先週末に出荷された宮城の牛肉が、どの程度の価格で売れるかに、多くの人の注目を集めた。結果は、昨年の同月と比べて、やや下回る、という程度だった。
その理由は、久しぶりの出荷だったので、ご祝儀相場という面もあったようだが、それよりも、まだ検査体制が整わず、一部の牛しか出荷できなかったからだろう。
今後、出荷制限されていた各県が、本格的に、したがって大量に出荷するようになれば、価格は大幅に下がるかもしれない。農家には、出荷適齢を過ぎた牛が大量に滞留している。
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先週の牛肉市場をみてみよう。昨年8月の第4週と比べると、価格はほとんど変わらなかった。しかし、屠殺頭数は全国合計で19%減った。東京市場では47%も減った。半減である。頭数数が減ったので、ようやく価格を維持できたのである。
これは、まさしく風評被害である。消費者の牛肉離れである。消費者が牛肉に放射能不安を抱いているからである。
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頭数と価格を掛け算すると、肉牛農家の売上金額になる。それが放射能被害を受けなかった西日本の肉牛農家を含め、全国で合計して19%減ったのである。これが、風評被害の程度と考えてよい。
今後は、東日本からの出荷再開によって、出荷頭数が増え、価格が下がり、その結果、風評被害が増えると予想される。こうした状況が、いつまで続くのか。農業者の怒りは深く、そして重い。
いったい、どうして消費者は牛肉から離れたのだろうか。
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一部の専門家は、消費者が無知だからだという。科学的にみて安全だ、といっても消費者は無知で理解できないからだという。だから、これは「安全問題」ではなく「安心問題」で、理性や科学の領域を超えた問題だ、といって彼等は思考を停止する。
だが、絶対安全だ、といわれていた原発が、彼等をあざ笑うかのように事故を起こした。彼等は「想定外」の原因によるものだ、という。確率がほとんどゼロの事態が起きたからだという。
こうした浅い認識では、事故はまた起きるだろう。そうではなくて、安全に対するもっと深い認識が求められている。それは、認識論にまで深く遡った、安全についての再検討である。
それが専門家という科学者の、社会的責任であることを自覚しなければならない。消費者の無知を言い立てることではない。
そして、それはまた、牛肉の風評被害においても求められている。
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当面は、検査体制を政府の責任で整備しなければならない。先週の新聞報道では、神奈川県の小学校の給食で汚染牛肉が消費されていた。「昨日食べた牛肉は、放射能に汚染されていた」などというから安心できない。だから、風評被害はおさまらない。
それとともに、肉牛農家に迅速かつ充分な補償を行い、農家の苦悩に対して誠実に応えねばならない。それは、政治の責任である。
(前回 コメの先物市場に騙されるな)
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