各地の学校給食で米粉パンが多く使われるようになった。まことに喜ばしいことだ。これは地産地消という見方だけでなく、食糧政策の基本に据えるべき自給率向上の視点でも評価すべきだ。
食糧政策では「消費者は神様」ではない。私たち戦後に生きた者は、パンの普及という食糧政策に乗せられて、それまで「代用食」だったパンをご飯の代わりに食べるようになった。それまで「神様」である私たちは、ご飯こそが食糧だったのである。しかし当時の食糧政策は「神様」の嗜好に逆らってパンを食べさせようとし、国を挙げてこの政策を推進した。そして見事に「成功」した。学校給食でパンを使ったことが、成功の大きな理由だった。(筆者はこの政策を全面的に肯定している訳ではないが、この点はここでは述べない。)いま、この経験を教訓にして米粉パンの普及を計っているのだろう
一つ気がかりなことがある。それは「小麦粉のパンに少し米粉を混ぜても食味は落ちない」という消極的な評価である。この評価には、いま食べているパンが一番旨いという食の嗜好の絶対視がある。このことが誤りであることは、前に述べた戦後の食糧政策が動かぬ事実で証明している。食の嗜好は風土的に、つまり自然条件だけでなく歴史的社会的に、従って政治的に決められるのである。
フランス人は、パンといえばフランスの風土の中で育った小麦の固いフランスパンのことで、アメリカの小麦で作った白く軟らかでふわふわしたパンはパンではないという。また北欧では、地元のライ麦で作った黒パンこそがパンなのだ。
同じように、日本の風土に適合した米粉パンを日本のパンにすべきだ。そうした意気込みで「神様」の嗜好を変え、「国策」として普及することを期待したい。これが食糧自給率向上への正道である。
(前回 構造改革は高齢者イジメだ)