農業協同組合新聞 JACOM
 
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シリーズ 「農薬の安全性を考える」

情報をキチンと提供し科学的な認識を広める
科学ライター 松永和紀さんに聞く

聞き手:宗 和弘 JA全農肥料農薬部安全・安心推進課主任調査役


 主婦として母としてそしてフリーランスの科学ライターとして、食や農業、環境問題について多くの執筆と発言をされている松永和紀さん。消費者に農薬について科学的に理解してもらうためには何をしなければいけないのかを中心にお話を伺った。

宋氏×松永さん

◆まず生産者の意識を変えることから

松永さん
まつなが・わき
1963年長崎生まれの東京育ち。
京都大学大学院農学研究科(農芸化学専攻)修士課程修了。毎日新聞社の記者として10年勤めた後に退社。フリーの科学ライターとして活動を開始。著書に「食卓の安全学――『食品報道』のウソを見破る」「踊る『食の安全』――農薬から見える日本の食卓」(以上、家の光協会)、「メディア・バイアス――あやしい健康情報とニセ科学」(光文社新書)。また、日経BP社のサイト「Food Science 食の機能と安全」で「松永和紀のアグリ話」を連載中。

 ――農薬についてはさまざまな誤解があり、科学的な根拠がないのに有機栽培とか無農薬野菜の方が慣行栽培のものより安全だといわれます。これはなぜだとお考えですか。

 松永 農薬についての情報は今は、農林水産省や農薬工業会、日本農薬学会などが広く提供し公開しています。しかし以前は、あまり公開されていませんでした。学術論文として発表されたりしていたのですが、情報が一般の市民には届いていなかったのです。そのため、農薬はこの30年間に改善され、きちんとリスク管理しましょうという方向に進んできたのに、そのことを多くの人が知らない。市民の農薬に対するイメージはいまだに30年前の有機塩素系とかBHCとかのままなのです。
 有機農産物がいいとか、農薬を使ってはいけないという人の農薬に対するイメージも、いまだに30年前のまま、という場合が多いようです。そして市民は、メディアや有機農産物でビジネスをしている人が言う「安全・安心」という言葉を素直に信じています。

 ――そのことを強調されたのが「踊る『食の安全』―農薬から見える日本の食卓」ですね。

 松永 農薬は、昔のイメージで判断されていろんなことがいわれている。それではダメで、いまの農薬は昔のものとはまったく違うということをまず知ってもらわなければいけないというのが、書いた最大の動機です。
 でも、知らないのは消費者だけではなく、実は生産者も同じです。生産者が、いまの農薬はどういう理念の下に開発されてどうリスク管理されているかをほとんど知らないんですね。私は最近、消費者よりも生産者の意識を変えないとダメだと思うようになりました。生産者が変わらないと消費者も変わりようがないんです。実際に、消費者の誤解は生産者のちょっとした一言から生じることが多いので…。

 ――「自家用野菜は無農薬だから安全だよ」とか…

 松永 そうです。だから、消費者を責める前に生産者がキチンと理解することが大事だということです。

◆「毒性」があることを認識し責任をもって使う

宗 和弘氏
宗 和弘氏

 ――JAグループも生産者にいろいろな情報を伝えていますが、分かりやすく伝えるためには、どうしたらいいとお考えですか。

 松永 分かりやすくというと「こう薄めてこの作物に何回まいて」「こうすれば後は何も考えなくていいです」という情報提供になってしまう。おそらく農薬はそれではダメだろうと思います。
 合成化学物質の毒性を利用して防除するわけですから、毒性があることを理解するのが基本です。農薬メーカーは農薬取締法に基づいて十分に注意して開発製造しています。その農薬を生産者は緊張感をもって、リスクとベネフィットを意識して責任をもって使わないといけない。「それはあなた方の使命なんです。食料を適正に提供していくための責務なんです」という、緊張感をもってもらうメッセージを、まず伝えなければいけない。「毒性」とは書きたくないでしょうが、一番重要なのは生産者に緊張感をもってもらうことだと思います。

 ――現場では、生産者に聞かれると「何倍にして、いつまけばいいんですよ」と単純に答えますが、「何故そうなのかという理屈」をきちんと伝えていなかったことが問題なわけですね。

 松永 確かに、現実に使う場面では希釈の倍率や使用回数などが重要です。そういうすぐに役立つ情報を提供すると同時に、化学物質の摂取量と人への影響など、最低限の毒性学についてキチンと情報提供し、「農業者の常識だ」というところまで持っていかないといけないんだろうと思います。
 日本は、そういう毒性学を小中学校で教えておらず、国民にとっての常識になっていない。そのために、農薬だけではなく添加物や健康食品などさまざまなところで誤解が生じ問題が発生しています。例えば、健康食品では摂りすぎによる健康被害者まで出ています。毒性学に対する理解のなさは、社会全体の悩みというか病だという気がします。
 だから真っ先に生産者に理解していただいて、社会をリードする役割を担っていただきたいのです。

