コラム

「正義派の農政論」

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【森島賢】
菅首相の辞任表明にみる政治風土の変質

 政界を揺るがせた内閣不信任案が土壇場で否決された。
 マスコミは、当日の朝まで不信任案が成立するだろう、と報じていた。だが、当日の朝、菅首相と鳩山前首相との間で話し合いが行われ、その結果、午前中の代議士会で菅首相は辞任を表明し、鳩山前首相は不信任案に反対することを表明した。辞任表明のニュースは、すぐに全世界をかけめぐった。
 朝まで不信任案に賛成していた多くの与党議員は、辞任表明と引き換えに、態度を変えて反対投票した。そのため、大差の否決になった。そうして懸念していた衆議院解散を回避した。
 だが、その直後から混乱が続いている。採決の直後、鳩山前首相は午前の話し合いで、菅首相は「辞める」と言ったというが、同席した民主党の首脳は、菅首相は「辞める」とは言っていないという。それに対して前首相は「ペテン師まがい」だ、と汚い言葉を浴びせている。
 いったい、現首相と前首相との間で、つまり、2人の最高の政治指導者の間で、何が話し合われたのだろうか。
 この混乱をみていると、いまや、日本の政治風土は一変した、とつくづく思う。そうした中で、東日本の農業者や漁業者をはじめ、被災者の苦難は続いている。

 否決した日の夜の記者会見で、首相は、代議士会での発言は「(震災の復興に)一定の目途がついた段階で若い世代の皆さんに責任を移していきたい」というものだったと説明した。
 2つの点で争っている。第1の争点は、「責任を移していきたい」という発言を、前首相は辞任を意味すると考えているが、現首相はあいまいにしている。
 第2の争点の「一定の目途」について、前首相は今月中と考えているが、現首相は来年1月と考えている。その後、修正したが、両者の差が埋まったわけではない。

 第1の争点について、野党は国会で首相に対し、それは辞任を意味する、と言わせようとして執拗に追求している。だが、それは無理なことだ。もしも首相がそれを肯定すれば、その直後から首相は名実ともに「死に体」になってしまう。
 実際には、首相の辞任表明はマスコミによって、世界中で既定事実になっている。つまり、すでに「死に体」になっている。それゆえ、首相は体面だけに、こだわっているに過ぎない。

 だから、従来の「古い」政治風土の中ならば、「武士の情け」で追求しない。すでに、世界中で既定事実になっているのだから、それで充分ではないか、と考える。
 そう考えると、第2の争点は、無意味なことになる。「死に体」になっている首相が長く続けられる筈がない。だから、首相にこのことを自覚させるだけでよい。

 このように、2つの争点は、「新しい」政治風土では重要な争点になるだろうが、「古い」政治風土なら、2つの争点は、ともに争点にさえならない。確認書の中に「辞任」という文字がないとか、日付や署名がないとか、無駄な論争を国会でしていることになる。そうして、2人の最高の政治指導者がいがみあう不様さを世界に曝している。
 それよりも、国民は政治に対して、東日本の復興策の一刻も早い策定と実行を要求している。

 ここで「古い」とか「新しい」とかいったが、それは便宜的な表現で、正確ではない。それは、文字や契約書だけで互いの意志を確認する、いわば欧米的な肉食系の政治風土と、熟慮を重ねた上で、以心伝心で意志を伝えるアジア的な草食系の政治風土、というほうが正確なのかもしれない。
 あるいは、土地に緊縛され、その社会から逃げ出すことのできない、したがって、相手の人格を尊重して恥をかかせない、というアジア的、共同体的な温かみのある農耕社会の先人たちが、歴史の上に積み重ねてきた叡智、というほうが正確かもしれない。
 いま、日本には、そうしたアジア的な政治風土を引き継ぐ若い人がいなくなってしまったのだろうか。そうして、荒涼とした風土になり果ててしまったのだろうか。

 

(前回 原発をめぐる国内的・国際的暗闘


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(2011.06.06)