コラム

「正義派の農政論」

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【森島 賢】
原発の事故処理体制の無責任

 原発事故の後、40日経ってようやく避難地域の設定が決まった。
 政府は、農業者の神聖な仕事場である農地や、生活のための住居地に、勝手に放射能という毒をふり撒いて、仕事を奪うどころか、そこから立ち退け、という。
 漁業者の仕事場である海には、いまでも毎日放射能をばら撒いている。怒っているのは漁業者だけではない。隣国からも厳しい抗議を受けるなど、世界中から顰蹙をかっている。技術立国日本の栄光は地に堕ちた。
 その責任は、第一義的には東電にある、というのが政府の言い分である。だが、最終責任については、何もいわない。政府には責任がない、と言いたいのだろうが、そうはいかない。
 こうした危険な事業を認めたのは、政府である。だから、最終的な責任は、政府にある。
 想定外の大規模な地震と津波が原因だという。ここにも政府の無責任な言い逃れの姿勢がみえる。天に責任を負わせるというのか。
 想定外にして原発をつくるのを認めたのは政府である。最終責任は政府にある。
 ここで、筆者がいいたいことは、東電を擁護することでは全くない。天を恨むことでもないし、犯人さがしをすることでもない。政府の無責任な対応を指摘したいのである。
 政府は、最終的に全責任を負って、全国民の叡智を総動員して、迅速かつ機敏に対策を講じなければならない。いくつかの点を指摘したい。

 被災地域の復興のための財源が、まだ与野党の間で合意されていない。
 どさくさに紛れて、消費税を増税したいのが政府の本音のようだが、野党は反対している。全国民が知恵を集めているとは、とても言えない。
 今年の1月に、首相は消費税の増税問題で、野党が協議に参加しないのは「歴史への反逆者」だ、という大げさな発言をして、野党を怒らせた。

 野党は、この発言をもう忘れただろう。民主党大会の壇上での発言で、首相の気分が高揚していたのだろう。だから、鷹揚にみているのだろう。だが、野党は首相が与野党協議にのぞむ姿勢を敏感に感じとっている。
 首相には、自分だけが正しくて反対者は間違っている、という独善的な強いに思い込みがあるようだ。それでは、協議はできない。こうした交渉に不得手な資質を早急に改めねばならない。
 歴史を進める、とはどういうことなのか。きちんと説明しなければならない。そうした過程で首相は自分の思い込みの誤りに気づき、正すことができる。そうした謙虚な姿勢をみせねば、協議は始まらない。
 与野党間の実りある合意を得るための必須条件である。

 つぎは、組織を一元化していないことである。そのため、責任の所在が分からない。
 政府は、問題が出てくるたびに、思いつきで新しい組織を作る。そして責任を分散させる。新しい組織を作り、そこに責任をなすりつけて、自分は責任から逃げよう、その方が気が楽だ、と考えるのだろう。
 こうして、次々に組織を増やし、それとともに、責任を拡散して希釈し、責任の所在をくらましている。まさに悪い官僚的な無責任体制が出来上がる。そして、対応の適切さと敏速さが失われ、後手後手になる。

 広報が一元化してないことも、問題である。
 大臣たちは、勝手気ままに耳ざわりのいいことを、無責任に言っている。
 政府は放射能で汚染された野菜や魚は食べるなという。だが、その一方で「直ちに健康に影響はない」という。では、なぜ出荷制限を指示するのか。説明に衆知を集めていない。
 風評被害の原因は、ここにある。政府が「安全だ」といっても信用されないのである。

 もう1つは、責任の転嫁である。いわゆる工程表も、そのうちの1つである。
 60〜90日後に、原子炉を冷却し停止させる、という工程表である。
 この工程表は、東電に作らせた。そして、この工程表の期限までに問題を解決する責任を東電に負わせた。そして、政府は責任を捨てて逃げようとしている。

 政府は無責任に逃げるだけでなく、狡猾に利用しようとしている。つまり、避難地域の見直しは、冷却ができる60〜90日後にする、と言っているが、万一、工程表どおりに冷却できず、避難が長引いたとき、その責任を東電に押し付けるつもりなのだろう。そして、政府に責任はない、と言いたいのだろう。
 ここにも政府の無責任な姿勢がうかがえる。

 政府は、原発事故の最終的な責任が自分にあることを、強く自覚しなければならない。
 そうしない無責任な政府を糾弾するのは、福島県民だけでなく、全国民がこぞって糾弾しなければならない。それが福島県民にとって、何よりの激励になるだろう。


(前回 多くの市町村長はTPPに反対している

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(2011.04.25)