農政:原子力政策方針転換 思い起こせ3.11 産地は訴える
【思い起こせ3.11 産地は訴える】「脱原発に参加」「手のひら返しだ」 JCO臨界事故でも被害の茨城県では2023年1月19日
日本の原発発祥の地・東海村がある茨城県は、これまでに原子力施設の事故による被害を被ってきた。その実態と今度の国の原子力政策転換について、東海村とかすみがうら市、小美玉市の生産者から、現在の経営内容、1999年の東海村JCO臨界事故と2011年の東京電力福島第一原発事故でどのような被害があったのか、などの話を聞いた。
(客員編集委員・先﨑千尋)
市長として脱原発宣言 牧場経営の宮嶋光昭さん
宮嶋光昭さん
かすみがうら市で牧場を経営する宮嶋光昭さんは、日本第二の湖・霞ヶ浦に突き出た旧出島村(現かすみがうら市)で、大学を卒業後、父親が始めた酪農業に入った。しかし、腰を痛めたことから肉用牛に切り替え、現在は1500頭を飼っている。さらに300頭増やすべく、畜舎を増設した。娘は他に、オーナーの馬を管理する乗馬クラブを経営している。牛はホルスタインの雌に黒毛和牛を交配させたF1種。契約した千葉県と宮城県の牧場から生後7、8カ月の子牛を購入し、それを育てている。
宮嶋牧場では黒毛和牛に負けない牛肉生産を心掛け、20haある自社農場で栽培したデントコーンや稲わら、大豆、サツマイモなどの野菜くず、おから、飼料用米、ビールかすなどをブレンドし、発酵させて供給し、購入する配合飼料の割合を他の牧場の半分以下に抑えている。牛ふんは堆肥化し、地域の農家に届け、地域循環型農業を目指している。
牛のほとんどは東京芝浦にある東京都中央卸売食肉市場に出荷している。オリジナルブランドの霞浦牛(かほぎゅう)は、一昨年の全国品評会で最優秀賞(日本一)に輝いた。
東海村JCO臨界事故の時も3・11事故の時も、茨城産ということから、出荷した牛の価格は1頭当たり70万~80万円していたのが4万~5万円と、一割以下に下がってしまった。いずれも原因がはっきりしていたので、経済的な損失はほぼ補てんされたが、手間は大変だった。
3・11事故の時、宮嶋さんはかすみがうら市長だった。市役所に泊まり込んだが、コンクリート床の上に毛布1枚で寝ていたので、腰をおかしくしてしまった、と言う。
3・11事故の前まで、原発は安全だと思い込まされてきたので、ショックだった。すぐに市役所の庭に「非核脱原発平和都市宣言」の看板を立てた。東海村の村上村長(当時)たちの脱原発を目指す首長会議にも加入し、集まりには積極的に参加している。
娘婿の謙さんは、昨年7月に同市の市長に当選し、初議会で東海第二原発の再稼働に反対を表明し、脱原発首長会議にも加入した。「東海第二原発の避難計画が問題になっているが、飼育している1500頭の牛を連れて避難できない。生活基盤をなくしてしまう避難計画など無意味だ」と、避難計画策定にも疑問を投げかける。
今回の岸田政権の原発政策転換については、「とんでもないことだ」と一刀両断。「岸田さんは何も決断しないと言われてきたので、決断した対象として原子力政策と防衛費増額を選んだのではないか」と言う。「日本の国民は忘れっぽく、さらに問題が起きても騒がない。モリカケ問題の時もそうだったが、原子力政策については何を言っても無駄だという雰囲気になってしまっている。メディアの責任も大きいのではないか」
「手のひら返した決定おかしい」 水田複合の山口和弘さん
山口和弘さん
