政府は全頭検査を渋っているようにみえる。しかし、たとい全頭検査をしたとしても、絶対に安全だというわけではない。それは、統計学の初歩的な知識があれば分かる。
たとえば、日本の人口は、全数調査であるセンサスをみると、1億2805万6026人になっている。だが、これが真の人口だろうか。そうではない。申告漏れもあるだろうし、調査拒否や調査漏れもあるだろう。調査員のミスがあるかも知れない。
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牛のばあい、全頭調査をしたからといって、絶対安全だとはいえない。安全に、より近づくというだけである。また、枝肉だけでいいのか、内臓を含む全ての部位を、くまなく検査すべきではないか、という重大な問題点もある。
それなのに、政府は全頭検査を渋っている。国民の健康と、検査のための費用を天秤にかけている、としか思えない。カネを惜しんで、国民の生命を軽視しているとしか思えない。
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それに加えて、風評被害が広がろうとしている。放射能被害は直接に生命にかかわるし、次の世代にまで影響が及ぶ。だから、特に幼い子どもを持つ親たちは、神経を尖らせている。
「専門家」は入れ替わり立ち代り「この程度なら恐れなくていい」という。だが、子孫への影響には口をつぐんでいる。だから、風評被害を止められない。
風評被害は南相馬市や淺川町の牛にとどまらないだろう。福島県だけでなく、全国に及ぶだろう。その結果、今後、牛肉の消費が全体として減ることが予想される。
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その上、放射能に汚染された牛肉は、原子レベルの毒だから、解毒できない。細菌やウイルスなどの生物レベルの毒なら殺菌や消毒することで、毒をなくせる。また、分子レベルの毒なら化学的に分解すれば解毒できる。
だが、放射能に汚染された牛肉は、せいぜい1か所にまとめて捨てるしかない。だが、捨てた所で数百年の間、放射線を出し続ける。
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牛肉だけではない。放射性物質の害はなくすことができない。汚染地を除染するといっても、放射性物質をまとめて捨てるしかない。捨てた所で幾世代にも亘って放射能を出し続ける。原発の罪深さは、ここにある。
この罪は、原子力の商業的利用を許した政治が負うべきものである。
そして、罪を悔い改めて、再び犯さないためには、原子力の商業的利用を禁止するしかない。放射能を制御できるまでは、実験室内でのごく小規模な研究にとどめるべきである。それは、500年前の錬金術よりもはるかに難しい研究だろう。数百年後には成功するかも知しれないし、成功しないかも知れない。成功するまでは、商業的に利用してはならない。
それとも、ヒトが放射能と共存できる生物種に進化するまで、数百万年の間、待つしかない。それは、現存するヒトの絶滅を意味するだろう。
(前回 米価はマネーゲームで決まる)
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