農業協同組合新聞 JACOM
   

特集 「第24回JA全国大会」記念特集 食と農を結ぶ活力あるJAづくりのために

鼎談 協同組合の本質を語る(1)

出席者
内橋克人氏(経済評論家)
河野栄次氏(前生活クラブ事業連合会会長)
田代洋一氏(横浜国立大学大学院教授)

 JA全国大会を契機に協同組合の本質、そのあり方、そして課題や期待などを有識者3氏に深く掘り下げて語ってもらった。格差拡大社会の中で農業やJAだけが苦しいのでなく、他の産業にも危機が迫っている情勢が指摘された。これに対して本質的な問題点を率直に社会に訴えていくこと、行政から自立すること、なによりも運動性を回復することなどが強調された。また新自由主義に対して協同組合批判への対抗軸をつくり出す必要性も挙げられた。

協同組合批判への対抗軸の構築を

◆JA全国大会の特徴

内橋克人氏
うちはし・かつと
昭和7年兵庫県生まれ。新聞記者を経て評論家。現在、NHKラジオ「ビジネス展望」などのレギュラーをはじめ、テレビ、新聞、雑誌などのメディアを舞台に発言・執筆活動を続けている。主な著書に「匠の時代」(講談社文庫)、「内橋克人・同時代への発言」(岩波書店)、「経済学は誰のためにあるのか」(岩波書店)、「共生の大地」(岩波新書)「共生経済がはじまる」(NHK人間講座=NHKブックス)など。

 田代 最初に、私なりにとらえた第24回JA全国大会の課題をざっと紹介したいと思います。
 第1点目は、組織基盤の問題です。農家の後継者のうち4割近くが組合員資格を継承しないという問題や、また組合員の45%が非農家の准組合員で、農協の事業は利用できるが、組織決定などには参画できないこと、あるいは農協の事業を一部しか利用しない組合員の増加や、さらには大型農家が農協から離れていくなどの問題があります。
 これら組織基盤の拡大を図るための問題提起は、その後の議論の中であまり深められていませんが、一方、日生協は員外利用の規制に対し農協並みに20%まで認めよと求めており、私は規制撤廃の流れにまでいくのではないかとの感じもしています。そうした中で組合員の変化についての問題意識が大切かと思います。
 2点目に、この間の最大の特徴は財界の総合農協攻撃です。事業部門別収支計算をして独立採算でやり、内部補てんを禁止して、結局は総合農協を解体しろという攻撃です。他方で農水省は、政府のいう担い手の育成を農協の最重要課題にしろと言っています。
 これに対し、心ある農家や農協人は財界からの攻撃に正面から反論するJA全国大会であってほしいと願い、または政府のいう担い手だけでなく、多様な担い手こそが農協の組織基盤だと思っています。これらの攻撃と要求に正面から対峙することが必要です。

◆増収増益を目指して

河野栄次氏
こうの・えいじ
昭和21年東京生まれ。40年世田谷の「生活クラブ」の牛乳運動に参加。43年生活クラブ生協(東京)設立に参加。51年生活クラブ生協(東京)の専務理事、平成元年同理事長に就任。9年生活クラブ連合会専務理事に就任。10年生活クラブ連合会会長に就任、18年顧問に。

 この点で、お二方には、農協サイドをどう励ましていったらよいのかについて御発言をいただきたいと思います。
 3点目は減収増益路線の問題です。売上げが減ってもリストラで何とか収益を稼いでいくために支所支店の統廃合とか人員削減を打ち出していますが、どうもこのままいけば減収減益のスパイラルに陥ってしまうのではないかという心配もあります。そこで、とくに議論していただきたいのは地域経済が苦しい中で増収増益を目指す方向についてです。
 要するに、グローバリゼーション時代の協同組合の行き方をどう見るのかということ、共生社会をどうつくっていくのか、その中で協同組合はどういう役割を果たすのかということです。大会議案は「『農』と『共生』の世紀づくり」の旗を掲げていますが、その具体化についても十分に語っていただければと思います。
 最後に農業・農村が元気を出すにはどうしたらよいのかという励ましのご意見もいただきたいと思います。では生協サイドから見たお話をお願いします。