小見玉市の山口和弘さんは霞ヶ浦を目の前にした旧玉里村(現小美玉市)に生まれ、1970年に高校を卒業してすぐに就農した。属していた玉川農協は山口一門さんが組合長だった。一門さんは、これからは米だけでは食べていけないと考え、水田プラスアルファ、水田を柱とし、それに養豚、養鶏、酪農、園芸などを加える方式を打ち出し、農家が共同で運営する養豚団地などを建てていた。さらに、石岡地域の農協が共同して営農団地を作り、全国農協中央会もその方式を全国に広め、同地域は全国のモデルになった。
その養豚団地が和弘さん宅の目の前にあり、豚やフンの臭いがひどく、ハエが家に飛び込んで来るのが嫌で、玉川地区ではメジャーだった畜産の道を選ばず、ハウスでのキュウリ栽培を始めた。規模は最大で30a。他にハウスレンコン10a、水田40aを、母と妻と3人で営んできた。
農業一筋だった生活が、2002年の農協の豚肉偽装表示事件で一転した。玉川農協が東都生協等に供給してきた豚肉に輸入肉が混入していたことが発覚し、和弘さんがその後始末のために50歳の時に組合長に就任したのだ。
同農協は2006年に隣のひたち野農協に吸収され、和弘さんは引き続き専務職として1年続けた。そのために経営規模をだんだん縮小し、現在はキュウリを10aに減らし、「半農半隠居」の生活だ。
キュウリ栽培の技術はピカ一。農協管内で10a収は常にトップクラスだ。5年前から炭酸ガス発生装置を導入、地力維持にも心がけている。
東海村のJCO臨界事故の時は、全農戸田橋集配センターに出荷でき、さほど影響はなかった。3・11の時は春キュウリだったので、風評被害などで値段が2割近く落ち込んだが、その分は東電から補償してもらった。その時は農協の力が大きかった。
今回の国の原子力政策大転換については、「今日では電気は暮らしでも農業でも不可欠だが、手のひらを突然返した今回の決定はおかしい。日本は地震や津波などの自然災害が多い。あるコンビニが冷蔵庫の電灯を一つ消すようにしたそうだが、国民一人一人がエアコンの温度を1度下げるなど小さな努力をしていけば、原発は要らないのではないか。ハト派と見られていた岸田さんが防衛費の増額を唱え、突然タカ派になった。どうしてなのかわからない」と話す。
「想定超える規模の被害怖い」 干し芋守る照沼勝浩さん
照沼勝浩さん
農業県茨城県の特産物はいろいろあるが、干し芋もその一つだ。明治末期に静岡県御前崎地方から伝わった干し芋は、現在では同県が全国の生産量の九割以上を占めている。その中でも、ひたちなか市、東海村、那珂市の生産が圧倒的に多い。
その干し芋を東海村で作り続けてきた照沼勝浩さんは、江戸時代初めから続く農家の生まれ。家は旧動燃の南500mの至近距離にあり、万一原子力施設で事故が起きれば、ひとたまりもない。現在は、茨城中央ほしいも協同組合の理事長として活躍している。
父の勝一さんは、干し芋を作りながら1962年に干し芋、カンショ、スイカ等の卸問屋として商売を始め、仕事を引き継いだ勝浩さんは、最盛期には90haのカンショを栽培していた。
原子力事故による被害は、最初は1997年3月の旧動燃のアスファルト固化処理施設での火災爆発事故。出荷のピークは過ぎていたが、出荷停止となった。
次は1999年の東海村JCO臨界事故。手持ちの1割しか販売できなかった。JCOから補償は出たが、資金繰りが大変で、4年続けて赤字だった。売れ行きが回復するまでに3年かかった。
ひたちなか市では2年くらいで回復した。取引先からは、東海村というだけで売れないのだから、住所を隣のひたちなか市に移せと勧められたが、江戸時代からこの地で続けてきたという自負心がそれを許さなかった。
相次ぐ原子力施設の事故後に考えたのは、安全・安心という食べものにとって最も大事なことを干し芋づくりで追求していこうということだった。出会ったのは青森県岩木町で奇跡のリンゴづくりをしていた木村秋則さんだ。勝浩さんも東海村で、有機農業よりもワンランク上の自然栽培を始めた。
