農業協同組合新聞 JACOM
   

特集 「食と農を結ぶ活力あるJAづくりのために2008」


特別対談  徳川300年の歴史に学ぶもの その1

日本型経営思想は江戸時代に熟成された

藩政が生んだ特産品にも脚光を当てながら地産地消の推進を

財団法人徳川記念財団理事長 徳川恒孝氏
JA全農代表理事専務 加藤一郎氏


 徳川幕府は17世紀から全国的な治水工事を行った。施工を命じられた大名たちは戦国時代から蓄えてきた軍事予備費を工事費に当てた。軍事費の民政への転用である。その結果、農業は飛躍的に向上し、人口も増大した。「江戸の遺伝子」はそうした現代への示唆に富む歴史を物語る。著者の徳川氏はJA全農の加藤専務との対談で現代の農業についても興味深い話題を紹介した。また江戸時代の諸藩による特産品開発とか優れた資源リサイクルなど、話題は400年の時空を超えて、にぎやかに展開した。

◆米国型経営VS日本型経営

徳川恒孝
とくがわ・つねなり
1940年生まれ。63年から徳川宗家第18代当主。学習院大学政経学部政治学科卒業。日本郵船副社長を経て顧問。財団法人徳川記念財団理事長。
「江戸の遺伝子」 副題は「いまこそ見直されるべき日本人の知恵」。PHP研究所07年発行。

 加藤 徳川さんの著書「江戸の遺伝子」を読んで感銘しました。特に江戸時代の仕組みなり、知恵から学ぶということはどういうことであるのか、今の都市と地方の格差を含めて、今後の農業のあり方などに非常に含蓄のある話があると思います。
 私も異業種の方々と、よく対談させていただきますが、徳川さんとの対談など世が世ならちょっとあり得ないことで、私の先祖もさぞはらはらしているのではないかと思います。
 徳川さんは日本郵船の副社長を務められましたが、徳川宗家18代当主であるということからのエピソードも数多いと思います。本の中には加賀百万石前田家の当主との話が出てきます。
 徳川 いやぁ、伝説を紹介してしまって(笑い)。前田さんは日本郵船社員時代の5年先輩です。たまたま同じ部に配置された時期がありましてね。随分昔ですが、人を怒鳴ることで有名な副部長がいまして、「前田!徳川!ちょっと来い!」などと呼びつけたのは太閤様以来おれだけだ、といっていたとのことです。
 加藤 企業理念の話になりますが、日本では戦国時代に生まれた領国経営の思想が江戸時代に熟成され、それが近代以後の企業経営者の理念につながってきたと書かれています。ところが、そうした日本型の経営思想が変わりつつあります。
 徳川 そう、急速に米国型に変わりつつありますね。
 加藤 徳川さんは米国駐在もされていました。私も1980年代の後半に米国に駐在しました。JA全農がフロリダ州で米国の会社と合併事業を組み、リン鉱石の採掘事業を始めました。私は副社長として派遣されました。
 びっくりしたのは、まず食堂やトイレなどがオフィサー(経営者層)と従業員で完全に区分けされていたことです。
 また現場に入って実態をつかむため従業員と親密に話し合っている私に対して、ほかのオフィサーから「現場従業員と余り深く付き合うな」とアドバイスされたことです。
 リン鉱石の相場が下落した場合は会社は従業員をすぐレイオフ(一時帰休)するため、従業員家族を含め親しくなったりすれば人情もからんで決断がにぶるだろうというわけです。そんなことで会社としての一体感がなかなか醸成されなかった。米国では従業員がコストとしての意味が強かった。

◆日本型はボトムアップ

JA全農代表理事専務 加藤一郎氏
JA全農代表理事専務
加藤一郎氏

 加藤 日本型経営ではミドルマネージメント、ボトムアップ、そこのところが活性化されていて、さらに家族主義があります。これに対して米国型はとにかく“ボスに逆らうな”です。トップダウン、パワー、経済合理性です。
 80年代に日本型経営がもてはやされた時期がありましたが、その後は日本型も“失われた90年代”と称されました。
 江戸時代とのつながりで徳川さんは日米の経営思想を比較してどう思われますか。
 徳川 私は米国に2回行きましたが、2回目はトップで行き、部下は1000人ほどいました。チェアマンCEОになりましたが、初めのうちは、これくらい居心地のよいイスはなかったですね。
 社員からは「イエス、サー」の答えしか帰ってこないのですから。西欧の会社ではボスの権力は絶対です。部下からの報告はすべてボスに集中し、命令は細かいことまでボスから降ろします。
 しかし、そのうちに地獄のようなことになりました。というのは、みんな私がいった通りのことをやって、成功しても失敗してもリポートを集中してきますからべらぼうに忙しいのです。
 また意思の疎通がうまくいっていなかったり、まったく土壌が違うものですから、私のいった通りにならないのです。それがみんな私の責任になります。
 それに支えてくれる人たちもいい気なもんです(笑い)。ボスがいった通りにやって、失敗したのだから、それはボスの責任だとするのです。だから米国の経営者は大変です。
 日本なら、あれをやりたい、これをやりたいとボトムアップで、もみにもんで上がってきます。米国にはそれがないもんですから決定は非常に早い。ですから天才的なCEОがいれば、市場への対応が他社に比べて半年も1年も早くなります。そこはすばらしいと思います。
 というわけで米国のプロの経営者は今、上場企業のチェアマンCEОの平均で給料が10億円を超えているといいます。そういうプロに経営を任せて、あとの者はぼうっとしている形です。
 米国の人口は約3億人ですから、トップに出てくる人は相当のやり手です。しかし、いったんチェアマンが代わると、それまで巨額の投資をしてきた部分でもがらっと代わるんですよ。全部捨てちゃってね。また新しいことをやるのです。
 だから従業員は人間としてよりも一種の機能として見られ、すぐクビになります。また従業員のほうも平気で次の会社へと移っていきます。