◆行過ぎた市場主義

田代洋一氏
たしろ・よういち
昭和18年千葉県生まれ。東京教育大学文学部卒。博士(経済学)。昭和41年農林水産省入省、50年横浜国立大学助教授。現在は同大学大学院国際社会科学研究科教授。主な著書に『新版 農業問題入門』(大月書店)、『「戦後農政の総決算」の構図』(筑波書房)、『集落営農と農業生産法人』(同、近刊)など。

 河野 今は行過ぎた市場主義が世界的規模に広がり、貧富の格差が広がっています。それに営利第一主義で、しかも短期主義です。米国中心の経済システムは短期主義で日本の文化風土に合いません。それに対して本来の協同組合は、その問題を解決すべき考え方を持っているのです。
 だから全農改革委員としての私は手始めにICA(国際協同組合連盟)の「協同組合の価値と原則」を全委員に配ったりもしました。そこには、協同組合は人々の生活を豊かにするために社会的責任を負わないといけない、発足の時から社会の保護者にならなければならないと明快に提起されています。だから今ごろ、社会的貢献を大会議案に掲げる必要はありません。
 こうした価値観がどこかでなくなっているのは生協事業でも同じです。だから大会議案を読んで協同組合は何を目的にしているのか、これが不鮮明だと感じました。NPOも含めて非営利組織がどれだけ活動を活発化して社会を担っていくのか、議案でははっきりいってそこが見当たらない。これが一番問題です。
 協同組合の基礎は組合員主権です。個々の組合員が自分たちの生活を良くするために人々と協同して何を目的に活動するのかといえば、それは事業であり、地域社会での助け合いです。だから組合員主権という概念をはっきりさせなくてはいけません。
 もう1つ、私は協同組合の1番の武器は情報公開だ、これが企業との決定的な違いだとといい続けてきました。営利目的ではないからデメリット情報すら公開すべきだといっています。
 とはいっても市場の仕組みの中では競争が第一義的になるからデメリット情報を出すのは難しく、指摘されてから出すことになる。しかし、この考え方では私はうまくいかないのではないかと思います。残念ですが、大会議案にも情報公開の言葉はあるが、何のために公開すべきなのか、という指摘はありません。

◆力なきものの結集を

 田代 確かに農協が大規模農家への資材供給価格を公開しないで直接取引きをするなどといったことになると組合員の不信を招くことになるから、情報のオープン化はそういった点でも大事ですね。では次に内橋さん、大会の特徴や問題点についてどう見られますか。

