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農政:2020年を振り返って

荒廃した世界と向き合う 内山 節(哲学者)【特集:2020年を振り返って】2020年12月1日

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この1年、世界は新型コロナウイルスに覆いつくされたかのようだが、政治経済はもとより人々の生活や文化を含めて大きな節目の年だといえる。そこで今年がどのような年であり、これから何を考えていく必要があるのかを何人かの方に寄稿していただいた。
第1回は哲学者の内山節氏。氏はコロナ禍にある今の人間中心主義の荒廃した論理が支配する社会と対峙するためには、社会を自然と生者と死者でつくられているという伝統的な農村の思想から学びなおしたらどうかと説く。

内山節氏.jpg

哲学者・内山節 氏

社会は自然と生者と死者で構成されている

江戸時代までの日本の人びとは、社会は自然と人間によってつくられているという社会観をもっていた。自然も社会の構成メンバーであり、だから、たとえば村境は家や田畑のない自然空間につくられていることが多かった。人びとはそこに道祖神を祀ったりして、村に悪霊が入ってこないことを願った。自然と人間の世界に悪霊が入ってくれば、禍がおきると考えていたのである。
さらに、社会を構成する人間は生きている人だけではなかった。死者という先輩たちも社会の構成メンバーだったのである。亡くなった先輩たちが、田畑をつくり、水を引き、道や集落をつくってくれた。そのことによっていまの社会がつくられているとすれば、死者たちもまたこの社会を支えているメンバーだということになる。日本の伝統的な考え方では、社会は自然と生者と死者によってつくられているものだったのである。ところが明治時代になって欧米の思想が入ってくると、社会は生者だけでつくられているものと認識が変わっていった。

今年は、私にとっては、この社会観の変化を振り返ることが多い年だった。新型コロナウイルスの感染が拡大しはじめたとき、日本の社会では、コロナとの戦い、コロナとの戦争といった勇ましい言葉が飛び交った。だが忘れてはいけないのは、ウイルスもまた自然の生き物であり、この社会の構成メンバーだということである。ただし社会のなかには、ありがたくない構成メンバーも存在する。人間のなかにも人びとを困惑させる人もいるし、一部の動物も作物を荒らしにくれば害獣である。自然はこの社会に多くの恵みを与えるが、ときに大災害をもたらしたりもする。
社会は生者にとって都合よくつくられているとはかぎらない。しかし、不都合なものもまたこの社会の構成メンバーであり、それらとも共存していける方法をみつけだすのが、人間の知恵だと考えられてきたのである。とすれば課題はウイルスを撲滅することではなく、どういう社会をつくり、どういう暮らし方をすればウイルスと共存できるのかをみつけだすことであったはずである。


人間中心主主義という生者の論理

そんなふうに考えていくと、いま私たちの前にそびえ立っている壁は、生者の論理だけで物事を考える人間中心主義という壁なのかもしれないと思えてくる。生者中心主義という壁があるから、人びとはときにウイルスに怯え、自粛を強要され、ウイルスをめぐる世界対立に巻き込まれていく。感染防止か経済かという現在の議論も、語られているのは生者の論理だけである。
ウイルス下における本当の課題は、自然と人間によってつくられている私たちの社会の維持なのである。そしてこの社会を維持するためには、爆発的な感染拡大は阻止されなければならないだろう。爆発的な感染拡大がおこれば、社会維持が困難になるからである。とともに社会維持のためには人間たちの活動も必要になる。そのなかには経済的な活動もふくまれるだろう。だが間違えてはいけないのは、経済は社会維持のための道具であり、目的ではないということである。目的は私たちの社会の維持の方にある。

コロナウイルスに対する対応だけではなく、今年も世界のいたるところで生者中心主義がもたらす問題点が顕わになっていた。アメリカのトランプ政権がおこなってきたことも生者の論理でしかない。それは生者たちの欲望の論理であり、すべてのことをアメリカにとって損か得かで決めようとする退廃の論理でしかなかった。日本が加わるTPP(環太平洋経済連携協定)でも、推進派が唱えていたのは加盟が日本にとって得になるということであり、生者の退廃した欲望の論理でしかなかった。生者の論理だけでつくられた社会が環境を劣化させ、そこから生まれた勝者の論理が格差社会を固定していく。


伝統的な農村が育んだ思想を学びなおす

社会を自然と生者と死者によってつくられたもの捉えたかつての日本の人びと。この社会観には、自然と共に生きようとする思いや死者たちへの感謝の思いがあった。そしてそれは農村社会から生まれた思想でもある。いうまでもなく農の営みは自然と人間の共同作業として成立するし、基盤をつくってくれた死者たちに支えられていまの社会があるという思いも、農村では日々感じられることだからである。
とすれば現在の私たちは、伝統的な農村が育んだ思想を学びなおすことからはじめなければならないのだろう。荒廃した論理が支配する現在の世界と向き合うために、である。今年の私は、たえずそのことを感じていた。

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