米だけではない。日本の穀物は、すべて国際競争力を持っていない。日本だけではない。隣の韓国も同様である。表で示したように、日韓両国の穀物自給の状況はよく似ている。穀物全体の自給率は、日本は25%で韓国は27%である。先進国の中で最低の水準にある。
両国とも米は政治が支援しているので、自給率は高いが、他の穀物の自給率はきわめて低い。もしも米の輸入をもっと自由にすれば、米も自給率が下がり、穀物全体の自給率は10%以下になってしまうだろう。
このようになったのは、日韓両国とも穀物に国際競争力がないからである。何故か。
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両国の穀物自給率の低さ、したがって、国際競争力がない理由の根本には、両国に共通する風土的および歴史的条件がある。
日韓両国が位置する東アジア水田地帯の風土の特徴は、気象条件に恵まれた土地生産力の高さにある。それゆえ、かつては土地の人口扶養力が高く、1haで1家族を養うことができた。
この風土的条件は、10haで、ようやく1家族を養える欧州の土地生産力の低さ、という風土的条件とは全く違う条件だった。また、100haで、ようやく1家族を養える米豪などの新大陸諸国の風土的および歴史的条件とは隔絶した違いがあった。
このようにして、各国の農業は、その風土的条件に従って経営規模が歴史的に決まったのである。
そして、こうして決まった経営規模を持続させる技術的条件があった。すなわち、これまでの主要な農業技術の発展は、品種改良や施肥法の改良など、小規模経営でも大規模経営でも同じように有利な技術だった。
だから、農地を拡大できても、経営規模を拡大するのではなく、いままで独立できなかった二男や三男を独立させ、結婚させて分家させてきた。そして、本家も分家も幸せに暮らしてきた。その結果、経営規模は以前と同じ規模を持続してきた
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こうした事態に変化が起きたのは、経済発展に伴う労働の価値の増大である。このため、農業に機械化技術を持ち込み、省力化をはかった。この機械化技術は、それまでの技術とは全く違って、大規模ほど有利な技術である。
それまで、東アジアの小規模農業は、労働の価値が小さかったので、国際競争力を持っていた。ヴェトナムなどは今でも持っている。その一方で、日本や韓国などは、経済発展に伴い労働の価値が大きくなったので、農業に機械化技術を取り入れることになった。それ以後、日本や韓国などの農業は国際競争力を失った。
わが国の農業に、国際競争力がない根本的な理由はここにある。
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もち論、風土的条件が決定的で、国際競争力は永遠に持てない、という訳ではない。風土が歴史的に形成した経済・社会、その中での農業構造を変えることができない訳ではない。しかし、それには数世代にわたる歴史の積み重ねが必要だろう。
そのための青写真を、机の上の白紙に描くのなら簡単だろう。しかし、実現するまでの間、人びとは数世代にわたって生きてゆかねばならない。
それよりも、さし迫った問題がある。数世代もの長い間、待ってはいない。
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それは、地球規模での食糧不足の問題である。食糧の安定的な確保は、政治が果たすべき焦眉の最重要な課題である。だから、いまは気長に国際競争力の強化を促し、それに期待して食糧自給率の向上を図る、などしてはいられない。海外からの穀物の輸入に政治が介入して制限し、国内農業を振興して、食糧自給率の向上を図ることが急務である。
そのためには、食糧自給率の向上に貢献する全ての農家を、小規模農家も大規模農家も分けへだてなく、政治が手厚く支援すべきである。
もちろん、小規模農家は今のままでよい、という訳ではない。小規模農家の機械が不効率に使われていることは明らかである。機械の協同利用などを通じた協同化は、小規模農家の重要な課題である。この課題の解決を支援することも政治の急務である。
(前回 戸別所得補償制度の危うさ)
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