農政:食料・農業・農村基本法の改正論議
食料・農業・農村基本法の改正論議(2)基本理念と食料政策 横浜国立大学名誉教授 田代洋一氏2023年4月26日
食料・農業・農村基本法の総合的な検証と見直しについて、農水省の食料・農業・農村審議会基本法検証部会で議論が進められる中、改めて論点のポイントを横浜国立大学名誉教授の田代洋一氏が解説するシリーズ。2回目は、「基本理念と食料政策」をテーマに寄稿してもらった。
田代洋一横浜国立大学・大妻女子大学名誉教授
はじめに
検証部会のとりまとめ作業は、基本理念、食料、農業、農村、環境、基本計画の順に進められており、それぞれの「見直しの方向」が打ち出されている。本連載は、その各項目を紹介しつつ主要点をコメントする。初回は基本理念と食料をとりあげる。
基本理念の見直し方向
まず基本理念について、現行法と見直し方向とを比較する。a.食料の安定供給(現行法)→国民一人一人の食料安全保障(見直し)、b.多面的機能→環境負荷の低減、c.農業の持続的発展→人口減少下でも生産力を維持できる生産性の高い農業経営、d.農村振興→農村移住・関係人口の増加。
4本立ては同じだが、力点が太字で示した方向にシフトしている。すなわち、aは供給面から摂取面へ、bはプラスの多面的機能からマイナス面の低減へ、cは持続性から高生産性へ、dは農村内振興から外部からの助っ人頼りへ、である。
それぞれの問題点は後述するとして、ここでは全体像についてコメントする。実は全体像が示されていないのが最大の難点で、それは四つの理念の相互関係がどうなのかに係る。現行法の理念の中核はcであり、農業発展こそが食料安定供給、多面的機能、農村振興の基盤だとされてきた。その意味で現行法は、農業中心の農業基本法を継承してきた。そのことが、省庁再編の荒波のなかで農林(水)省が単独省を堅持できた一因だった。
見直しを迫られているのは農業担当省のあり方
しかし近時、農業(c)あるいは農水省単独の力ではいよいよabdを担えなくなった。国民理解、農業団体とのコラボ、そして他省庁との共管強化が不可欠だ。だが、そもそも縄張り意識の強い省庁間関係のなかで共管事項が増えると、「農林水産省」がそのまま残っていいのかが問われるようになる。「食料農業農村省」に看板替えするか、解体・再編か。つまり真に見直しを迫られているのは、新基本法よりも農業担当省そのもののあり方である。国民としては農水省がなくなっても構わないが、農政・農林予算が消えたら困る。
そのような危機に対して、見直し作業はいかにも役人的な「あれもこれも」の総花主義で、木がたくさんあることは示すが、森全体の仕立てを見せられない。「何でもやる」は「何もしない」に通じる。
そもそも理念が4つもあるのは多過ぎる。基本理念(農業の使命)は食料安全保障と多面的機能の2つに絞り込み、その具体的追及の場として食料・農業・農村・環境というエリアを設定する等、全体像の構築が求められる。
食料安全保障の必要・十分条件
食料政策では、①食品アクセス、②適正な価格形成、③輸出・輸入・備蓄政策、④不測時対応等の八点が提起されている。
①は、現行法が、1996年のFAO食料サミットにおける食料安全保障の定義(「すべての人が、いかなる時も、...十分で安全かつ栄養ある食料を、物理的にも社会的にも経済的にも入手可能」、ゴチは筆者)を踏まえていなかったことの反省に立ち、国民一人一人の食料アクセスを保障しようとするものである。
筆者は「食料の安定供給」(自給率向上)を食料安全保障の「必要条件」、国内すべての人々への食料アクセスの保障を「十分条件」と位置付ける。その点で、①を立てたことは「十分条件」の設定として正しいが、そこには次のような問題がある。
第一に、なぜ日本は必要条件しか取り上げてこなかったのか。それは、①食管法で国が国民の主食確保に責任をもつ体制が長く続いたことで、それにアグラをかいた。②食料自給率が極めて低くなってしまった国として、まず追及すべきは国内からの食料の安定供給だからだ。
しかるに①は無くなり、②は達成から遠ざかるばかりである。このような時、十分条件を強調することが、「必要条件」(自給率向上)の必要性に蓋をすることになってはならない。食料安全保障の必要条件と十分条件を明確にした再定義が求められている。
第二に、「とりまとめ」では、十分条件(食品アクセス)について、物流確保の他はフードバンクの役割、こども食堂の支援等しか触れていない。しかし格差社会が深化していくなかで、誰もが安全かつ栄養ある食にアクセスできなくなるリスクをもつ。真に問われているのは、ボランティア的支援もさることながら、労働分配率(賃金/付加価値)の向上、大衆課税的な消費税依存から全所得に対する累進課税への変更、セーフティネット制度の充実といった、格差社会そのものの是正措置だ。それが「新しい資本主義」というものだろう。
適正な価格・所得形成に向けて
この点は、「フードチェーンの各段階でのコストを把握し、それを共有し、生産から消費に至るフードシステム全体で適正取引が推進される仕組みの構築を検討」としている。<生産者―加工・卸―小売―消費者>の各段階での価格転嫁交渉を通じて、コスト上昇を価格に適正に反映させるメカニズムの構築だ。それには立法・予算措置による制度構築が欠かせず、この点が今回の基本法見直しの目玉になろう。
しかしそれだけでは解決できない問題に日本農業は直面している。すなわち、ロシアのウクライナ侵略による資材価格高騰前の2019年をとっても、他産業の時間賃金1,669円(毎勤調査)に比し、農業の時間当たり所得は496円(他産業の1/3)、水田作経営に至っては187円(同1/10、営農類型別経営統計)で、丸でお話しにならない。
こういう状況下で他産業並みの労賃評価をコストに組み込んだら、べらぼうな食料価格になりかねない。そこで[<農業への直接所得補償>+<農産物販売から得られる農業所得>≒他産業並み所得]という仕組みが日本でも不可欠である。それが、農工間の所得均衡という農業基本法の目標を達成しないまま、新基本法に移行してしまった日本農政の原罪的課題である。
海外依存の食料安全保障
「理念」でも「食料」の項でも、輸出政策を食料安全保障の軸にしている。その論理は<輸出→国内農業・食品産業の維持強化→食料の安定供給>のようだ。すなわち人口減少=国内市場縮小下では、海外市場の確保こそ食料安全保障政策だというわけだ。
その背景には、自給率計算の問題(分子の国内生産には輸出仕向けも算入され、輸出が増えれば自給率が上がる仕組み)があり、安倍政権以来、「輸出で自給率向上」が強調されてきたという経緯がある。
このような「輸出で自給率向上」論は、いざという時には農産物輸出を制限して国内仕向けできることを論拠にしているが、日本は2000年WTO日本提案等で食料の輸出制限等に異を唱えてきたし、今回の侵略戦争でも輸出制限が問題になっている。
さらに備蓄政策には「海外での生産や保管」を含めた。「不測の事態」のトップが輸入途絶になっている今日、海外備蓄政策というのはあまりにリアリティを欠く。
基本法見直しが、市場・供給(輸入)・備蓄ともに海外依存を強めるという転倒した食料安全保障政策になってはならない。
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