2013年にはアフリカのタンザニアで干し芋づくりに挑戦。現地法人を立ち上げ、JICAプロジェクトの支援で、現地で品種登録をして日本の「玉豊」を作っている。
今回の岸田政権の原子力政策の転換については、「一旦事故が起きた場合、想定をはるかに超える規模になることが怖い。震度8の地震が起きたらどうなるか。今回のエネルギー危機でわかるように、食料も国内で準備するしかない。都会の人もそのことを知ってほしい」と語ってくれた。
作り続けることが原発反対の意思表示 有機ブドウの圷正敏さん
圷正敏さん
東海村の圷正敏さん。茨城県の中心を南北に走る国道6号線。県内では"ロッコク"と呼ばれている。圷さんはそのロッコク沿いにある「六国アクツブドウ園」で欧州系のブドウを栽培し、そこで販売している。すぐ南はひたちなか市だ。
圷さんが父母からブドウ園の栽培を引き継いだのは1979年。その時は巨峰だった。「食べたあと、皮や種を口から出すのが汚い」と言われたのが、皮ごと食べられる欧州系に着目したきっかけだ。茨城県園芸試験場の技術者や岡山のブドウ栽培農家に教わりながら徐々に切り替えていった。
欧州系のブドウ生産に加え、圷さんがもうひとつこだわったのは有機栽培だ。アレルギーに悩んでいた近所の母親から「うちの子どもでも食べられるブドウが欲しい」と言われ、有機でブドウを作ろうと考えたのだ。
当時、筑波大学の橘泰憲さんが開いていた「つくば農学塾」で有機農業や土づくりを学び、化学肥料や農薬を使わずに、落ち葉や稲わら、米ぬか、海藻、カニ、エビなどを混ぜて発酵させた堆肥を作り、(株)マルタが作っているモグラ堆肥と合わせて施している。
圷さんのブドウは食べ物の安全性に敏感な人たちの間に少しずつ広がり、高島屋や高級果実店との取引も軌道に乗った1999年にJCOの事故が起きた。畑は事故現場から3kmしか離れていない。得意先としていた安全性に敏感な消費者は潮を引くように去っていき、この年は作ったものの1割しか売れず、残ったブドウは廃棄した。
放射能は怖いという消費者の不安はなかなか拭えず、やっと元に戻ったと思った矢先、今度は3・11の事故が起きた。売り上げが半分に減った。コーヒーかすやソフトシリカ、炭などの土壌改良材を施し、消費者には安全性を確認できる分析証明書を提示し、5年で売り上げは元に戻った。現在はシャインマスカットなど30種類を栽培している。
圷さんは最後に、「原発に100%の安全はありえない。放射能が子どもたちに与える影響が心配だ。私はここから離れるわけにいかない。安全なものを消費者に提供できなければ、ここで生活できない。ここでブドウを作り続けることが原発に反対の意思表示になる。東海村民も8割の人は、腹の中では原発反対と考えている」と静かに語ってくれた。
〈取材を終えて〉
編集部からの取材依頼を受けて、福島と茨城の生産者、首長経験者、原発推進者など9人 から話を聞いた。皆さん、待っていてくれたかのように、堰を切ったような勢いで、鋭く、力強く話してくれた。今をどうするかだけでなく、それぞれがこれまでの人生の中で原発に向き合い、苦闘してきた歩みを聞くことができた。話の中から、その思いがほとばしっているように感じた。記事ではそのすべてをお伝えできなかった。ニュアンスを感じ取っていただければありがたい。これまでに私が現地で聞いたことや集めた情報からは、東海第二原発も含めて、原発再稼働の推進や原発の新増設などは、岸田首相の思惑や関係者の期待感とは裏腹に不透明だと思える。(先﨑千尋)
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