による食料確保や、公正な食品流通、食べ残し問題など消費者側の問題についても議論が積み重ねられ「農場から食卓まで」のバリューチェーン全体を食料安全保障として位置づけようとしたことです。つまり、消費者を巻き込んで徹底的に議論し、国民的合意形成をめざしたという点です。
―具体的にスイスの憲法はどう変わるのでしょうか。
スイス連邦憲法は全部で6編197条もあり、財政・金融政策、動植物の保護、臓器移植のルール、遺伝子組み換え技術の制限まで具体的な問題まで含まれています。
農業に関しては104条(農業)です。4項目で構成される長い条文で実質的に日本の「食料・農業・農村基本法」に相当する内容です。
今回の憲法改正は、104条1項aの「(連邦は)全住民に対して確実な供給を行う」という規定や、75条「国土整備、土地の適切かつ適度な利用」や、102条「生活に不可欠な物資の確保」を強化するのが狙いです
具体的には、憲法104条1項aに「連邦は以下(の5項目)を支える条件を整備する」という文言を加筆します。
5項目とは(1)農業生産基盤、特に農地の保全、(2)地域の条件に適合し、自然の資源を効率的に使う食料生産、(3)市場の要求に対応した農業・食品部門、(4)農業・食品部門の持続可能な発展に貢献する国際貿易、(5)自然の資源を保全する方法による食品の消費です。
これは確かにスイスの大手メディアも批判しているように、抽象的で解釈の幅が大きいといえます。なかでも4つ目の「国際貿易」は農家が懸念するように農産物輸入の促進と解釈できるし経済団体もそう捉えています。
一方で農業団体は「輸入は国内供給と補完関係にある」と強調し、「スイスで生産できないものだけを輸入する。自由貿易ではなく公正貿易だ」と反論しています。
今回の憲法改正は2022年以降にスイス農政の次期中期計画に反映される見込みでそれまで国内で議論が続くと思います。
ただ、大きな流れとしては安価な労働力を利用して輸出競争力を高めるようなソーシャル・ダンピングや、利益を優先させるために環境破壊を認めるエコロジカル・ダンピングなどを許さず、輸入相手国に対しても持続可能な農業生産や、国内と同等の基準を順守させることが「公正」だという考え方は根づいていくと思います。
要するに、生産段階で燃料や化学肥料を大量に使う国の農産物は受け入れない、衛生、労働、動物福祉などについて、基準の低い国からの輸入を制限するということでしょう。
◆経営の効率化過度の優先は危険
―つまり、スイスの憲法改正はルールや規範で国内農業生産を守り、食料安全保障を実現するという流れを生むものだということですか。
関税ではなくルールで守るということだと思います。関税が撤廃されても消費者を巻き込んだ議論で規範を形成し、それに基づいて輸入品を跳ね返し、国内生産を守るということです。
日本での食料安全保障は国内生産の増強論と直結し、農業保護論が柱となって生産者が孤立してしまい、消費者には関心が高まらないという構図になりがちではなかったか。また、スイスを取材して感じたのは、政策を形成する手続きの透明性です。憲法改正の発議以来3年間も議論し自由貿易と国内生産の両立を模索してきました。
しかし、安倍政権は、この6月の骨太方針では復活させましたが、昨年は「食料安全保障の確立」という文言を、前触れもなくばっさりと削除しましたね。その理由ははっきりしませんが、食料安全保障は農業保護論に結び付きやすく邪魔になるからと考えたのではないか。食べ物と向き合う姿勢や政策の手続きは、スイスと比べると、真逆です。
食料・農業・農村基本法の第2条では国民への食料の安定供給について「国内農業生産の増大を図ることを基本とし、輸入と備蓄を適切に組み合わせて行わなわなければならない」と規定しています。国内生産は食料安定供給の第一の柱です。ですが経営の効率化を過度に重視すると国内生産のさらなる衰弱を招く恐れもあります。同時に食料安保にとっては輸入も不可欠です。しかし、それはスイスのようにルールに基づいて流通・消費を含めたフードチェーン全体で確実なものにしていく。これが国際的に潮流になり始めています。
基本法が制定されて来年で20年になります。食料安全保障を再定義し基本政策を見直す時期は間違いなく近づいていると思います。今から議論を始めるべきです。
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