農政:東日本大震災10年 命を守る協同組合
【特集:東日本大震災10年 命を守る協同組合】「までいな村」を守り抜く 原発被災後10年の飯舘村ルポ2021年3月22日
福島県で開かれた東日本大震災祈念大会に合わせて、農に生きる飯舘村がどうなっているのか4人の村民から話を聞いた。飯舘村とはどのような村なのか、原発とどう関わってきたのか報告する。(取材・構成:先崎千尋※)
豊かな日常 なお遠く
馬産地から肉牛飼育へ
福島県は広い。東は太平洋に面し、西は新潟県に接し、山間部は、冬は雪に閉ざされる。同県は地域区分として浜通り、中通り、会津の三つに区分けされている。奥羽山脈と阿武隈山地が区分けの基準だ。飯舘村は海岸には遠いところだが、浜通りに入っている。
今から約200年前に天明の大飢饉が日本全土を襲った。相馬藩も例外ではなく、餓死者や逃散者で藩の人口は3分の1に減ったと伝えられている。藩は復興策の一つとして、荒れ地のあとに北陸からの浄土真宗門徒を新百姓として受け入れた。藩はさらに、未来を託す子どもたちを大事に育てようとし、大人には自立できる働く場の提供、環境づくりに努めた。
村は山林原野が多く、江戸時代から有数の馬産地だった。明治期になっても軍馬としての需要が多く、馬産と炭焼きが貴重な収入源だった。戦後になって馬の需要がなくなり、肉牛の飼育が始まり、飯舘村の主産業となった。
飯舘村は「平成の大合併」でも合併せず、「までいな村」(後述の菅野哲さんは、原語は「までえ」だと言う)づくりを進めてきた。までえとは、「ものを大切にする、行動を大切にする、人と人とのつながりを大切にする」という意味だ。
遠い存在だった原発
飯舘村は「原発銀座」と言われていた浜通りに属していても、東京電力福島第1原発からは近いところでも30キロも離れているので、原発とは無縁の村だった。村の中に原発があるわけではないし、原発交付金を受けているわけでもない。原発のある大熊町や双葉町に行くには、幾つもの山を越えなくてはならない。それが2011年3月の原発事故で一変する。
原発が水素爆発を起こした時、北西方向の風が吹き、原発の事故現場から放射性物質を載せて村の上空を吹き抜けていった。放射性物質が舞い上がった時の風の向きが村の人々の運命を変えてしまった。
国は事故発生当時、飯舘村に避難指示を出さなかった。原発の周辺市町から多数の避難民が村に押し寄せ、村民は食料を炊き出し、水を供給し、宿泊施設を提供し、全力で救済に当たった。
その後、村でも高い放射線量が記録され、今度は自分たちが避難しなければならなくなった。福島市や郡山市など中通り方面では、先に避難した人たちがアパートや借家に入っており、後から避難した飯舘村の村民は物件探しが極めて困難だった。事故から2カ月後に避難が始まり、「原発難民」の生活が始まった。村役場機能も福島市に移転された。
2017年3月になって、原発に近い長泥地区を除く村内の居住制限、避難指示解除準備区域の避難指示が解除された。
ステップ重ね農継承

昨年10月に村長になった杉岡誠さんは44歳の若さだ。先祖は、北陸から移住した浄土真宗門徒が創建した寺の住職で、東京工大大学院で素粒子物理学を学び、飯舘村にIターンした変わり種だ。村長になる前は村役場の職員だった。農業振興を担当し、「飯舘村営農再開ビジョン」の策定に関わった。
村長は、「営農再開ビジョン」は農の再生が主眼で、人々の意欲の維持と高揚と技術の継承が大事だと言う。農とは、農村における人々の営み、歴史、風土、生きがい、なりわい、開拓精神などを包括したもの。その手順を(1)農地を守る(農地を荒らさず、次世代に残していく)(2)生きがい農業(自分で食べたい、知人に食べてほしい)(3)なりわい農業(市場や直売所に出荷したい)(4)新たな農業(新たな品目や技術にチャレンジ)の四つのステップに分けた。どのステップから取り組んでもいい仕組みになっている。
村では、行政区での説明会を重ねて、一人一人と向き合い、約1300件の取り組みにつなげた。これまでの実績は、ステップ1が860人、ステップ2が380人、ステップ3が100人、ステップ4が10人。現在は花き栽培が盛んで、新たな特産品として期待されていると言う。
村長は、「飯舘村を新たに選んでいただけるような、わくわくする楽しいふるさとを形づくっていきたい」と意欲的に語っている。村の農業をどうするのか。それは誰かが考えたり指示したりするのではなく、自分たちの手で作り上げていくことだ、とも言う。新たな移住者は昨年8月で100人を突破した。
共感と協働で再生へ