 内橋 何よりもいま協同組合の存在そのものが軽んじられています。が、それだけではなく、「協同組合敵視政策」がとられている、という現実について、当の協同組合のリーダーたちにその認識がほとんどない。そこにこそ真の危機があると思います。
 私はかねて“協同組合の幻想”という言葉で、そうした現実を訴えてきたつもりです。「協同組合」を担うべき当事者に、時代の核心への「気付き」がなく、協同組合という、聞こえのよい「仲良しクラブ」のなかに逃げ込んでいるのが現実ではないでしょうか。
 基本的なことですが、協同組合の本質、原点とは何か。第1に、力なきものの力を結び合わせること。「ザ・パワー・オブ・ザ・パワーレス」、つまり「力なきものの力を結集し、そうすることによって真に力ある存在になること」、ここに原点があると考えます。
 協同組合の本質、原点の第2は何か。それは新たな「公」を創造していくことです。世界市場化、私は敢えてグローバライゼーションと呼んでおりますが、世界中を同一の価値基準で普遍化しようとするグローバル化。その奔流の中で大きく失われていくものこそ「公」だと知るべきです。宇沢弘文さんの言葉でいえば「社会的共通資本」。だれの私有でもない「公共財」ですね。人間が生きていくうえで欠かせない、基本的生存権に属するような水とか空気、景観、さらに制度、政治知性など。それらは本来、だれのものでもなく、まさに社会に生きる人びとすべての共通資本です。それがいま例外なく「企業化」されていきます。これを私は「公共の企業化」といってきましたが、協同組合こそは、これに対決して、削り取られた「公」に代わる「新たな公」をすさまじい迫力をもって創造していかなければなりません。ところが、現実の協同組合に「新たな公」を創造する力、使命感など、もはや望むべくもないでしょう。認識すら不在なのですから……。
 第3は何か。最も重要な指摘をさせて頂きますが、協同組合はまさに「使命共同体」の担い手であるべきだ、ということです。利益共同体でもなく地縁共同体でもない、「第3の共同体」です。使命を同じうするものによる第3の共同体づくりを目指すことこそ、本来の協同組合という存在の意味だと思います。
 グローバル化・マネー資本主義・世界市場化の奔流の中で敢えて協同組合に意味があるとすれば、いま話しました「3つの使命」を追求し、そのことによって新しい「社会・経済モデル」を築くこと。協同組合の本質、使命、原点を見つめ直し、学び直さなければもはや「協同組合」に未来はないでしょう。危機はそこまできている……。

◆追随をやめること

 内橋 私どもは世界中のさまざまな「社会モデル」を見てきましたが、いま、世界市場化の中の資本主義は明らかに行詰まりにさしかかっています。新自由主義による蹂躙に遭って地獄に落ちたラテン・アメリカの国々、しかし、いまそれらの国々で新たな「社会モデル」が誕生しつつあります。たとえば「成長」と「公正」の両立する経済モデルをめざすブラジル、チリその他。アメリカの裏庭と呼ばれた国や地域で何が始まっているか、協同組合の人びとは関心をもったことがあるでしょうか。
 こうした視点から日本の協同組合について、少し厳しい話をさせていただきましょう。私は日本の協同組合は「3つの後追い」に終始しているのではないか、と思います。
まず第1に「行政の後追い」です。「改革」なるものを叫びつづけた小泉政権は、実際には、新たな、次の、もっと深刻な「構造問題」を生み出しました。協同組合はそのような行政の「後追い」に狂奔してきました。小泉改革が生み出した新たな構造問題は3つありますが、それは後ほど話します。
 第2に、現実に協同組合がやっているのは「市場の後追い」です。進む世界市場化の奔流に漂いながら、いかにその「市場化」に適応するか、を競い合っているように見えます。
 第3に、イデオロギーとしての新自由主義、ネオリベラリズムへの「後追い」です。自らを滅ぼそうとするイデオロギーに、懸命になって適応しようとしている。ほんとうに必要なものは、適応ではなく、主体的な「対応」でなければなりません。
 こうした状況を、率直に認めるならば、いま協同組合のリーダーたちに求められるものとは何か、ごく自然にお分かり頂けることでしょう。
 共通の認識、合意を形成し、そしていまこそ、大きな声を上げるべきときではないでしょうか。それにふさわしい「ポリシー・インテレクチュアル」(政治知性)こそ、時代が求めているものの核心です。

