コラム

「正義派の農政論」

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【森島 賢】
全頭検査で牛肉の安全をはかれ

 東京都は、8日に南相馬市の農家から出荷された和牛の肉から、放射能が検出されたと発表した。放射能に汚染された稲藁を餌にしていたことが原因だった。この肉は、すでに全国の各地で消費されていた。
 朝日新聞は14日、「生産者は強い責任感で」という社説を掲げ(※)、居丈高に生産者をなじっていた。その反面で、東電や政府に対しては、稲藁を汚染させた責任の追及はないし、補償を要求する論調も遠慮がちで弱々しい。
 ちょうど、この社説を掲げた日、こんどは、原発から70kmも離れた、被災地でもない浅川町でも、放射能に汚染された稲藁を餌にした牛の肉から放射能が検出された。社説子は怒り狂っているのだろうか。その後、宮城県などでも汚染された稲藁が見つかった。
 福島県は、被災地から出荷した牛は体表の放射能を全頭検査していたが、屠畜後はサンプル調査だったという。今後は県内で屠畜する牛は全頭検査をしたいようだ。だが、政府は消極的である。調査のための労力と費用を惜しんでいるのだろう。それは。安全の軽視である。それと同時に、風評被害の軽視でもある。
 放射能被害は、生命にかわる深刻な問題である。そして、次世代にまで及ぶ被害である。それだけに、安全の確保のためには、対策が充分すぎる、ということはない。

 政府は全頭検査を渋っているようにみえる。しかし、たとい全頭検査をしたとしても、絶対に安全だというわけではない。それは、統計学の初歩的な知識があれば分かる。
 たとえば、日本の人口は、全数調査であるセンサスをみると、1億2805万6026人になっている。だが、これが真の人口だろうか。そうではない。申告漏れもあるだろうし、調査拒否や調査漏れもあるだろう。調査員のミスがあるかも知れない。

 牛のばあい、全頭調査をしたからといって、絶対安全だとはいえない。安全に、より近づくというだけである。また、枝肉だけでいいのか、内臓を含む全ての部位を、くまなく検査すべきではないか、という重大な問題点もある。
 それなのに、政府は全頭検査を渋っている。国民の健康と、検査のための費用を天秤にかけている、としか思えない。カネを惜しんで、国民の生命を軽視しているとしか思えない。

 それに加えて、風評被害が広がろうとしている。放射能被害は直接に生命にかかわるし、次の世代にまで影響が及ぶ。だから、特に幼い子どもを持つ親たちは、神経を尖らせている。
 「専門家」は入れ替わり立ち代り「この程度なら恐れなくていい」という。だが、子孫への影響には口をつぐんでいる。だから、風評被害を止められない。
 風評被害は南相馬市や淺川町の牛にとどまらないだろう。福島県だけでなく、全国に及ぶだろう。その結果、今後、牛肉の消費が全体として減ることが予想される。

 その上、放射能に汚染された牛肉は、原子レベルの毒だから、解毒できない。細菌やウイルスなどの生物レベルの毒なら殺菌や消毒することで、毒をなくせる。また、分子レベルの毒なら化学的に分解すれば解毒できる。
 だが、放射能に汚染された牛肉は、せいぜい1か所にまとめて捨てるしかない。だが、捨てた所で数百年の間、放射線を出し続ける。

 牛肉だけではない。放射性物質の害はなくすことができない。汚染地を除染するといっても、放射性物質をまとめて捨てるしかない。捨てた所で幾世代にも亘って放射能を出し続ける。原発の罪深さは、ここにある。
 この罪は、原子力の商業的利用を許した政治が負うべきものである。
 そして、罪を悔い改めて、再び犯さないためには、原子力の商業的利用を禁止するしかない。放射能を制御できるまでは、実験室内でのごく小規模な研究にとどめるべきである。それは、500年前の錬金術よりもはるかに難しい研究だろう。数百年後には成功するかも知しれないし、成功しないかも知れない。成功するまでは、商業的に利用してはならない。
 それとも、ヒトが放射能と共存できる生物種に進化するまで、数百万年の間、待つしかない。それは、現存するヒトの絶滅を意味するだろう。

※ 朝日新聞の14日の社説はココ


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(2011.07.19)