本紙03年11月20日付けで著者前回作『大衆消費社会の食料・農業・農村政策』(東北大学出版会、2002.9.28)を紹介した。前作はやや専門的で、キーワード「リーディングファーマー」は地域で広がるかどうか、疑問を投げかけておいた。その分今回作品は読みやすい。だが基調は、一層基本法策定ブレインの一員らしく、「農業経営者」を正面に据えた。以下章立てを紹介しておこう。「第1章
依存から創造へ」「第2章 経営するってどんなこと?」「第3章 知恵を出し知恵を作る」「第4章 消費社会の市場原理をひもとく」「第5章
むらになじむか経営者」「第6章 自由になると共同がほしくなる」、第6章の締めくくりは「一人になっても人のために」だから、一層判りやすい。農業経営者よ、政府依存、農村共同体依存、共販依存のタブーを壊そう。こう全編を通して力説する。
では具体的にどんな社会・経営者像か。本文から拾うと、
・「[消費社会]のなかで、市場原理によって自由に活躍する農業経営者」(3p)
・「自分の責任で意志決定するすべての人」(4p)
・「共同体が崩壊、裸の[個]がむき出しでさすらい始める社会」(5p)
・その対極に「集落依存型農民」、「協同組合的共同体」(10p)
・だが「共同体が不要だといってるのではない」(174p)
・必要な共同は「自由主義的共同性」(175p、192p)
・「消費社会で重視される一人ひとり」(178p)
これら文脈は良く読むと、歯切れの良さと悪さもある。だからそこが論点である。「個の時代のむらと農」という主題そのものなのだ。つまり農村生産生活で、「個人主義」とか「共同体主義」を超えられるかと。単純な「個人主義」ではない。
かつて1981年、総合研究開発機構の『農業自立戦略の研究』(昭和56年7月)が発表された。その仮説は、(1)農業分野のイノベーションを促進する政策体系への展望、(2)農業は先進国型産業である。ヒューマン・キャピタルの蓄積こそ、(3)ヒューマンキャピタルは競争原理によって促進される、(4)日本農業は輸出産業になる可能性を持つ、以上を1990年代に達成するだろうと見通した。このうち、「ヒューマン・キャピタル」とは「農業者の高学歴・優秀人材」という意味だった。「農業経営者の知恵」と置き換えれば重なるだろう。そのことは、本文に触れられてはいない。更に民間ではこの時期、「大衆から分衆」へマーケテイング論の大転換期だった。つまり自立した個人の自己選択と言って良かろう。
もともと戦後農業・農村の変貌過程を、農村社会学風に、共同体の解体なしに農村民主化なしと定式化した歴史があった。それは無理だった。そうならなかったから。
その経過をこの作品は、少し引きずる。ついでに、宮城県北の農村の、農業経営者と共同体的現実があるからと思う。そこを純化理論化はできそうもないと、私は思う。
著者は、1949年宮城県生まれ。宮城大学で教鞭をとり、一方NHK他ジャーナリズム、一般評論活動も多い。論争の書であることは、前作以上である。
(2004.10.22)