農政:迫る食料危機 悲鳴をあげる生産者
【迫る食料危機】「前例ない食料危機」と肥料供給混乱に備えを 資源・食糧問題研究所 柴田明夫代表(2)2022年7月20日
円安も重なり日本の食品の値上げ止まらず
日本も安閑としてはいられない。政府は5月27日、2021年度版の「農業白書(食料・農業・農村の動向)」を閣議決定した。その中で、新型コロナウィルスの感染拡大や今回のウクライナ危機で、わが国の食料安定供給にも懸念が生じていると警鐘を鳴らしている。問題は、供給不安の前に日本の食品の値上がりが止まらないことだ。
帝国データバンクによると、2022年内に予定されている食品の値上げ累計1万789品目で、うち6000品超は6月末までに値上げを実施。7月以降に値上げが決まっている食品は4504品目あり、このペースでいけば年内には2万品目を超える可能性も出てきた。日本の場合、国際食料価格の高騰に加えて円安という問題が加わる。年初1ドル=110円台であった為替は、7月に入って137円台まで円安が進み、今秋には150円の見方もある。
円安は輸入物価の上昇に拍車をかける。日本の輸入物価は2021年3月以降、前年同月比プラスに転じ、2022年に入っては6カ月連続で同40%を超えている(図3)。これに伴い企業間で取引するものの価格を表す企業物価も9%台まで上昇している。しかし、輸入物価の上昇分を転嫁し切れていない。さらに消費者物価(食料品を含む総合)となると足元2.5%に止まっている。今後、食品についても再値上げ、再々値上げを企業が増えそうだ。
(出所)総務省物価統計より筆者作成
シェーレ(鋏状価格差)の出現
もう1つ厄介な問題がある。農業経営者や畜産・酪農家にとっては、生産コストに当たる燃料、電気、建築資材、農機具。自動車関係料金、農用被服、種苗・苗木、飼料、肥料、農薬など、農業生産資材の価格上昇に対して、自らの商品である農産物の価格が総じて低迷していることだ。農林水産省が毎月発表している「農業物価指数(2015年=100)」によると、2022年5月の農産物(総合)指数が前年同月比+3.0%に対して、農業生産資材(総合)指数は、同+6.7%とコストの上昇が商品価格の上昇を上回っていることだ。特に、コメや野菜については、それぞれ同▲15.8%、+17.7%であるのに対し、生産に必要な肥料および飼料は、それぞれ同+12.2%、同+14.7%と逆ザヤ幅が大きい。農業経営者にとって毎月こうした逆ザヤが累計していくことになるので正に死活問題だ。
シェーレ(鋏状価格差)という言葉がある。筆者が農学部の学生時代によく出てきた言葉だが、工業製品価格と農産物価格との間でみられるシェーレ、すなわち鋏状の価格差のことである(図4)。通常、どの国も工業化の過程では、工業製品は寡占化・独占化が進むと価格が引き上げられる一方、市場競争下で農産物価格は安く抑えられがちである。この両者の価格差を通じて工業部門は利益を得て、工業化を域に進めるのである。
(出所)筆者作成
かつて、1917年のロシア革命でソビエト(ソ連邦)が誕生した時、レーニンなどの指導者の課題は、工業建設の資金をどこから捻出し、農業をどのように社会主義化することだった。当時の理論的指導者トロッキーは、社会主義的な原始蓄積を提唱した。工業投資を急速に拡大するには、弱体な工業自身の利益の積み上だけでは不十分であり、農産物価格を安く抑え、農村向けの工業製品を吊り上げて利益を吸い上げ、これを工業建設の財源とするというもので、いわゆるシェーレの利用である。スターリン時代になると、小農民経営の徹底した抑圧へと加速する。肥料原料や輸入飼料価格の高騰に苦しむ日本農業の現状と重ね合わすと、身につまされる話である。今後、懸念されるのは国際的な肥料供給の混乱と価格上昇の本格化である。
世界的な肥料供給の混乱に備える必要 「プーチンの踏み絵」にかけられる国・地域
ウクライナ危機の影響は、ロシアからの肥料供給減少という世界の食糧安全保障を根本から揺さぶる問題として、今後本格化し、次なる穀物価格高騰を招く恐れが高い。
世界的な肥料供給混乱の兆しは、新型コロナウィルスのパンデミック(世界的大流行)が始まった2020年3月に、肥料原料価格の上昇という形で現れていた。国連食糧農業機関(FAO)によると、2017~20年にかけてトン当たり200~300ドルで推移していた尿素スポット価格(バルク、黒海沿岸渡し)は、2021年に入ると上昇に転じ、22年1月には900ドルに達した。リン酸の価格もトン当たり300ドル前後から700ドルへと倍増した。背景には何があるのか。
