農政:迫る食料危機 悲鳴をあげる生産者
【迫る食料危機】食料自給率引き上げの2国から見る日本の課題 農林中金総合研究所 平澤明彦執行役員基礎研究部長2022年7月26日
日本の食料自給率は37%と諸外国に比べて低いことが課題となっているが、かつてヨーロッパでも食料を輸入に大きく依存していた国があった。そうした国が自給率を急速に高めた経緯などから日本は何を学べるのか。今回の「迫る食料危機 農業資材高騰で悲鳴をあげる生産者~守ろう食料安保~」は、国際的な食料事情に詳しい農林中金総合研究所の平澤明彦・執行役員基礎研究部長に寄稿してもらった。
食料安保のため自給率を引き上げた英国とスイス
英国とスイスは、20世紀に食料安全保障のため食料自給率を大幅に引き上げた国として知られている。基本的なメカニズムは共通しており、その背景と経緯は日本にとって参考となるところが多い。今日の日本とは状況が異なるので、その点に注意しつつ示唆を読み取りたい。
かつての覇権国である英国と小国スイスは一見対照的であるが、いずれも土地資源など農業条件の相対的不利により、二つの世界大戦以前は食料を輸入に大きく依存していた。しかし両大戦で食料不足を経験したため農業保護へと転換し、食料自給率の上昇を実現した。その後90年代以降は生産過剰や冷戦終結による食料安全保障の意識後退、貿易自由化、環境対策などに対応する中で自給傾向がやや弱まったものの、近年は欧州で再び食料安全保障への関心が高まり、農業生産を維持するための方針や施策を打ち出している。
英国 EUへの加盟以降、自給率が急速に高まる
執行役員基礎研究部長
英国は1846年の穀物法撤廃から1931年まで農産物を自由貿易に委ねた。安価な輸入食料の供給により工業労働者の賃金を抑制する「チープフード政策」は、世界に工業製品を輸出する国際分業を促進した。
米国をはじめ広大な土地資源を有する新大陸で農業開発が進み、輸送手段が発達するにつれて1870年代から順次穀物や畜産物が輸入された。安価な輸入品との競争に晒されて、英国の穀物生産は縮小した。耕地は3割減って草地化が進み、大麦と小麦の作付けは半減した。輸入への依存は食料の7割弱、小麦・小麦粉の9割弱に達した。英国の農業は生産費削減のため安価な輸入飼料・肥料の利用や、機械化、粗放化、草地利用が進んだ。
第一次世界大戦中には、ドイツの潜水艦攻撃により食料の供給不安が生じ、一時的に農業保護が適用された。さらに1929年の世界恐慌を経て、1931年には自由貿易を放棄して本格的に農業保護に転じた。ただし英連邦植民地には低率の特恵関税を適用したため、安価な輸入品との競合は続いた。第二次大戦中は食料増産のため、永年草地からの転換により耕地が拡張された(耕作地と輪作草地の合計、1940年代に37%増加)。輸入財源の枯渇も問題となった。国際収支の赤字や、戦争債務、対外投資の喪失、交易条件の悪化といった財源要因は戦後まで続き、1946年にはパンの配給制(道重一郎「現代イギリス農業の形成と展開―イギリス農業の復活の軌跡とその課題―」共済総合研究, (53), 2008年)が実施された。
こうして戦後は国内農業生産が拡大したが、英国の食料自給率が急速に高まったのは、1973年にEU(当時はEC)に加盟してから80年代半ばにかけてであり、最高80%近くに達した。英連邦諸国からの輸入が急減したうえ、EUの政策価格はそれまでの英国と比べて高く、とくに有利となった小麦の生産が大幅に拡大した。
1992年からは、農業保護によって生じた生産過剰や米国との通商摩擦に対応するためEU共通農業政策(CAP)の改革が開始され、増産は抑制された。その内容は農産物価格の政策価格引下げと、単収(後には品目及び生産)から切り離された直接支払い、生産調整などであり、やがて環境関連の要件や規制が強化されていった。
スイス 戦後の農業保護措置で自給率大幅に高まる
他方のスイスは、アルプスとジュラの山脈を擁する山岳国であり、寒冷な気候と急峻な地形により農業の条件は不利である。耕地は少なく、中山間地域の農地はほとんどが草地であり、酪農が発達している。小国であるため早くから自由貿易と経済の特化が進み、穀物の多くを輸入していた。