菅野 宗夫さん
ふくしま再生の会副理事長の菅野宗夫さんは村の北部、佐須に住んでいる。オオカミ信仰で全国に知られている山津見神社が近くにある。
帯広畜産大学で酪農を学び、牧草で牛の飼料を作り、米、野菜、花を作る循環型農業を営んでいた。現在は乳牛を和牛に切り換え、ハウス栽培でキュウリを作っている。3年前まで村の農業委員会長を務めていた。
10年前の大震災の時、宗夫さんは家から10キロ離れた山林で妻と二人でシイタケ栽培用の原木の切り出し作業中だった。激しい揺れ。山鳴り。やっとたどり着いた家で牛も家族も無事を確認した。翌日、「原発で事故が起きた。外には出るな。土に触れるな」という情報が伝えられた。寝耳に水。原発の安全神話が崩壊した。
東京では、物理研究者の田尾陽一さんたちが被災地に入り、事故の年の6月に宗夫さんを訪ね、話を聞いた。その場で「ふくしま再生の会」が誕生した。同会のテーマは、福島復興に向けた調査・交流・実験・行動。再生への道は共感と協働とし、田尾さんが理事長に、宗夫さんが副理事長、福島代表に就いた。
会は村民、ボランティア、専門家の協働により、放射能・放射線の測定、各種の除染実験を継続し、帰村後の生活と産業の再生に取り組んでいる。これまでに、米・酒米の栽培、木材利用、健康医療ケア、体験ツアーなどに取り組んできた。最近では牧草地再生、炭焼き再生、コミュニティー活動の支援なども行っている。
宗夫さんのもう一つの活動は飯舘電力。2014年に会社を立ち上げ、翌年に発電を開始、現在は40基が稼働している。村内には外部資本によるメガソーラーもあるが、地元資本で村民の自立と再生を促し、自信と尊厳を取り戻したいと語る。
"口惜しさ"語り継ぐ

長谷川 健一さん
前田明神そば生産組合代表の長谷川健一さんは「村を事故の前に戻したい。農地を荒らさないためにソバを作っている」。
健一さんは四世代家族だった。祖父の代に新潟から入植した開拓農家だ。事故前は酪農家。50頭の牛を飼っていた。イノシシも飼っていた。2000年頃からはダイコン、キャベツ、加工用トマトなどの野菜も作っていた。同時に前田区の行政区長も務めていた。
避難は伊達市の仮設住宅。全世帯が村を離れるのを見届けてからだから、8月になっていた。村内のパトロール組織「全村見守り隊」のメンバーにもなった。酪農は止めざるを得なかった。つらい選択だった。6月には酪農の仲間が自死した。
健一さんは、事故が起きてすぐ、後世に残さなければと考え、カメラとビデオで日々の生活や村内の風景、人々の姿を克明に撮り続けてきた。村の本当の姿を外に発信しようと積極的に講演に歩き、自らの体験を語ってきた。本も出した(『写真集飯舘村』七ツ森書館、『原発に「ふるさと」を奪われて』宝島社、『までいな村、飯舘』七ツ森書館など)。
妻の花子さんは村が1989年に実施した「若妻の翼」で10日間欧州に行ってきている。また仮設住宅では管理人に頼まれ、8年間住民145人の面倒を見てきた。
健一さんは現在、約30年前に山林を開墾し、畑にした42haに仲間3人でソバをまき、収穫しているが、風評被害で赤字だと言う。夜昼の温度差があるので、香りの強いソバができる。機械化体系が完成しているので、手間はそれほどかからない。
長男は現在福島で牛飼いをしているが、原発事故がなければ、家族一緒で平安な生活が送れたはずだ。それができなくなった口惜しさが、言葉の端はしから感じられた。
東電の償い終わらず

菅野 哲さん
元飯舘村役場職員の菅野哲さんは役場職員を定年退職後、農業に復帰した矢先に原発事故に遭った。
哲さんらは2014年に「東京電力に謝罪をさせ、正当な賠償を実現して、飯舘村民としての誇りを取り戻し、ふるさとの再生を図るため」として、原子力損害賠償紛争解決センター(ADRセンター)に裁判外紛争解決手続きを申し立てた。
この手続きには737世帯、2837人が申立人に名を連ね、(1)飯舘村民に甚大な損害を与えたことに対する法的責任を認め、申立人、飯舘村民に謝罪すること(2)無用な初期被曝によって健康不安など精神的な苦痛を与えた慰謝料などを支払うことなどを求めたが、東電はセンターの和解案を拒否し続けたため、手続きは打ち切られていた。
そのため、哲さんら29人は先月5日に国と東京電力を相手取り、慰謝料など約2億700万円の賠償を求める訴訟を東京地裁に提訴した。
今回の訴訟は「国は事故発生4日後の3月15日には飯舘村の高線量を認識できたのに、4月22日まで避難指示を出さなかった。東電は、津波に襲われた場合の危険性を軽視し、対策を講じないまま原発の運転を続け事故を起こした」というもの。
哲さんは「飯舘村は場所も人も崩壊してしまっている。村民が安心して暮らせる生活再開のために、国・県はその願望に寄り添ってほしい」と訴えている。裁判の成り行きを注目したい。
※先崎千尋氏の「崎」の字は本来異体字です。
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