そもそも世界の肥料市場は、消費量が多くの国にわたる一方、生産・埋蔵量は特定の国(米国、カナダ、ロシア、ベラルーシ、モロッコ、中国など)に偏在している。
肥料の情報サイトによると、2021年の世界の肥料貿易額825億ドルのうち、最大の輸出国はロシアで15.1%(125億ドル)を占める。次いで、中国13.3%(109億ドル)で、カナダ8.0%(66億ドル)、モロッコ6.9%(57億ドル)、米国4.9%(41億ドル)と続く。上位5カ国で50%弱、上位10カ国では65%を占める(下表)。
世界の肥料需要量(窒素、リン酸、カリの3大肥料計)は、食料生産の増加や人口増加を映して年々着実に増大している。こうしたなか、2021年に入り、①窒素肥料の原料となるアンモニアを作るのに必要な天然ガス価格が欧州で需給ひっ迫により急騰、②コロナ禍による輸出制約、③輸出国による輸出制限、④大手企業による寡占化の動き―などの要因が重なったことから価格高騰を招くことになった。いずれも今回のウクライナ危機発生以前の話である。
天然ガス価格は、欧州やアジアでコロナ禍からのガス需要急回復に対し供給が追い付かず、2021年8月以降急上昇したまま、年を越す格好となっていた。国際肥料価格の上昇を受けて、肥料の輸出制限に動く国も広がった。主要輸出国の中国は、国内の肥料を確保するため、リン鉱石に対し2020年5月以降、輸出規制を強化している。トルコやベトナムも輸出制限を行っているほか、ロシアも2021年11月に窒素およびリン鉱石の輸出に6カ月間の輸出枠を設けた。さらに、世界の肥料業界では、リン酸、塩化カリ肥料を中心に大手企業による寡占化が進んでおり、資源産出国の現地企業の株式を取得する動きが活発化していることも価格が下がらない要因といえよう。ちなみに、米農業資材大手Agrimu社によれば、世界の多国籍肥料企業上位10社は、Agrimu(米国)、The Mosaic Company(米国)、Potash Corporation(カナダ)、Yara International(ノルウェー)、Israel Chemicals(イスラエル)、Uralkali PJSC(ロシア)、BASF(ドイツ)、CF Industries(英国)、K+S(インド)、SAFCO(サウジアラビア)である。
こうしたなか、ロシアのプーチン大統領は4月5日、ビデオ会議を通して、海外への食糧供給について「慎重になる」と発言した。これが何を意味するのか現段階では定かではないが、プーチンは食糧や肥料を「戦略物資」とみている節がある。両者が表裏一体の関係にあると同時に、食料の生産は、肥料の供給量や価格に大きく依存することから、プーチンは自国の保有する肥料を、敵対国か友好国か、「踏み絵」にかけようとしているのではないか。「プーチンの踏み絵」にかけられる国・地域はどこか。
肥料の需給構造の脆弱性が浮き彫り 深刻な食料安保問題引き起こす可能性
FAOが19年10月に発表した、「2022年に向けた世界の肥料展望」では、3大肥料について需給バランスを産出している。これを地域ごとに眺めてみると、世界の需給構造の脆弱性が浮き彫りになってくる。
【窒素肥料】では、西アジア(イラン、トルコ、サウジアラビア、イラク、アフガニスタンなど16カ国)と東欧・中央アジア(ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、ウクライナなど15カ国)が大きな輸出国であるのに対し、北米、南アジア、西欧、豪州は一貫して純輸入地域である(下表)。なお、中国は東アジアで大きな窒素肥料の輸出国の立場にある。
【リン肥料】では、アフリカ(主にモロッコ)、北米、西アジア、東アジア、東欧&中央アジアが小幅な輸出国であるのに対し、南米&カリブ海(ブラジル、アルゼンチン、アルゼンチン、チリ、メキシコ、ペルーなど33カ国)、南アジア(インド、パキスタン、バングラディッシュ、ネパールなど7カ国)、中欧、西欧、豪州と、多くの国・地域が輸入に依存している。
【カリ肥料】では、北米と東欧&中央アジアが大きな出し手である一方、東アジア(中国、日本、韓国、インドネシア、フィリピン、ベトナム、タイなど15カ国)、南アジア、南米&カリブ海、中欧、豪州が一貫して輸入地域であり、しかも輸入量は増加傾向にある。
こうしてみると、ロシアによる肥料輸出の制限は、南米&カリブ海、南アジア、東アジア、豪州にとってかなり深刻な食料安全保障問題を引き起こす可能性が高い。
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