こうした状況は二つの世界大戦によって変化した。1815年以来の永世中立国であり参戦はしなかったものの、第一次世界大戦の直前には開戦に備えて穀物の供給を一部統制下におき、仏独とは食料の輸入を確保するため協定を結んだ。しかし、戦争中は食料難となり、1918年には社会的危機が発生した。これ以降、自由主義的経済運営の原則から外れて農業への本格的な政府の介入が開始された。第二次世界大戦中は戦時経済措置の一環として、食料配給や農地の義務的耕作が導入されたほか、多数の貿易協定により輸入の確保を目指した。
戦後は各種の農業保護措置を適用し、GATTでは農業保護に対する制限の適用除外を獲得した。長年にわたる取り組みの結果、パン用穀物の自給率は1920年代後半の25%から1990年代には最高138%へと数倍に高まり、飼料用穀物の自給率も1970年代はじめに25%であったものが2000年代には最高で77%にまで達した。
しかし、こうした増産は1993年からの農政改革によって反転した。農産物の価格と流通を自由化し、国境保護措置を引き下げたのである。環境対策など農業による多面的機能の供給を条件とする大規模な直接支払いを導入したものの、農業の収益性は低下して離農が促進された。その背景は、GATT-URで農業保護の削減を要求されたことや、EUへの加盟予定、生産過剰に加えて、欧州における安全保障リスクの縮小であった。
近年は再び食料安全保障を重点化
2007~08年以降、農産物の国際需給は引き締まりの傾向に転じた。米国のバイオ燃料振興や、中国等新興国の経済成長を受けた輸入の増加によって需要が拡大したためである。そして国レベルの調達確保を重視する国・地域が目立つようになった。
こうした情勢の変化に対して欧州では再び食料安全保障への懸念が高まった。EUは2013年CAP改革へ向けた政策形成の中で食料安全保障を第一の課題に挙げた。そして2023年から実施される次期CAP改革では、食料安全保障を法定目標の第一に組み込んだ。最大の政策手段である直接支払いは、農家の所得支持によってEU全域で食料生産を維持するための手段となった。それと同時に、環境・気候対策も重要な政策目標となっている。
その一方で英国は2020年にEUを脱退して47年ぶりに独自の農政を策定し、環境対策に重点を置いている。その一方、食料の安定供給をEUに委ねてきた英国は今後の方針を検討しつつあり、2022年6月13日に公表されたイングランドの食料戦略は、不確実な世界における弾力性を提供するものとして国内生産を評価し、将来にわたる自給度の維持を謳っている。
スイスでは、農産物の貿易自由化と農政改革によって生じた中山間地域の農地減少や飼料生産の縮小が問題視され、2014年に供給保障支払いを導入した。これは農政の第一の目標である国民への供給の保障を実現するため、最低限の生産を条件とする面積支払いである。農業予算の大部分を占める直接支払いのうち最大の割合(3分の1)が配分された。さらに、2017年には憲法に食料安全保障条項を導入した。当初案は農業生産基盤の維持を目指すものであったが、広範なステークホルダーの要請に応えて環境・市場・貿易・消費の要素を追加し、国民投票で78%の圧倒的支持を得た。食料安全保障の具体的なあるべき姿に向けて前進した意義は大きい。
日本の課題 食料安保とみどり戦略追い風に活路を
両国の歴史は、たとえ農地資源の制約があり自由貿易主義の国であっても、十分な施策があれば食料自給率の引き上げが可能であることを示している。そのために日本はまず米の過剰を解決しながら土地利用型農業を立て直す必要がある。
しかし、日本の現状には注意すべき相違点も多い。まず上述の事例は戦後の大幅な単収拡大に負うところが少なくない。また、日本の農地の希少さはスイス以上であり、特に飼料基盤となるべき草地は乏しい。しかも政策の選択余地はWTOとFTAによって狭められているうえ、環境対策と担い手の不足にも取り組まねばならない。米の反収を含め、品種や生産技術の開発も進める必要がある。相応の対策が求められる。食料安全保障対策とみどり戦略を追い風として活路を探るべきだ。
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