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農政:許すな命の格差 築こう協同社会

【特集:許すな命の格差 築こう協同社会】現地ルポ:JAなすのねぎ部会 農家守る協同の力 「那須の白美人ねぎ」ブランド化2021年5月7日

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栃木県の那須地域にある那須野が原は日本で最大の扇状地で、明治以来の開拓と治水の歴史で知られ、畜産と水稲、それに園芸を中心とする、関東でも有数の農業地帯となっている。米の生産調整を契機に野菜への転作を進め、自然・地理的条件を生かした、関東の野菜産地として不動の地位を固めている。その原動力になっているのが「協同」を基盤とする生産者の部会だ。JAなすのの部会をけん引する、ねぎ部会に協同の力によるブランド産地づくりをみる。同部会は「那須の白美人ねぎ」のブランドづくりで2003(平成15)年日本農業賞大賞を受賞した。(農協協会参与 日野原信雄)

ネギ収穫の実演会ネギ収穫の実演会

「BB9」で40億円 転作で園芸産地に

JAの組織活動の源泉は組合員である生産者の組織にある。さまざまな組合員のグループがあるが、大別すると、集落単位で構成する農家組合(あるいは営農組合)、地区を越えた青年部や女性部、それに作目ごとの作目別部会の三つがある。なかでも農業生産を基本とするJAにあっては、当然ながら作目別の生産者の組織が事業の中心になり、それが刺激になって、栽培技術や農産物加工、出荷などの研究会や部会、協議会など、組合員の自主的な活動が生まれる。

JAなすのには、こうした組合員の組織が数多くあり、とくにネギやアスパラガス、イチゴなど、野菜・園芸の部会活動が盛んだ。なかでもねぎ部会は、1996(平成8)年、6JAが合併しJAなすのが誕生するのと同時に発足。大田原市を中心に行われていたネギの生産を、米の転作作物として管内全域に拡大した。新しい技術を導入してハウス栽培も進め、周年出荷に取り組みながら生産を伸ばした。

同JA管内の大田原市でネギの栽培が始まったのは1982(昭和57)年。米の生産調整が続き、水田でもできる転作作物としてネギを導入した。90(平成2)年から首都圏農業の一環として栽培を勧め、2年後、大田原市農協ねぎ部会となった。

特にネギを選んだのは、転作田に適しており、また露地栽培では、一定の面積がこなせるため、比較的水田規模の大きい那須地域には適していた。また、農業地帯として、関東では比較的昼夜温の変化が大きい地域で、品質のよい野菜が取れる。

現在の「JAなすのねぎ部会」は、137人の部会員が、露地で約110ha、ハウスで約2万坪(約6.6ha)を栽培する。露地、ハウスとも周年栽培体系を確立し、京浜や栃木県内で市場出荷している。麦・大豆、和牛部会のような、生産者の多い作目は別にして、野菜の品目別ではネギが断然トップになっている。

JAなすの管内には、多くの転作品目が入ったが、そのなかの9品目(ネギ、ウド、アスパラガス ナス、トマト、ニラ、梨、シュンギク、菊)を、「BB9」(ビューティフルブランド・ナイン)のブランドで、重点品目として栽培を呼び掛けている。「BB9」の園芸品目は約40億円で、園芸品目全体の販売高55億円の約7割を占める。このなかでネギ、アスパラガス、イチゴの3品目は10億円プレイヤーで、ネギはそのトップバッターとして、JAの期待が大きい。

水稲5ha、露地で1ha、ハウス25aでネギを栽培する、同JAねぎ部会部会長の渡辺一浩さん(49)は、「『量は力、品質は信用』をモットーに栽培技術、品質の統一、一元出荷体制の確立に努めた。特に品質では他の産地に負けないつもりだ」という。こうした部会の機運と、量・品質を重視したJAの産地づくり、販売戦略がうまくマッチしてブランド化が進んだ。

ねぎ部会の渡辺一浩部会長ねぎ部会の渡辺一浩部会長

われらの農協意識 部会と連携し醸成

産地の維持・新規の部会員確保が課題に今はなる。新しく野菜・園芸を始めようとする人に対しては、部会が受け皿になる。ねぎ部会の場合、内部にそれぞれ5人ほどの生産者からなる指導専門部があり、新規参入者の指導を行う。そのときは種や定植の機械は部会員の共同利用であり、それぞれの作業も統一し、計画的に行う。

「部会で話し合い、種子やは種期を統一・調整して栽培している。またマニュアルに基づいて、部会の役員とJAの担当者、県の指導員で、地区ごとの指導会を徹底している。新しい技術を取得しようとすれば、部会に加入していないとついていけない。新規参入者受け入れの体制ができている」と渡辺部会長はいう。

「那須の白美人ねぎ」の選果場「那須の白美人ねぎ」の選果場

また部会には指導専門部のほか、販売専門部や青年部も女性会もある。それぞれ役員がいて、試食販売や市場視察などさまざまな活動を行う。同JA園芸課の福田秀俊課長は「産地を維持し、農家の経営を守るには、農協と生産者の部会が両軸となって取り組まなければならない。部会活動が、組合員にとって『われらの農協』という意識につながれば」と期待する。

「産地部会がしっかりしているから、JAは販売に力を入れることができる。役割分担して生産者が一層、生産に力を入れられるようにするのがJAの役割だ」と菊地秀俊組合長は、JAの役割を強調する。


「産業組合発祥の地」の記念碑「産業組合発祥の地」の記念碑

【産業組合発祥の地】

「華族農場」と称され、那須野が原には明治の元勲や明治政府の要職を歴任した"貴族階級"の、いわゆる華族が切り開いた農場がひしめきあっていた。後に産業組合の先駆けとなる品川弥二郎、平田東助の笠松農場もその一つで、1894(明治27)年、農場内の耕作者による品川信用組合が設立された。

ドイツの信用組合を学んだ品川弥二郎、平田東助の強い指導でできた協同組合で、自主的とは言い難い面もあるが、6年後の1900年には、産業組合法ができ、その後の湯津上農協、現在のJAなすの湯津上支店につながる。それを記念する「産業組合発祥の地」の記念碑がかつての旧湯津上農協の敷地にある。同地区にはほかに品川神社や平田東助の墓などもある。

こうした歴史を知る人は少なくなったが、「自立心と協同による産地づくりのなかに、開拓者の精神は今も地下水脈として生きている」と、那須文化研究会の木村康夫さんはみる。

特集:許すな命の格差 築こう協同社会

「当たり前の生活」を希求 先人の思い継ぎ前向きに 栃木・JAなすの菊地秀俊組合長に聞く

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