戦後60年、さまざまな大闘争、大運動があった。例えば安保闘争、公害反対運動など。今後はどうか。もし下からのエネルギーを再び噴出させるような大国民運動が起きるとすれば、そのテーマは地球環境問題だろうという。市場原理主義が横行し、地球の危機が迫るなか、座談会ではそうした予見が語られた。だが規制緩和、競争激化、市場原理主義の徹底の中で農政の大転換に直面し、元気を失っている農協人も多い。このため「農と共生の世紀づくりを実現する」活力を呼び覚ますために、この座談会では稲作文明のルーツから説き起こし、アジアを見渡す連帯の視点、そして環境問題とさまざまな切り口で「共生」を語ってもらった。 |
◆虫の声は健康に良い
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かけはた・みのる
1939年東京生まれ。65年早稲田大学大学院文学研究科史学専攻卒。77年麗澤大学教授。中国古代史、比較民俗研究。著書に「宇宙の心・自然の心」(モラロジー研究所出版部)、「聖樹と稲魂」(近代文芸社)など多数。 |
――新たな農業構造改革が加速する中で、農業はもっと経済合理性を追求しなさいとか国際競争力をつけなさいなどといわれていますが、それらは一種の幻影を追うようなものではないかとの感じがします。安田先生のお考えはいかがですか。
安田 経済合理性を追求して反収を上げるには農薬を使って害虫をなくす必要があり、使えば水田の生物は全部いなくなります。米さえ穫れれば、生きとし生けるものの、すべてを排除してもよい、それが人間にとって最高の幸せになるというのが今の市場原理主義に支配された考え方です。
それは完全に間違っているということがわかってきました。例えばカエルとか秋の虫の鳴き声は私たちの命の維持に深く関わっていることが最近の脳科学の進展でわかってきたんです。
人間の聴覚がとらえる音は20キロヘルツくらいですが、カエルや虫の声は130キロヘルツほどの高周波を出しており、人間はそれを膚でとらえます。
そのことが脳幹を刺激して脳内物質を出すのですよ。その中にはガンを殺す細胞を活性化させるような物質とか、あるいは心を穏やかにする物質、血液中の免疫率を高める物質などが含まれているというのです。
虫の声がストレス解消などさまざまな効果をもっていると知って私たちは驚きました。経済合理性からすればカエルなどはどうでもよいのですが、実はその鳴き声は人間の健康にも関わっているのです。だから経済合理性だけを追求すると人間の命を危険にさらすことになりかねません。
また農薬でコイやナマズやフナがいなくなった水田は、地球温暖化ガスであるメタンガスを発生させます。生き物がいれば有機物を食ったり、その動きによって酸素が供給されてメタンが減ります。だから農薬の使用は地球温暖化に“貢献”する結果となります。経済合理性の追求だけでは生きていけないのが21世紀です。農業のあり方も根本的に改める時が来ています。 ◆農薬被害増える中国
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やすだ・よしのり
1946年三重県生まれ。東北大学大学院理学研究科博士課程退学。理学博士。94年より国際日本文化研究センター教授。京都大学大学院理学研究科教授などを歴任。著書に「気候変動の文明」(NTT出版)、「長江文明の研究」(共著、新思索社)など多数。 |
――1992年、リオデジャネイロの地球環境サミットで地球温暖化と生物多様性の2つの問題で国際条約が締結されましたが、生物多様性のほうはまだ意味がよくわからないままで今日に来ているというふうに理解してよろしいのですか。
安田 はい。人間は地球の中の命の連鎖の中の1つに過ぎないのです。人間だけがのさばろうとしても、のさばり切れないのです。
――農業の多面性という言葉も以前から使われていますが、当初は多面性の意味が実感できないきらいがありました。先生のお話のように身の回りから農業を見ていく視点に立てば多面性が実感できると思います。