◆「情けをかける」日本型経営に自信を

 徳川 これは文明の違いだと思います。古代のギリシアにしてもローマにしても奴隷をベースにした社会でした。ポリス全体の2〜5%の人々だけが民主主義を享受していました。その下にいる95%は奴隷だったのです。
 これに対して日本は先祖代々の田畑を守って農耕を続けてきました。でなければ例えば、あんなきれいな棚田なんてできません。親も子も労力と能力を田に注ぎ込んできたのです。
 西欧の文化とどっちがいいのだろうかと考えますと、私は日本人ですから日本文化のほうが良いと思います。また企業経営にしても日本型のほうが結局勝つだろうといつも思っています。
 私たちの世代に米国の大学を出て米国の企業に入った人たちに聞きますと、口をそろえて日本型のほうが良いといいます。
 グローバリゼーションだから、いろんなことがアングロサクソン・スタンダードになっていくのは仕様がない面があるんですが、しかし優良企業といわれている会社は決して、そういうやり方はしておりませんね。やはり昔からのやり方を守って部下を育てています。そういう発想はどうも戦国時代に生まれたものであろうと思っています。
 加藤 「江戸の遺伝子」にも戦国時代を書かれていますね。
 徳川 戦国時代の前までは公卿や寺社などの荘園領主はみな京都に住んでいて、地方の生産者とは離れていました。アングロサクソン系の会社で経営者層と現場が離れているのと同じです。
 戦国時代になって初めて領主が生産現場にいて領地の能力を高めないと戦争に負ける、領国を富ませないとダメだという現実に直面しました。そこで領主たちは必死になって領民対策をやるんです。家来や百姓には「情けをかけよ」といった各領主の家訓が残っています。
 日本型経営はそこをルーツに江戸時代265年間をかけて熟成してきたと思います。だから日本型は、恥ずかしい、なんていうよりは米国型に比べて、よりベターな経営思想だと思います。
 加藤 米国の会社は単年度に出す利益で評価されます。日本型経営の本質を考えると、先ほど、「領民に情けをかけよ」とおっしゃったように社会的貢献も重視する農耕民族型の遺伝子があると思います。
 徳川 向こうは「個」が強いですね。日本はやはり「集団」型です。どちらを良しとするか、今だったら半々くらいじゃないでしようか。いずれにしても日本型経営にはもう少し自信を持ってよいと思います。

◆「一富士二鷹三茄子」

 徳川 日本の会社がまだ年1回の決算のころ、米国人は「日本の会社はいいな。こちらは四半期決算で3か月ごとに叱られているよ」とか「こちらの長期プランは半年間だが、日本のは5か年だね」と笑っていましたが、私はいまだに日本型の発想のほうが絶対強いだろうと思います。
 加藤 経済合理性や市場原理主義の中で棚田で作った米は価格競争に勝てません。しかし歴史を見れば、江戸時代の農民は藩領を越えて田を開けませんから、条件が悪くても領内に棚田を開いて米生産を増やしてきました。それは収奪型でなく、自然と共生していく農業でした。そうした観点で日本農業をどうとらえるかは、きわめて重要なことだと考えます。
 徳川 高齢化が進んでいる小さな集落がこれから生き残っていけるのか難しい問題です。棚田米を含め全体として米の競争力がないのは明らかです。
 大ざっぱな話ですが、非常に付加価値の高いものを少量多品種で作って輸出産業に持っていけないものか、どうでしょうか。
 この前、米国で緑茶を販売している現地法人の米国人社長から聞きましたが、最近ニューヨークの一流レストランが日本茶を出すようになったそうです。料理の最後に出るのがコーヒーまたは紅茶だけでなく、煎茶も選べるようになったのです。こうした輸出を他の品目にも広げられるのではないかと考えます。
 話は変わりますが“一富士二鷹三茄子”のナスビは静岡の折戸という所の特産です。普通の品種よりもぐんと早く獲れるので江戸時代には大いに珍重されて1個1両もしたといいます。このため駿河で1番高いものとして富士山と空飛ぶ鷹の次に数えられ、それが験のよい例えに転化したとの話です。
 明治以後、生産が途絶えましたが、農業試験場に種が残っていたため最近復活し、今ブームになって1個300円ほどするそうです。それにしても最近の野菜は形や色がみなそろって同一規格のようになりました。もっと地域差のある個性のあるものができないものでしょうか。
 加藤 生産コストを1番引き下げられるのは大量生産・同一品種です。いい種、いい苗を作ると市場は、それに席巻されることがあります。一方、その中で京野菜や加賀野菜のような伝統野菜は大量生産できません。このように個性を持った多品種少量栽培が今後重視されてくると思いますし、その作り手としては定年後の帰郷者も考えられます。
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(2008.1.10)

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