◆広がる新自由主義

 内橋 農業について申しますと、いまやどこへ行っても、協同組合自ら「担い手育成」だ、「集落営農」だ、の大合唱です。「行政の後追い」に狂奔する自らの姿に、いささかの疑問も感じないのでしょうか。「圧縮された新自由主義」の急進した日本に固有の、なんとも異様な社会現象といわねばならないでしょう。「農業者の選別」に加担する協同組合など本当にあっていいのでしょうか。
 韓国経済はかつて「圧縮された成長」といわれました。これにならえば、日本では非常に短期間に「新自由主義的経済政策」が主流となり、徹底して行われるようになってしまった。このため他の諸国にくらべて、抱え込んだ「歪み」もまた大きいのです。
 これまで何度も指摘してきたところですが、日本における「雇用・労働の解体」は異常なスピードで進んでしまいました。いまハイテク工場の現場では実に4種類の労働者(正社員・準社員・アルバイト・パート)が同じ空間のなかで働き、しかし、同じ労働なのに社会保障も含む処遇はケタ違いです。
 農業協同組合がこのようなシナリオに追随して使命を果たすことはできるのでしょうか。これでは使命共同体を目指す協同組合などとはいえないでしよう。社会も、消費者も、そのような農協の本質をよく見抜いているのです。
 全農は「選択」と「集中」という言葉を使っておりますが、これらの言葉そのものがアメリカ発です。けれども、企業社会では単なる選択と集中などとはいいません。何のために事業領域を選択し、集中するのか、といえば、それは新たなフロンティアを切り拓くためです。開発を抜きにした選択と集中であってはならないと思います。
 このような「市場の後追い」では価格競争力の優劣しか論じることができなくなります。市場経済に包囲され、他のセクターと同じ土俵に協同組合も引き上げられてしまう。相手の土俵に引きずり上げられたのはなぜなのか。協同組合のリーダーは、いま自らに厳しく問うべきときではないでしょうか。
 「新自由主義の後追い」の結果、政治における「超保守主義」、そして経済における「新自由主義」、この二つが重なり合って、06年以降の日本社会は進んでいくでしょう。その先に何が待っているのか。 私たちは「“シカゴ・ボーイズ”が牛耳る日本経済」(ミルトン・フリードマンに代表されるシカゴ学派)といっているのですが、かつてチリをはじめラテン・アメリカの国々を破綻に追いやった同じ政治手法、経済政策が日本経済をさらに色濃く染めていくことでしょう。このような事態に対して協同組合はどう対抗していくのか、それが問われていることの本質だと思います。
 いま、日本は食料自給率を上げよ、と叫びながら、他国に対して、たとえばタイのようにコメを主食とする国に対してまでコメ輸出を奨励しようとしています。小泉前首相は農業関係の会合にただの一度だけ顔を出したことがあります。それが、なんと農産物輸出を奨励し、促進する会合でした。農協関係者がなんの疑いももたず、これからは農産物輸出だと叫び始めた。WTOでは、自国の農業を守るのだ、と主張し、他国に対してはコメ輸出もいとわない。タイの農民と連帯する日本の農業者を私は知っています。中古のミシンをタイに無償で贈る運動をつづけている農民たちです。
 互いに「よきもの」は交換しましょう、という輸出入なら、それは結構です。けれども、相手国の農産物生産者を窮地に陥れることもいとわない輸出奨励を、日本の協同組合は率先してやろうとしている。食糧、エネルギー、ケアの自給圏をいかに守り、地域社会の真の自立を果たしていくか、この重要な使命感を地に捨て、商売にさえなればいいのだ、と。

◆ほしい理論的指導者

 内橋 新自由主義イデオロギーにからめとられた協同組合だから、総合農協解体論が声高に叫ばれるようになってしまったのです。規制改革・民間開放推進会議などは見事にそこを衝いています。全農解体論にどう対抗するのか。いまのリーダーたちに「対抗思潮」を生み出すことは可能なのか。そう問わずにいられない。
 地方を歩き、零細な農業従事者たちがどのように追い詰められているか、私は目の当たりにしてきました。「いったい東京は何をしているのか」と厳しい批判の声をナマで聞いています。理論的な指導者が全国、地方を問わず、いまほど求められている時代はないのではないでしょうか。「事業性」とともに協同組合にふさわしい「運動性」を力強く回復していってほしい、そう望むわけです。

 田代 お2人から、高い使命感、公共性や共生の理念に照らして現実の協同組合はどうなっているのかというご指摘をいただきました。ではそういう理念に向かって、その第1歩になるようなお話を河野さんにおうかがいしたいと思います。(「鼎談 協同組合の本質を語る(2)」へ続く

(2006.10.13)


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