さて中国によく行かれる欠端先生におうかがいしたいのですが、中国でも農薬や化学肥料を多用する農業が増えてきているといいます。最近の状況はいかがですか。農薬は野生動物などにも被害を広げる点で中国も日本に似てきたように思います。
欠端 中国では農薬の残留被害が大問題です。資料によりますと年間10万人以上の中毒被害者を出していると報道されていますから実際にはもっとたくさんの患者がいると思います。
中国もようやくグローバル経済の中に組み込まれてきて、世界の食料庫として、とにかく商品作物を作ればよいという観点でどんどん農薬を使い、許される範囲も超えて使っています。市場に出回る野菜類のほぼ半分が農薬浸けという事態になっているらしいのです。
その結果、それを食べた人が病気になっているのですから当然、人間以外の動物にも同じように被害が及んでいると思います。
私は経済のことは知りませんが、安田先生が強調されたように今は命を見つめるということが極端に欠けていると思いますね。
「朝、食事をする時に『いただきます』といいますか」と大学生に聞くと日本人学生はぽかんとしていますし、外国人の学生は「それはお米を作った人にいうお礼ですか」と問い返してきます。
私は「お米って商品じゃないよ。命がこもっているんだよ」といいますが、そこまで考えられる若い人は少なくなっちゃいました。 ◆多くの命いただいて
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はら・こうぞう
1975年全農入会。農畜産物検査・認証事務局長、大消費地販売推進部次長、田んぼの生きもの調査プロジェクト代表を歴任、2006年より現職。著書に「新しい証券市場の創設と環境資産管理」(共著、日本計画学会)、「これからの農協産直」(共著、家の光協会)など多数。 |
欠端 麗澤大学の学生はほとんどが大都市出身です。田植えから稲刈りまで、何度も天候の変動にやきもきしながら命の成長過程をずっと見つめていくといった経験は持っていません。だからお米への関心は薄いのですが、もしも、お米の1粒1粒が命を持っているということになれば若い人たちの見方も違ってきます。
そこで私は農業者や農協が、その辺の情報をもっと“物語”として消費者や市場に発信してほしいと思います。野菜や果物も含めて、ただ出荷するだけでなく物語として送り出せば、命あるものだということが若い人たちにもわかります。
米が病気になれば人間も病気になるんですよ。中国は正にそういう状況です。やはり私たちは人間以外の多くの命をいただきながら、自分を生きながらえさせているのです。だから周りの動植物の命が健康でなければ私たちの命も保てません。
――『いただきます』という言葉は中国語にも英語にもありません。知っている限りでは韓国語にあるだけです。ほかの国はどうですか。『ごちそうさま』は中国にもありますが。
欠端 解放前の中国のあいさつは『お前、めし食ったか』でしたが、しかし『いただきます』とはいわないですね。
――朝鮮半島の人々とはウラル・アルタイ語系の言語も、文化もつながっているから『いただきます』も共通なのかなと思いますが、日本、朝鮮、中国の共通性についてはいかがですか。
安田 古来、韓国の南のほうの百済、新羅、任那は中国の長江流域の文化と深い関係がありますが、高句麗は北方系です。
だから『いただきます』といったような伝統とか、欠端先生の今の研究対象である聖なる樹の崇拝といった伝統は長江流域の稲作漁撈社会でまず生まれたのではないでしょうか。
現代の文明を支配しているのは畑作牧畜型と私がいっている文明で、それは小麦を作り、パンを食べ、ミルクを飲むようなライフスタイルに立脚しています。 ◆資源収奪型との比較
安田 畑のほうには生物多様性が少ないが、水田には多いという違いがあります。中国人は水田やため池の淡水魚をたん白源にしていましたが、今や日本の刺身の味を覚えて海水魚を食い始める一方で肉食も増えています。