◆「基準値を超えても食べましょう」

 ――農薬の使用基準や基準値のことを正しく理解するためにも、毒性学に対する理解は不可欠ですね。

 松永 農薬メーカーや生産者団体が農薬に関するガイドブックなどを作成するときには最初に、「用量反応関係」について説明してほしい。化学物質は、非常に微量の摂取量では生体への影響が見られず、量が増えていくと影響が表れ、さらに摂取量が増加すると影響はどんどん大きくなっていくという性質のことです。「農薬にはこういう特徴があるから、毒性が出ない量のところで上手に利用していくことが重要なんだよ。だから、使用量・使用回数など使用基準をしっかりと守らなければいけないんだよ」と説明していただきたい。それから、個々の指導をしていただきたいと思います。

 ――正しい知識をもつ生産者を増やすことが私たちの課題だといえますね。そして食品衛生法によって定められる残留基準をクリアする農産物を作ってもらわなければならない。ただ、基準値を多少超えても健康には問題がないことがほとんどなのですから、報道関係者に冷静に報道してもらいたい、とも考えるのです。

 松永 「基準値を超えていても食べましょう」という話を、消費者にももうそろそろして行かなければならない、と考えています。いまは基準値を超えたものは回収され廃棄されますが、設定されている残留基準値は厳しいので、基準超えでも残留量は非常に少ない場合がほとんどです。よく、厚生労働省や自治体が「基準超えの農産物が見つかった」と発表しますが、その場合に必ずといってよいほど、「この農産物を食べても、健康影響はありません」という一文がついています。今は、「健康影響はないけれど、法律違反なので回収、廃棄」という判断なのですが、「健康影響はないので、回収、廃棄はせず、再発防止のために生産者を厳しく指導するのみに止めます」というやり方をしてもよいのではないか。
 食べられるものを廃棄するのは、人としてやってはいけないことだし「もったいない」です。これからの「食の安全」は単純に基準値をクリアするだけではなくて、食料の量を確保することも重要です。食べられるものはきちんと食べていくことも食の安全につながることだと思います。ドイツとかイギリスなど基準を超えても回収・廃棄しない国がたくさんあります。日本のやり方はおかしいということを、言わないといけないと思っています。
 その根幹に必要なのは、毒性学に対する正しい理解なんですよ。それがないと、「危ないものを食べさせる」ということになってしまう。

◆農業の現場がブラックボックスに

 ――安全は科学的にかなり解明できますが、安心は個人個人でレベルが違うため、「これで安心」と言い切ることはなかなかできません。より多くの方に「安心」と感じていただくにはどうしたらよいのでしょうか。

 松永 ひところ消費者はゼロリスクを求めるといわれましたが、最近の心理学者は「ゼロリスクを消費者は望んでいない。リスクのあることを消費者は分かっている」といっています。ただ、リスクの受け止め方に感情が交じる。例えば、自分でコントロールできるリスクは、大きくても受け入れるのです。自動車はリスクは大きいけれども自分で乗るか乗らないか決められる、コントロールできるから受け入れる。農薬は消費者にとって、自分でまったくコントロールできないブラックボックスなので、本来のリスクよりも過剰に受け止められていると思います。消費者に情報をキチンと提供して、ブラックボックスをできるだけ小さくしていくことが重要だと思います。
 そして「あなたの安心よりも、社会における安全を考えましょう」という方向を意識してもらうことです。つまり、あなたの感情ではなく、社会としてリスクを小さくする方向で考えていきましょうということです。

 ――消費者に農薬に関する情報がキチンと伝えられていないからブラックボックスになっている。

 松永 そうですね。それは農薬だけのことではなく農業生産の現場が消費者と離れすぎてブラックボックスになってしまったということですね。とくに都会に住んでいると生産者が何をしているかが分かりませんから…。

 ――生協組合員が産直で交流すると生産現場が分かり農薬を使う意味が分かるようですね。

 松永 コープこうべが学習会で「他者への配慮を考えましょう」というメッセージを掲げていました。つまり、生産者やいろいろな人のことを配慮して自分たちのことも決めましょうということですね。生協の組合員が田んぼに行って交流をするのも押し付けではなかったか、という趣旨の発言も組合員自身から出たそうで、驚かされました。

 ――そういういい流れを消さないように私たちもしたいですね。

 松永 そのような消費者の思いや信頼を、生産者にも裏切って欲しくないですね。そのためにはまず農薬の適正使用ですね。それと、GAP自体を取り入れるのは難しいと思いますが、その感覚とか考え方を理解して取り入れて欲しいと思います。

◆食の安全という全体像のなかで考える

 ――お話を伺っていると、本当は単純なことをわざわざ複雑にしているような気がしますね。

 松永 農業が楽にできる気候風土ではない日本で、努力し苦しんでいる生産者がたくさんいます。現状では、その方々に感謝の気持ちを社会が素直に伝えていない。そこが気にかかります。配慮とか感謝、学びたいという向上心など、人が本来持つ真摯な気持ちを大切にして、良い社会を作っていきたいと思います。
 健康と食ということを考えると、日本社会における一番の食のリスクは過食・偏食です。次が微生物などによる食中毒で、はるかに下に小さなリスクとして農薬とか添加物がありますが、社会の認識は完全に逆転しています。そして、諸外国を見渡せば、飢餓に苦しむ人たちが大勢いる。飢餓は、人の健康にとってとても大きなリスクです。農薬だけに限定するのではなく、食の安全にはどういう問題があるかという全体像を消費者に考えてもらうような情報提供をし、科学的根拠に基づいて判断してもらうようにした方がいいと思いますね。

 ――今日は貴重なお話をありがとうございました。

(2007.12.6)


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