中国人がちょっと食い始めたというだけで地球上の生態系がね……。海の魚が激減しています。だから水田のタニシやドジョウを食べてたん白質を補わないと生きていけない時代が目の前に来ているという感じがします。
――ヨーロッパでは畑作牧畜型という資源収奪型の農業をせざるを得ない環境をベースに世界観が形成され、産業革命後は自然を管理するという発想も強まりました。戦後多くの日本人はそうした価値観を当たり前のことだと思い込んでいますが、そこをどう考えればよいのか、解説いただければと思います。
安田 人間が生きるのに必要なたん白質を何に求めるかによってライフスタイルと農業のあり方が根本的に違ってきました。
乳や肉やバター・チーズにたん白質を求めた場合、飼養するヒツジやヤギが草を食い、あたりをはげ山にするという自然を収奪する粗放な農業が展開されます。だから牧草地の面積を次々に広げなければならず、結局それは他人の土地まで奪うという拡大型農業となります。
畑作も麦は雑草の生えない冬に成長するから手間がかからず、生産意欲のない奴隷任せでも作れる粗放的な農業でした。畑作牧畜型農業では牧草地と畑地が広がるとともに周囲の森林はどんどんなくなりました。 欧州や米国の文明は一方的に大地からいかに多くの資源を収奪するかの方法を考えました。最初は奴隷、次は機械、それが産業革命となり、今は森林に代る地下資源として化石燃料を収奪しています。
ところが私たち米食の日本人はたん白質を魚に求めました。魚には川の水が不可欠であり、それには水をかん養する森林を守る必要があります。そうして生態系を循環的に維持して生きてきました。
◆新嘗祭の儀礼に着目
安田 しかも稲作農業は麦作のような単純労働ではなく、そもそもが水田を造ることからして大変です。水田はどこにでもできるわけではなく、無闇に拡大できないから、小さい面積の中で持続的に生きていかなければならず、そのためにはみんなが仲良くしなければなりません。
このため閉鎖的な空間の中でお互いが気持ちをいたわり合いながら、そこそこの満足を維持していくという優しい社会をつくるノウハウも蓄積しました。
――単一民族は別として多民族がいる地域でもみんなが仲良くしていく知恵を発揮している所が中国の雲南地方にあると欠端先生は報告しておられますが、それ以前にも長江流域にそうした社会があったということを含めてお話願えますか。
欠端 稲作の起源は難しい問題ですが、今残されている姿から多分こうではなかったかと想像することはできます。
その点で日本でも今に残されている新嘗祭(にいなめさい)が1つ重要です。戦前の11月23日は新嘗祭と呼ばれる祭日でしたが、今は勤労感謝の日と名前が変わりました。しかし今も天皇家による祭儀を中心に各地の神社などに残されています。
宮中では新穀を神に供え、天皇もこれを食するという儀礼です。昔は全国すべての農家で同様の儀礼を行っていたのですが、今はすたれました。
ところが雲南では今も各農家がやっています。それを見せてもらって私はこういうことを日本でも復活させなければだめだなと痛感しました。それは精神的な復活でよいのです。
雲南では初穂を刈ってきて家にお迎えし、神棚と称する所に懸けるのですが、その初穂は非常に大事にされます。それは単なる植物ではなく家族なんです。最近わかったのですが、実は神棚は母親の化身なんです。そんなこともあって多くの家ではおばあさんの部屋に神棚があります。
初穂は来年の春には田んぼに戻りますが、要するにご先祖と家族とお米は結びついているのです。日本の場合も天皇が新しいお米の命をいただく。それは同時に祖先神である天照大神の命を受け継ぐことであるという形ですが、それは雲南の人々の素朴な考え方と奥深いところで通じ合っていると思います。
◆雷が鳴ると実が成る
欠端 お米生産に携わる人たちはそういう古来からの文化を担っているのだということを、もっと一般にアピールし、教えてほしいと思います。出荷したらそれで終わりということでなくてね。
対馬(長崎県)には古代米の赤米栽培が伝わっていますが、いつのころから続いているのか誰も知りません。遠い昔のご先祖さんが植え始めたのだろうということで今も少量ながら絶やすことなく作り続けています。
農家にはもし栽培を途絶えさせたら大変なことになるという思いがあるとのことです。それは“米は家族だ”というような雲南に通じる意識をかすかに残しているからだと思います。
――お赤飯の原点は赤米ですよね。小豆を混ぜるのは、ずっと後の時代からです。
欠端 そうです。それからね、雲南では初穂を飾って、新米を食べますが、外来者には食べさせません。家族だけで食べるのですよ。家族と米がそれだけ一体化しているのですね。もっとも村の長老で徳の高い人に同席してもらうことはありますが。
――先生の著書に出てくる稲霊(いなだま)というのはどういうものか教えて下さい。
欠端 雲南などのハニ族が信仰しています。空中を浮遊している稲魂が稲に宿らないと実がつかないと信じているのです。日本でも雷が鳴った晩に稲が実るという伝承があり、そこから雷を稲妻といいます。
稲魂は初穂に宿っていますから、雲南では新嘗の日には初穂を家の中に祀ると同時に米蔵にもお祀りします。向こうの農家は住居と米蔵が別棟になっており、日本の内宮と外宮が分かれているような形になっています。
その人の心が汚くなると稲魂が逃げちゃうともいわれます。逃げられたら食うものがなくなります。だから稲魂の存在を確信する人は悪いことができません。ハニ族の人はよくバカだともいわれますが、稲魂を信じていますから非常に実直です。
しかし新しい技術が導入されて化学肥料や農薬や農機があれば米は作れるんだ、稲魂などは関係ないなどといい出すと、やはり自分本位の生活、もうけ本位になってきて、実直な考え方は怪しくなってくるんではないかと思います。
◆稲魂(いなだま)は釈迦より偉い
安田 欠端先生の著書には稲魂とお釈迦さんが争ったという面白い話もありますね。
欠端 稲作漁撈民であるタイ族にとって一番大切なのは稲魂でした。ところが仏教が入ってきて、お釈迦さんとどっちが偉いかという争いになった。しかし結果的にはお釈迦さんが降参してしまい、稲魂が上ということになった、という話です。現在では稲魂も信仰するし、敬虔な仏教徒でもあります。
安田 木造の物体に過ぎない釈迦像よりも、命のある稲の魂のほうが優位であるという哲学はすばらしいと思います。
欧州の王侯貴族は麦作を奴隷に任せ、労働はしませんでした。日本では古代から稲作漁撈社会のリーダーである天皇自らが田植えをし、今も宮中で田植えの儀式が続いています。これは自然の恵みを作り出すために自らのエネルギーを大地に注ぐことは、聖なる営みであるというすばらしい労働観です。
畑作牧畜型社会ではそうした労働観はなかったのですが、16〜17世紀にピューリタンの人々が労働は聖なるものだなどという新たな労働観をつくり、これが資本主義や市場原理主義を生み出し、人類は繁栄しました。しかし、それが今、地球環境問題を引き起こし、私たちは大きな危機に直面しています。
これをクリアできるもう1つの新しい観念は、稲作漁撈民が古来から持っている労働観を再認識して、私たちのエネルギーを大地に投入し、そこから豊かな産物を生み出すことに最高の価値を置くような労働観です。
21世紀は、これに立脚した新しい文明社会をつくっていかなければならないと思います。
――そういった意味でいいますと、ピューリタンの心を持ったマッカーサー(連合軍司令官)が戦後日本の占領政策をやり、憲法をつくりながらさまざまな価値構造を変えました。その中で戦後の学校教育では日本の神事とか稲作が持っている意味とか、また古事記や日本書紀も教えてこなかったわけです。
このような教育体系の中で育ってきた日本人は今、何かがおかしいなと思いながら市場原理主義が環境問題を引き起こしたことに気がついていないのです。
(「座談会 その2」へ続く)
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